Mildred Pierce

ワーナー・ブラザース
1945
もちろん、願望というものは恐怖を内在している
ジェームズ・M・ケイン

Synopsis

夜のビーチ・ハウスに響く銃声。男(ザッカリー・スコット)が倒れる。「ミルドレッド」と言い残して。ミルドレッド・ピアース(ジョーン・クロフォード)はウォーリー(ジャック・カーソン)をビーチ・ハウスに誘ってこの殺人の濡れ衣をかぶせようとする。死んだのはミルドレッドの夫、モンティだったのだ。真夜中の警察に呼び出されたミルドレッドは、刑事に自分の半生を語り始める。それは、二人の娘にささげた人生だった。特にヴィーダ(アン・ブライス)に。

Quotes

このお金があれば、私はあなたとさよならができるわ。あなたと、あなたのチキン、あなたのパイ、あなたの台所、油のにおいのするすべてとさよならできるわ。この安っぽい家具の小屋ともお別れできるし、この町とも、小銭を数える毎日とも、制服を着てる女とも、つなぎを着てる男とも、みんなお別れができるのよ。 ヴィーダ

Production

絶対に失敗しないストーリー

ジェームズ・M・ケインは1892年にメリーランド州アナポリスでアイルランド系カトリックの家に生まれた。父親は州内のカレッジの要職を渡り歩いており、母親はかつてはオペラのコロラトゥーラという、文化的にも経済的にも恵まれた家庭だった。父親が学長を務めるワシントン・カレッジに進学したが、そこで、アイク・ニューマンという名の煉瓦職人と知り合い、インテリの家庭では接することができない労働者の言葉に出会う[1]。ケインの小説に見られる多彩な口語表現はニューマンに負うところが大きいと言われる。

大学卒業後、様々な職を経験し、1917年にボルチモアで新聞記者の職を得る。ケインは1922年ごろから短編小説を書き始め、これをH・L・メンケンが編集を務める「アメリカン・マーキュリー」誌が掲載した。メンケンは二十世紀のアメリカ文学の「ことば」を形づくった、非常に過激な論客である。彼は「この美しい土地の普通の人々が話す言葉」こそ綴るにふさわしい言語だと考え、ブルジョアジーの精神や過度にセンチメンタルな浪漫主義を攻撃、反動的な階級社会を維持するような言語の欺瞞を暴いていた。このメンケンのもとで、ケインは「マーキュリー」誌に労働運動者や女性政治家、教師などを題材にした小説を発表していた[2], [3]。

メンケンを通して、ケインはフィリップ・グッドマン、ヴィンセント・ローレンスらと知り合い、演劇の道を歩むようになる。

1924年から1931年まで、ケインは「ワールド」誌のウォルター・リップマンのもとでエッセイや小説を書き続けていた。その後1931年にハリウッドに移り、脚本家としてパラマウントと半年の契約する。だが「十戒」のリメイク脚本がものにならず解雇、その後コロンビアでも芽が出なかった。職を失ったケインはそのままロサンゼルスにとどまり、借金をしながら小説を書き始める。「Bar-B-Que」と題されたその作品は、大手出版社のクノップにもマクミランにも断られるが、クノップとの交渉の末、「郵便配達は二度ベルを鳴らす(The Postman Always Rings Twice)」とタイトルを変えて出版することで折り合いがついた。1934年のことである。「郵便配達はベルを二度鳴らす」の大ヒットに続き、「二重保険(Double Indemnity, 1936)」や「セレナーデ(Serenade, 1937)」といった殺人とセックスが絡み合う作品を順調に発表していった。「ミルドレッド・ピアース(Mildred Pierce, 1941)」は、ケインにとって初めての「シリアスな」小説だった。

この作品の基になったアイディアは、1932年にコロンビアで同僚だったジム・マクギネスが放った一言だった。

絶対に失敗しないストーリーが一つだけある。自分の目的のために男を利用する女の話だ。

この作品は、シングルマザーというクリシェに陥りがちな題材を、大恐慌とカリフォルニアを背景に新しい視点で描いている。それまでケインが得意とした「殺人を犯した男が一人称で告白する物語」とは、スタイル的にもテーマ的にもかけ離れた作品だ。ここでケインが生み出した最も印象深い創造物は、ヴィーダという怪物であろう。料理以外にはとりえのないミルドレッドが、何を差し置いても「愛し」続けた娘。ヴィーダはその母親を軽蔑し、侮辱し、嘲笑する。その一方で母親がバート、ウォーリー、モンティに対してそうだったように、やはり男を利用して、目的を達成していく。真珠湾攻撃の前、大恐慌が鬱々と頽廃を培養していた時代が生んだ産物である。

『ミルドレッド・ピアース』に賭けたプロデューサーと女優

「ミルドレッド・ピアース」はワーナー・ブラザーズのジェリー・ウォルドがどうしてもやりたい企画だった[4]。

ウォルドは1930年代にワーナー・ブラザーズの脚本部でひたすら量産し続けていたが、1941年に、プロデューサーに就任した。ハル・ウォリスが1944年にワーナーを退社すると、ウォルドがワーナーの看板となる。

ケインの小説は、そのままだとPCAの承認を得られそうになかった。不倫、詐欺やゆすりまがいの行為が、スクリーンの上で「罰せられない」で終わるからだ。事実、ジャック・ワーナーは映画化に乗り気ではなく、最後まで懐疑的だった。そこでウォルドは殺人を中心に据えたミステリにして、最後にヴィーダを「罰する」ストーリーを編み出した。このアプローチについてはPCAも好意的に了解していた。

1943年にウォルドはケインと接触、映画化のプロジェクトが始まる。この段階で既にウォルドは殺人を導入すること、フラッシュバックの構造にすること、を決めていた。ワーナー・ブラザーズのストーリー・アナリスト、テームズ・ウィリアムソンが全体のストーリー構成を作るために呼ばれ、1944年3月に映画権を買い付けた。興味深いことに、このウィリアムソンのストーリーでは、ミルドレッドがヴィーダを殺害するというエンディングになっていたようだ。

