FILM

Double Indemnity (1944)

深夜の告白
Double Indemnity

パラマウント・ピクチャーズ
1944年

クロウ
照明がドラマティックな箇所がありますね。ドイツ表現主義に影響を受けましたか?

ビリー・ワイルダー
いや。ドラマティックな照明は確かにあるが、ニュース映画の照明法だね。

 

 

Synopsis

深夜のロスアンジェルスの通りを乱暴に走る一台の車。ビルの前に停車したこの車から出てきたのは、腹部を撃たれ、瀕死の保険外交員ウォルター・ネフだった。彼は誰もいないオフィスに戻り、ディクタフォンに告白を始める。それは、自分が売った生命保険にからんだ不倫と殺人の告白だった。

 

 

Quotes

Yes, I killed him. I killed him for money – and a woman – and I didn’t get the money and I didn’t get the woman. Pretty, isn’t it?
そうだ、俺があいつを殺したんだ。金欲しさに、-それに女のために、殺したんだ。で、金も手に入らなかったし、女も手に入らなかった。見事なもんだろ?
― ウォルター・ネフ(フレッド・マクマレー)

 

 

Production

1943年の3月、パラマウントはジェームズ・M・ケイン原作の「殺人保険」の映画化権利を取得した。プロダクション・コードに引っかかるという警告を無視してまで、ビリー・ワイルダーが映画化を望んだからと言われている。ワイルダーは彼の秘書が熱心にこのミステリを