ウォルドは、キャサリン・ターニーに脚本の調整を依頼する。ターニーは女性向けのメロドラマに定評があり、ここでも彼女の関心は「ミルドレッドの人生」だった。当然、フラッシュバックの構造も殺人のミステリも脚本から削ってしまった。ウォルドはターニーに書き直しを命じたが、根本的な意見の相違から脚本がまとまらなかった[5]。

ワーナー・ブラザーズは『カサブランカ(Casablanca, 1942)』でも何人もの脚本家を投入して脚本を仕上げるというやり方をとっていたが、ここでも脚本家をさらに投入する。呼ばれたのは、ウィリアム・フォークナーとアルバート・モルツだった。そしてラナルド・マクドゥーガルが最終稿を仕上げ、クレジットされた。

ウォルドとマイケル・カーティスは1930年代からの友人だったが、一度も一緒に仕事をしたことがない。『ミルドレッド・ピアーズ』が初めてである。ジャック・ワーナーは、ヴィンセント・シャーマンを推していたが、ウォルドはカーティスを選び、ワーナーが現場に口出ししてこないようにしていた。

問題は配役である。

特に主人公のミルドレッドを誰にするかが焦点だった。アイダ・ルピノ、アン・シェリダン、バーバラ・スタンウィック、ロザリンド・ラッセルが候補に挙がり、その中でもラッセルが有力候補だった。だが、ミルドレッドの役をとろうと必死に運動している女優がいた。ジョーン・クロフォードである。

クロフォードは1930年代にMGMでトップ・スターにのぼり詰めたものの、1940年代に入ると、会社は新しい女優の発掘に専念してしまい、彼女の映画のプロモーションをおろそかにしていた。潮時と感じたクロフォードは1942年にMGMを去り、三分の一の給料でワーナー・ブラザーズと契約する。しかし、ワーナーも、この扱いにくい女優を使いあぐねていた。クロフォードが仲良くしているエドムンド・グールディングの監督予定作品を打診してみたりするものの、クロフォードは脚本を気に入らず、お蔵入りしてしまう。

カーティスは当初、ミルドレッドの役にバーバラ・スタンウィックを考えていたが、クロフォードのテストを見て、気が変わったという。しかし、撮影に入ってから、監督と主演女優のあいだで激しい口論がしばしば交わされたようだ。

ヴィーダの役も二転三転した。ウォルドはシャーリー・テンプルを真剣に考えていた。セルズニックもテンプルの貸与に了承していた。しかし、カーティスの反対もあってワーナーはこのアイディアを破棄する。ヴァージニア・ウィールダーでほぼ決まりかけていたが、アン・ブリスのテストをみたカーティスが彼女に決めた。ジャック・カーソンとジョー・アン・マロ―は、カーティスが前作『ラフリー・スピーキング(Roughly Speaking, 1945)』で監督したことが縁で出演となった。

シャーリー・テンプル?じゃあ、ジョーン・クロフォードの夫の役はミッキー・ルーニーにするのか? マイケル・カーティス

ミルドレッドの最初の夫、バートの配役が最後まで難航した。ウォルドとカーティスはラルフ・ベラミーを推していたが、結局デニス・モーガンで落ち着いた。

またウォルドとカーティスはスティーブ・ウォン・ハウか、アーサー・エデセンを撮影監督に呼ぼうと考えていたが、これもスケジュールが合わず、アーネスト・ホーラーになった。

撮影は1944年12月に始まった。

映画の『ミルドレッド・ピアース』はミルドレッドによるフラッシュバックを中心に据えた構造になっている。カーティスはこれを時間軸に沿って順に撮影している。最初の撮影はミルドレッドがバートと別居を始めるシーン、そして最後の撮影は警察署での取り調べだった。ジョーン・クロフォード自身の回想によれば、この最初の撮影の際に、カーチスと大衝突する。

1930年代のMGMの華やかな映画のなかで、クロフォードは派手な衣装、特にMGMのお抱えデザイナー、エイドリアンがデザインした、肩パッドの目立つスーツがトレードマークだった。しかし、再起をかけたこの作品で、彼女はそういったイメージから脱却することを決心していた。最初のシーンでは、彼女はグレンデールの一般家庭の主婦である。監督のカーチスは、ワーナー・ブラザーズの衣装部が用意した衣装を「格好良すぎる」とボツにしていた。クロフォードは、ミルドレッドの役に合った衣装を自ら準備することに決め、シアーズ・リーボック(大衆向けの百貨店)に行き、ミルドレッドが着ていそうなドレスを買ってくる。これを見たカーチスが「また、肩パッドの入ったエイドリアンのスーツか!」と、それを破いてしまった。「これはたった2ドル98セントの服ですよ!肩パッドも入ってません!」と彼女は泣きながら抗議したという[6]。

カーティスはカメラの位置や照明にこだわり、予定のスケジュールから遅れ始め、ジャック・ワーナーが気をもみ始める。結局、$1,342,000の予算、54日の予定よりも13日オーバーして1945年2月に撮影が終了した。$1,453,000の製作費だった。

リリースされたヴァージョンでは、ラストでミルドレッドとバートが二人で警察署を後にするシーンになっているが、ミルドレッドが一人で去るシーンも撮影された。

春から初夏にかけて、マックス・スタイナーの音楽、編集、音響調整などが行われた。

ジャック・ワーナーは、初夏の段階で、日本との戦争もすぐに終わるだろうと踏んでいた。そこで、『ミルドレッド・ピアース』の公開を戦争が終わってからにするほうが良いと考えた。結局、日本の無条件降伏の約1か月半後の9月末に公開された。

はめられたウォーリー(ジャック・カーソン)

Reception

『ミルドレッド・ピアース』は、ワーナー・ブラザーズにとって、そしてジョーン・クロフォードにとって、1940年代を代表する大成功の作品となる。

脚本はトップクラス、役作りは素晴らしく、映画全体として、この時期の最高傑作だ。 Showmen’s Trade Reviews

 

この映画のヒロイン、ジョーン・クロフォードは、長い間スクリーンに姿を見せていなかったが、幸先良いカムバックとなった。 The Film Daily

だが、ストーリーの複雑さを指摘する評も見られた。

ストーリーの方はといえば、実に長い。111分にわたってあっちに行ったりこっちに行ったりと触手のように這いずり回って、特に必要もないことを詳しく描きすぎている。もう少し短ければ引き締まったものになったかもしれない。 Motion Picture Herald

なかには育児についての意見もある。

ヴィーダが14歳の時に、一日二回、膝にのせてお尻をたたいていれば、ずいぶんと違っただろう。 New York Times

ジェームズ・ケインは、クロフォードの演技を高く評価し、彼が思い描いていたミルドレッド像をスクリーンに投影してくれたと賛辞を送っている。

映画は$5,360,000の興行収入、$4,000,000以上の利益を上げた。これは、1942年から45年のあいだにワーナー・ブラザーズが公開した映画の中で、『カサブランカ』、『ヤンキー・ドゥードゥル・ダンディー』に次いで三番目の興行成績である。

アカデミー賞5部門にノミネートされ、ジョーン・クロフォードが主演女優賞を獲得している。また、ナショナル・ボード・オブ・レヴューの最優秀俳優も受賞している。この映画を機に、ジョーン・クロフォードのキャリアは再浮上した。

「ラックス・ラジオ・シアター」では、この映画のラジオ・ドラマバージョンが1949年と1954年に放送されている。いずれもザッカリー・スコットがモンティの役を演じているが、ミルドレッドの役にはロザリンド・ラッセル(1949年版)、クレア・トレバー(1954年版)が抜擢されている。

1970年代にフィルム・ノワールの再評価が進むなかで、『ミルドレッド・ピアース』は、「フィルム・ノワール」という不明瞭な定義の境界で重層的な読みを可能にするテクストとしてとらえられるようになった。例えば、ステファン・ハーバーは、その論考「Violence and the Bitch Goddess (1974)」のなかで、女性が社会に進出することの代償として引き起こされる家族の消滅の物語として論じている[7]。

この映画は全体として、自分の娘に想像しうる限りのすべてを買い与え、代わりにぞっとするような、恩を仇を返すような仕打ちを受ける話である。卑俗で無意識的にアメリカナイズされた「リア王」とも言えるだろう。ステファン・ハーバー

パム・クック、ジューン・ソヘンはフェミニズム批評の切り口から、『ミルドレッド・ピアース』が内包している二重の女性像を、ハリウッド映画がその表象操作によって果たしてきた役割と結びつけて論じている。特にソヘンの「Mildred Pierce and Wome in Film (1978)」は『ミルドレッド・ピアース』以降のハリウッド映画が「独立した女性」を描きあぐねていた経緯を検証している[8]。

ペドロ・アルモドバルは『ミルドレッド・ピアース』を最も好きな作品の一つに挙げており、実際彼の作品には『ミルドレッド・ピアース』にインスパイアされたと思われるものがある。

2011年にHBOがトッド・ヘインズの監督、ケイト・ウィンスレット主演で『ミルドレッド・ピアース 幸せの代償』をドラマシリーズ化している。このミニシリーズは、ジェームズ・ケインの原作を忠実になぞりながら、ウィンスレット演ずるミルドレッドの異様な執着が浮き彫りになっていた。

『ミルドレッド・ピアース』の重層性を、イモージェン・サラ・スミスはクライテリオン・コレクションのエッセイの中で、以下のように端的に表現している。

これこそ、フィルム・ノワールとメロドラマが収斂する場所だ。どちらも手に入れられないものを欲しがり、それでも手に入れようと深みにはまってしまう人間たちが動かす物語なのだ。イモージェン・サラ・スミス

ヴィーダ(アン・ブリス)、モンティ(ザッカリー・スコット)、そしてミルドレッド(ジョーン・クロフォード)

Analysis

この作品は、キアロスクーロに満ちた映像とスタンダード照明の対比、壁に映る様々な光の反射の造形、マックス・スタイナーのメロドラマ全開の気恥ずかしいほど豪勢な音楽[9]、ジャック・カーソンの見事な演技力、など分析したいポイントは多いのだが、今回はミルドレッドという女性が戦時中・戦後のハリウッド映画で占める位置について考察してみたい。

戦後の男性を脅かすのは誰か

第二次世界大戦中から戦後にかけて、ハリウッドが描いてきた女性像、特にフィルム・ノワールに登場する女性像については、大戦下のアメリカの社会的、政治的、経済的状況が反映されているとされてきた。特に人口に膾炙しているのが、「第二次世界大戦中、男性たちが従軍して戦場で戦っているあいだに、女性たちは工場やオフィスで労働力となり、経済的にも自立できるようになっていた。戦後、帰還した男性たちは、そういった自立した女性を脅威に感じていた。そういった背景からファム・ファタールが生み出された。」という言説である。いみじくも「ロージー・ザ・リベッター」というアイコンが表現しているように、かつては男性の仕事だと思われていた分野にも女性が進出し、非常時の国家経済を支えていた事実は、戦後のアメリカ社会に様々なかたちで変化をもたらした。しかし、戦後のハリウッド映画におけるファム・ファタールの登場が、その変化に促されたものであるというのは、その成り立ちやハリウッドの歴史のなかで再考してみると違和感を覚えざるを得ない。

よく見られる考察として、フィルム・ノワールに見られる、女性のセクシャリティに対する否定的な見方と、戦時中に女性が獲得した自立(特に高給の男性の仕事につくことで得られた経済的自立)に対して男性が抱く怖れのあいだに、つながりがあるとするものがある。これらの考察は一見説得力があるが、ファム・ファタールは30年代のハードボイルド小説、そしてその伝統に起源がある。マイケル・ウォーカー[10]

例えば、『深夜の告白(Double Indemnity, 1944)』のフィリス(バーバラ・スタンウィック)、『ブロンドの殺人者(Murder, My Sweet, 1944)』のヘレン(クレア・トレヴァー)、『殺人者(The Killers, 1946)』のキティ(エヴァ・ガードナー)といった「ファム・ファタール」は、仕事をしているわけでもなければ、経済的に自立しているわけでもない。むしろ彼女たちは様々なかたちで男性に依存/寄生しているし、多くの場合、戦時中にもかかわらず、戦争とはかけ離れた世界で生きている。『青い戦慄(The Blue Dahlia, 1946)』で従軍していた夫を裏切ったヘレン(ドリス・ダウリング)も戦時中に仕事に就いて自立したわけではない。戦中・戦後のフィルム・ノワールでは、ロージー・ザ・リベッターのような労働者の女性がファム・ファタールになるという設定はほとんど皆無である。

もちろん、そんな字義どおりの解釈ではない、とする意見もあるだろう。ファム・ファタールとは、自立した女性に対して男性が抱く深層心理がを生んだ象徴的な存在だという考え方だ。戦争直後の不安定な時代に、男性の特権的で優位な立場を脅かすものとしての存在、セックスを梃子に優位な立場にたち、「男性を去勢し、破滅に導く」女性が描かれる。だが、この議論も巨視的な視野を欠いていると思われる。なぜなら、ハリウッドの歴史は「ヴァンプ」や「ファム・ファタール」で満ち溢れていて、周期的に流行しては、検閲や自主規制の強化、作品の過剰製作ですたれていく、というサイクルを繰り返しているからだ。1910年代のセダ・バラをはじめとするヴァンプの流行、プレコード時代の性に奔放な女性たちの登場、といった「性に対する奔放さで男性を脅かす/悦ばせるシンボル」のサイクルは、社会の要請というよりも、ハリウッドの「潮流」が支配するところが大きい。

特に、フィルム・ノワールの時代に現れるファム・ファタールと彼女たちをめぐる物語は、1930年代の恐慌の時代に人気を誇ったハードボイルド小説が映画として結実していると考えるのが妥当であろう。それは、1934年に始まったプロダクション・コードの引き締めが、映画製作者たちが求めるマーケティングの選択肢を狭めてしまったことと大きくかかわっている。プレコード時代の作品を見てみるとわかるが、セックスは結婚によって必ずしも縛られていないし、少なからずの映画で家庭は幸福の前提条件ではない。女性の「性」をまるで商品やモノのように扱う作品もあれば、社会がもつそういった側面を厳しく、あるいは面白おかしく指摘する作品もある。オフィスや病院で女性たちは安月給で働き、文句を言う。そういった風潮に嫌悪感を示し、「いつまでたってもスクリーンが綺麗にならない」と業を煮やしていたカトリックの団体が、フランクリン・ルーズベルトのニュー・ディール政策による検閲の可能性をちらつかせながら、ハリウッドをねじ伏せたのが、プロダクション・コードだった[11]。

ケインの物語とコード

プロダクション・コードはあくまでハリウッドの業界自主規制である。映画以外の分野では表現の自由が保証されており、文学や演劇、他の視覚芸術では様々な表現が立ち現れていた。1920年代から人気になり始めていたハードボイルド小説も、その一つである。アーネスト・ヘミングウェイやF・スコット・ジェラルド、ウィリアム・フォークナーの流れをくむ作家たち、ダシール・ハメット、レイモンド・チャンドラー、コーネル・ウールリッチといったパルプ出身の作家たちは、1930年代にアメリカの新しい大衆文学の形として認められはじめている。ジェームズ・M・ケインはパルプ出身ではないが、その扱う題材がきわめて現代的で毒気に満ちており、プロダクション・コードが最も嫌う種類の材料だった。ヨーロッパから流れてきた監督やニューヨークの演劇シーンからハリウッドにたどり着いた脚本家たちが、そしてチャンドラー、フォークナー、ケイン自身たちが、自主規制でがんじがらめになっている映画業界と、その他の表現のあいだに存在する大きなギャップにもどかしさを抱くのは当然であろう。それを正面突破したのが、ジェームズ・M・ケイン原作でチャンドラーとビリー・ワイルダーが映画化した『深夜の告白』である。

プレコード時代の代表的な作品『ベイビー・フェイス(Baby Face, 1933)』などは、プロダクション・コードのもとでは、ありえない映画である。バーバラ・スタンウィックが演じているリリー・パワーズのような人物は、プロダクション・コードでは必ず何らかの罰を受けなければいけない。父親を見殺しにし、多くの男性を破滅させても平気でいる女性だ(だが、それなりの理由もある)。最後に改心したみたいからとりあえずいいだろう、という設定は絶対に許されない。リリー・パワーズのようなファム・ファタールがコードのもとで登場するには、殺人を犯して、男を道連れにして破滅するという方法しかないのである。そしてそのテンプレートになったのが、『深夜の告白』だった。モラルのかけらもない男と、それに呼応する女が、保険金目当ての殺人を犯し、奈落の底に落ちていく。『深夜の告白』のレビューでも書いたが、フィリスはファム・ファタールなのかもしれないが、破壊の原動力はウォルターのほうである。このやり方ならプロダクション・コードもかわすことができる。

ファム・ファタールはコードを巧みに回避しつつ、危険なセックスをもてあそびつつサスペンスを生み出す、実に都合の良いテンプレートになったのだ。

ミルドレッドが象徴するもの

もし、男性が家父長制的な優位を失いつつあって、不安を感じはじめているのだとしたら、それはむしろ大恐慌の時代からの延長だと考えられる。一家を養う稼ぎ手としての地位は、失業によって揺らぎ、農業は破壊され、自営業は急激な勢いで企業の食い物にされていく。それまでじわじわ進んでいた近代的企業による資本主義の支配は大恐慌で一気に民衆を食いつくし始めていた。『深夜の告白』のウォルターは、企業に雇われた「サラリーマン」である。ウォルターは、彼の上にのしかかる企業を出し抜いて、「女と金」を手に入れて「男性」を取り戻そうとしていた。ファム・ファタールは、男性が自らを誇示する際の「手ごわい相手」に過ぎない。彼らが本当に負けるのは、資本主義のシステムのほうだ。

「戦時中に女性が獲得した自立に対して男性が抱く怖れ」がスクリーンに表れているとするならば、数々のファム・ファタールよりも『ミルドレッド・ピアース』のミルドレッドの物語のほうがはるかに考えるべき点が多いのではないだろうか。頼りない夫を捨て、経済的に独立し、レストラン・ビジネスに成功した女性が主人公である。だが、いざ母親の役割となると、次女を病気で失い、長女が目も当てられない怪物になっていくのを止められずに、「失敗」し、最後は家庭が崩壊して終わる。この物語は、男性から自立した女性には罰が下る、という図式のように見えなくもない。

私は、ミルドレッドは母親として「失敗」した、と書いたが、母親として「成功する」、「失敗する」ということはありえるのだろうか。客観的に見て、ビジネスには「成功」・「失敗」はあるが、子供が犯罪者になったらそれで「親」として「失敗」したといえるのだろうか。親自身が自分自身を責めて失敗したと感じることはあるだろうが、他人が客観的に見て「あの人は親として失敗している」と価値判断をするのはおかしくはないだろうか。だが、実際の世界では多くの人が、そういった価値判断をしている。では、人はどんな時に「あの人は親として失敗している」というのだろうか。それは何らかの父親、母親の理想像があり、そしてそこから育つ子供の理想像があり、そこから逸脱した家族について「失敗している」と判断するのである。

では、『ミルドレッド・ピアース』が公開された時代の理想の母親像とはどんなものだろうか。

例えば、1948年に公開されたジョージ・スティーブンス監督の『ママの想い出(I Remeber Mama, 1948)』は、20世紀初頭、貧しい移民の一家が、母親のマーサ(アイリーン・ダン)を中心に様々な苦境を乗り越えていく物語である。興味深いことに、この作品も長女のケイトリン(バーバラ・デル・ゲッデス)によるフラッシュバックで構成されているのだが、最初に思い出される話が、家計のやりくりのエピソードなのである。毎週土曜日に家族全員がテーブルに集まり、母親が父親の給料をいかに配分するか決めていく。家賃、食費、それに末っ子のノート一冊も細かく出納管理されている。子供は3人姉妹に息子1人、その息子のネルスが高校に行きたいと言い出すと、途端に家計が赤字化する。そこで家族全員が自分のものをあきらめて、ネルスをなんとか高校に行かせる算段をする。映画が始まって10分としないうちに、自己犠牲の尊さが焼き付けられる。しかも、その自己犠牲比率は若干女性のほうに傾いている。

ここでは母親は常に子供のことを思い、子供たちの将来のためになけなしの金を工面している。だが、彼女の役割は家庭の中にあり、たとえどんなに貧しくても外に出て働くことは考えられていない。

1947年に公開されたワーナー・ブラザーズの『ライフ・ウィズ・ファーザー(Life with Father, 1947)』では、1880年代のニューヨークの裕福な一家が描かれる。ここでは頑固な父親クラレンス(ウィリアム・パウエル)が子供たちと母親ヴィニー(アイリーン・ダン)と起こす、他愛のない諍いが語られる。母親であり、妻であるヴィニーは、完全にクラレンスの庇護下にいるのだが、そこで起きる諍いとは、洗礼を受けていないクラレンスに何とかして洗礼を受けさせようとする、という話である。ヴィニーには浪費癖があり、家計を厳しく取り締まっているクラレンスの頭痛の種である。

『ミルドレッド・ピアース』のフラッシュバックは、失業した夫バートがゆったりとした郊外の一軒家に戻ってくるところから始まる。一家の収入は、ミルドレッドが、自分の焼いたパイを近所の家庭に売って稼いでいる分だけである。だが、部屋にはグランドピアノが置かれ、我々はミルドレッドが二人の娘に習い事をさせていることを知る。バートはそのバランスを欠いたミルドレッドの経済感覚、もう少し踏み込んでいえば階級感覚に我慢がならなくなっている。それがきっかけなのかははっきりしないが、バートはすでに不倫を堂々としている。この家族はミルドレッドが働きに出始める以前にすでにバラバラになっている。

ミルドレッドは、自分には与えてもらえなかったものを子供達には与えたいと、願っている。この願いがおかしいことだとは誰も思わないだろう。だが、ぎりぎりの収入しかないにもかかわらず、ミドルクラス以上の「教養」「文化」を子供達には与え続けようとしている。この「収入に見合っていない暮らしへの願望」が『ミルドレッド・ピアース』ですべてを狂わせる鍵になっている。『ママの想い出』では貧乏なら貧乏のなかで爪で灯をともすように節約し、『ライフ・ウィズ・ファーザー』では、裕福なのだから裕福層らしく派手に浪費してもかまわない。だが、無職の夫と働いたことのない妻の家庭が、子供にピアノを習わせたり、バレエを習わせたりするのは、不幸しか招かない。これが『ミルドレッド・ピアース』の最も基盤にある家庭観である。

『ミルドレッド・ピアース』がメロドラマとしての強靭な動力を発動するのが、この後である。ミルドレッドがレストランを始めるとそれが大当たりし、チェーン店も持てるほどにビジネスが成功するのだ。そして、この過程でミルドレッドは落ちぶれた上流階級のプレイボーイ、モンティと出会うのである。ヴィーダとミルドレッドは、お互いの言動を裏返しにしたり、そのままなぞったりしながら絡み合っていく。ミルドレッドが心の底ではウェイトレスの仕事を恥ずかしく思いつつ周囲に隠して勤めていると、ヴィーダはその事実を引きずり出して笑いものにする。ミルドレッドがモンティと情事を重ねると、ヴィーダは裕福なフォレスター家の息子とひそかに結婚する。フォレスター家をゆすって慰謝料を手に入れたヴィーダをなじったミルドレッドだが、彼女自身、「ヴィーダの望むような暮らしを手に入れて」ヴィーダを取り戻すために愛してもいないモンティと結婚する。映画ではヴィーダの俗悪さばかりが目立っているが、ミルドレッドの言動はその鏡像関係にあるといってもよいだろう。

ヴィーダとミルドレッドの母娘

マイケル・カーチスは、ミルドレッドとヴィーダを常に対照的に演出するよう意識しているようだ。ミルドレッドは大柄でモンティやバートと同等/対等に画面を占めているが、ヴィーダは小柄で子供っぽく、男性と並ぶと「背伸びをしている」ように見える。特にラストのビーチハウスでモンティとキスをしているところをミルドレッドに見つかるシーンでは、ヴィーダは酔っぱらっていることも手伝って、ひどく子供っぽく見える。この対照は、二人の対立を際立たせるのに役立っているだろう。だが、この母娘がフォレスター家との示談交渉で並んで座っている、その瞬間に、二人の類似性が顕れる。二人とも喪服のような黒いドレスに身をつつみ、小さな帽子を頭にのせている。1940年代当時としても若干滑稽だったであろう、このファッションは、この母娘がフォレスター家と対抗するために準備した衣装なのだ。にもかかわらず、この二人は、フォレスター家が象徴するもの ───富裕層の軽薄なプライド─── を不愉快に思い、軽蔑さえしているのだ。普段はこの富裕層と同じ階級に属したいと思いつつも、実際には富裕層の見下した態度に我慢がならないのである。ヴィーダがフォレスター家を軽蔑しているのと同じように、ミルドレッドはモンティの軽薄さと計算高さに嫌気がさしている。軽蔑しつつもあこがれる、この矛盾した言動を、彼ら自身が深く自省することもなく、情動的に反射しつづけた果てに、破滅したのである。

情事の現場。見事な照明と演出のシーン。

トレーシー・キム・フーバーは、1940年代から50年代にかけてハリウッドが製作した映画のなかで、女性がいかに描かれてきたかを統計的に解明しようとした[12]。フーバーによれば、1950年代のハリウッド映画では、白人女性を働く女性として取り上げる頻度が減少し、代わりに母親として描く傾向が強まったという。この傾向の中で、『ミルドレッド・ピアース』を再確認してみると興味深い。ミルドレッドは警察での取り調べのなかで、離婚したことを後悔しているというのである。

私が間違っていたわ。間違っていたことに気づくのに4年もかかってしまったの。 ミルドレッド・ピアース

バートは失業し、さらにほかの女性の家に堂々と浮気をしに行くような男である。前述したようにフラッシュバックで語られる4年前にはすでにピアース家はバラバラだったのだ。にもかかわらず、離婚したのは間違いだった、とミルドレッドは告白する。バートのような男でも「いざとなれば頼りになる」という家父長的な視野、どんな場合でも女性から離婚を切り出してはいけないという結婚観、そして母親は何があっても耐えなければいけない、という母性観が重なっている。シングルマザーとなって、職業に没頭しつつ育児はできない、というメッセージが深く埋め込まれている。

フラッシュバックと殺人ミステリ

上述したように、『ミルドレッド・ピアース』の脚本は複数の脚本家が寄与している。そのなかでも、キャサリン・ターニーの脚本稿の位置づけは、この作品の焦点を考えるうえでも重要だ。プロデューサーのウォルドは、殺人ミステリのプロットを入れること、そしてフラッシュバックの構造を用いることを必須と考えていた。しかし、ターニーは(そして原作者のケインも)殺人は不必要だと考えていた。

「ミルドレッド・ピアース」は一人の女性が社会の巨大な不公平に立ち向かう話である。彼女の夫も社会も彼女になんら救いの手を差し伸べないにもかかわらず、母親はどんなことをしてでも子供たちを支えていかないといけない。ジェームズ・M・ケイン

それにもかかわらず、ワーナー・ブラザーズが『ミルドレッド・ピアース』を殺人ミステリに仕立て上げ、フラッシュバック構造を用いたのには理由がある。

一つには『深夜の告白』の影響があった。ケインの原作がプロダクション・コードに引っかからずにPCAの了承が降りたことは、ハリウッドにとってセンセーショナルな出来事だった。そしてそのセンセーションが興行成績に直結しているのを目撃していた。同じ柳の下のドジョウを狙ったスタジオは、危険な香りのするケインの小説原作の映画化を立て続けに開始する。ワーナー・ブラザーズは『ミルドレッド・ピアース』の映画化とともに、ケインの別の作品「セレナーデ」の映画化権も購入した。MGMは棚に放り込んで忘れていた『郵便配達は二度ベルを鳴らす』を引っ張り出してきて撮影を開始する。ジェリー・ウォルドは『深夜の告白』に魅せられたプロデューサーの一人で、『ミルドレッド・ピアース』の撮影に入る前に、このライバル社、パラマウントの映画を繰り返し見ている。他にもアルフレッド・ヒッチコックの『レベッカ(Rebecca, 1940)』、フリッツ・ラング監督の『飾り窓の女(Woman in the Window, 1944)』などを試写して、フラッシュバックの構造について研究していたという[13]。

もう一つの理由は戦争である。正確に言えば、戦争が終わりに近づいていることである。日本がサイパンで完敗を喫しているころ、ジェリー・ウォルドもジャック・ワーナーもこの戦争はやがて終わって元の平和な日々が戻ってくると考え始めていた。『北大西洋(Action in the North Atlantic, 1943)』や『決死のビルマ戦線(Objective Burma!, 1945)』といった戦争プロパガンダの需要は下火になり、女性の観客に向けた「女性映画」を準備する必要があるだろうと予見していたのである。1944年にはすでに除隊した(男性)兵士たちも観客に加わり始めていた。女性向けに「母親が苦労する物語」、男性向けに「殺人ミステリ」と考え、それらのハイブリッドとして脚本が練られている。さらに1945年の夏に公開予定だったものを、日本の降伏を見越したジャック・ワーナーが、この作品は「戦後の雰囲気に似つかわしい」と考えて日本敗戦後の9月にまで公開を延期したのは慧眼だったといえよう。

『ミルドレッド・ピアース』に殺人ミステリの要素を加えたのは興行的要請だった、しかも男性/女性の観客を想定したうえでの戦略だったのは重要だ。本当に当時の観客の嗜好が、男性は殺人ミステリ、女性はメロドラマ、だったのかは不明だが、プロデューサーたちがそう考えていたのは事実のようだ。『ミルドレッド・ピアース』がフィルム・ノワールと女性メロドラマの重層的な性格を持っているのは批評の問題ではなく、すでに製作の段階からの戦略そのものだったのである。

戦争と女性

アメリカは過剰反応を好む国である。一種のパラノイアといってもよいかもしれない。1944年の末でもカリフォルニアの海岸線は夜になると灯火管制が敷かれていた。殺人の舞台となるモンティ・バラゴンのビーチハウスの撮影も海軍の許可と検査(実際の撮影フッテージの確認)が入り、夜間の撮影は大幅に許されているものの、昼間の撮影は戦略的要地の地形を開示してはいけないという理由で極度に制限されていた。しかし、ミルドレッドとモンティが明るい陽光の下で海水浴ではしゃぐシーンは、その後のハリウッド映画に数多く登場するカリフォルニアの海の映像の嚆矢ともいえる。

ロサンジェルスの海岸線での昼間の撮影は海軍から制限を受けていた。

ビーチハウスは、映画監督のアナトール・リトヴァク所有のものとも、マイケル・カーチス監督自身の所有のものとも言われているがはっきりしない。いずれにせよ、マイケル・カーチスがこのビーチハウスを殺人の舞台として利用することを提案したのは、この作品に新しい次元を与えたといってよいだろう(当初の案ではアローヘッド湖が舞台になる予定だった[14])。ロサンジェルスの有閑階級が集まるマリブの海岸線を背景に、貧しい家庭出身のミルドレッドが水着で遊ぶ。同じビーチハウスが、夜には奈落の入り口になる。冒頭の殺人のシーンのセットは、ワーナー・ブラザーズのサウンドステージに美術のアントン・グロットが上述のビーチハウスの内部を模して作らせたものだ。

ジョーン・クロフォードといえば「肩パッド」がトレードマークだ。オープニングのシーン、殺人のあとにミルドレッドが桟橋で自殺を考えているシーンでは、まるで冗談のような巨大な肩パッドの入った毛皮のコートを着ている。あたかも今まで彼女が身に着けてきたあらゆる肩パッド入りドレスを凌駕するためにデザインされたような衣装である。その彼女が、フラッシュバックの最初のシーンでは「肩パッドの入っていない」主婦のドレスを着て登場する。作品の展開に合わせてクロフォードの衣装を追っていくと、肩パッドはミルドレッドが最初のレストランを開けたときから目立ち始める。この「ビジネス」と「肩パッド」の関係は必ずしも偶然ではない。

1940年代、女性たちのファッションのスタイルは、アメリカ軍の制服に非常によく似ている。銃後の女性たちが来ていた衣服の裁断や色は、ヨーロッパや太平洋戦線で戦っている兵士たちが着ているものにそっくりだった。ブラウスやジャケットは軍事色が濃くなり、肩パッドを入れて男性的になり、帽子もアメリカ軍のベレー帽に似たスタイルのものが現れた。ジェシークラッツ[15]

ここでも、前述の戦時下の女性の「男性化」と職業、自立といった関係が強調されている。ミルドレッドはより自立していくにつれ、肩パッドが大きくなり、最後にはパロディとしか思えないほどに肥大化してしまう。

経済的に独立する前のミルドレッド。肩パッドは入っていない。
職を探しているときのミルドレッド。トレンチコートだが、肩パッドは入っていない。
レストランの新規開店を準備するミルドレッド。肩パッドは入っていない。
レストランを開業した日のミルドレッド。肩パッドが入っている。
レストラン・チェーンの経営者となってからは肩パッドの入ったドレス、スーツを着ている。
巨大な肩の毛皮のコート。

戦争の影がファッションに表れているのは肩パッドだけではない。この映画では、他の多くのフィルム・ノワールがそうだったように戦争について全く言及されないのだが、唯一、戦争中であることが示唆されるのが、「ナイロン(ストッキング)がしばらく手に入りにくくなったというのはうれしい限りだね」というモンティのセリフだけである。これはナイロン自体が戦時の物資統制で一般市場には出回らなくなっていたことを指している。やはり物資の統制でスカートの丈が短くなり、さらにストッキングが手に入りにくくなっていたために、多くの女性が素足を見せていた、と上記のナショナル・アーカイブの記事でも述べられている。モンティのセリフは、レストランの準備で脚立に上って作業をしているミルドレッドの脚を見ていうセリフである。この奇妙な「男性化する肩」と「セックスオブジェクトとしての脚」の組み合わせは、ハリウッドに特徴的な傾向かもしれない。これは特に戦時戦後期に限った現象ではないように思われる。もともとサイレント末期、その後の1930年代から、クロフォード自身が「肩パッド」と「踊る脚」でスクリーンに強い印象を残してきた女優である。むしろ、戦時期の比較的硬直化したファッションの状況下においても、そういった傾向をスクリーンに持ち込む感覚に奇妙な執着、フェティシズムの存在を感じざるを得ない。

ナイロンストッキングが手に入らない時代

戦時下において、女性が職業に就いて自立したことを「男性化」ととらえ、戦争の終結とともに女性は家庭に戻るべきだという風潮が起こり始めていた。その先鞭を切ったのが『ミルドレッド・ピアース』のような映画だ。もし仮に女性の自立を男性が恐れていたのだとすれば、それは『深夜の告白』のフィリスのようなファム・ファタールではなく、ミルドレッドのように「自分一人でやっていくわ」と言って実際に成功してしまう女性たちのほうだろう。だが、実際にはそんな女性がどれほどいただろうか。果たして本当に「女性が男性の職業を取ってしまって、男性が職にあぶれる」などといった事態が問題になっただろうか。しかも、『ミルドレッド・ピアース』で常に働いている一人の女性、メイドのロティは、働いていることすら問題にされていない。彼女はまるでそれが当たり前であるかのように、白人の家庭で起きる諍いのすべてに無頓着で無知である人物として描かれている。彼女が働いていることはまるで「仕事」ではないかのように、彼女が経済的に自立しているのか、していないのかは、全く物語の関心の埒外で、無視され続ける。所詮仕事といっても白人の男性から見た、白人の女性の話に過ぎないのだ。

戦争直後の世相を見る限り、ただ単に多くの働き盛りの男性が一気に除隊するせいで就職が厳しくなり、その根底で恐慌からくすぶっていたアメリカの資本主義社会の変化がさらに露わになっただけのように思える。いつでもそうだが、強い立場の者たちが苦境に立たされると、自分たちの不遇は、ある種の他人(自分より弱い立場の者)が無責任で自分勝手だからだと非難される。

『ミルドレッド・ピアース』が解決できなかった問題 ───殺人ミステリを導入しないと、ヴィーダのような人物を描けず、独立した女性の母性が遭遇する状況を描けない─── は長いあいだモラトリアムに放り込まれたままだった。70年代以降のフェミニズム批評とそれと並行して生まれてきた女性映画の流れは、そういった問題にある種の答えを示しているかもしれない。

Links

デヴィッド・ボードウェルは、この作品のフラッシュバック構造に注目し、それがいかに効果的に観客を欺いているかを分析している[16]。

TCMのサイトは、情報源として非常に充実している。

Data

ワーナー・ブラザーズ 配給 10/20/1945 公開
B&W 1.37:1
113 min.

製作ジェリー・ウォルド
Jerry Wald
出演ジョーン・クロフォード
Joan Crawford
監督マイケル・カーチス
Michael Curtiz
ジャック・カーソン
Jack Carson
脚本ラナルド・マクドゥーガル
Ranald MacDougall
ザッカリー・スコット
Zachary Scott
原作ジェームズ・M・ケイン
James M. Cain
イヴ・アーデン
Eve Arden
撮影アーネスト・ホーラーErnest Hallerアン・ブリス
Ann Blyth
編集デヴィッド・ワイスバート
David Weisbart
ブルース・ベネット
Bruce Bennett
音楽マックス・スタイナー
Max Steiner
バタフライ・マックィーン
Butterfly McQueen

References

[1]    R. Hoopes, Cain. New York : Holt, Rinehart and Winston, 1982.
[2]    P. Skenazy, James M. Cain. New York : Continuum, 1989.
[3]    D. Madden, James M. Cain. New York, Twayne Publishers, 1970.
[4]    J. C. Robertson, The Casablanca man : The Cinema of Michael Curtiz. London ; New York : Routledge, 1993.
[5]    A. K. Rode, Michael Curtiz: A Life in Film. University Press of Kentucky, 2017.
[6]    L. J. Quirk and W. Schoell, Joan Crawford : The Essential Biography. Lexington, KY : University Press of Kentucky, 2002.
[7]    S. Farber, “FILM NOIR: The Society; Violence and Bitch Goddess,” Film Comment, vol. 10, no. 6, p. 8, 1974.
[8]    J. Sochen, “Mildred Pierce and Women in Film,” Am. Q., vol. 30, no. 1, pp. 3–20, 1978.
[9]    C. Palmer, The Composer in Hollywood. London ; New York : Marion Boyars ; New York : Distributed in the United States and in Canada by Rizzoli International Publications, 1990.
[10]    M. Walker, “Film Noir: Introduction,” in The Book of Film Noir, New York: The Continuum Publishing Company, 1992.
[11]    T. Doherty, Pre-Code Hollywood: Sex, Immorality, and Insurrection in American Cinema, 1930–1934. Columbia University Press, 1999.
[12]    T. K. Hoover, “The Good, the Bad, and the Beautiful: Motherhood, Occupational Prestige and the Roles of Women in Hollywood Films of the 1940s and 1950s,” UC Riverside, 2010.
[13]    S. C. Biesen, Blackout: World War II and the Origins of Film Noir. JHU Press, 2005.
[14]    K. Hutch, “Mildred Pierce: From Script to Screen,” in The Many Cinemas of Michael Curtiz, R. B. Palmer and M. Pomerance, Eds. University of Texas Press, 2018.
[15]    jessiekratz, “Shorter Skirts and Shoulder Pads: How World War II Changed Women’s Fashion,” Pieces of History, 08-Sep-2014. [Online]. Available: link
[16]    “Twice-told tales: MILDRED PIERCE,” Observations on film art. [Online]. Available: link.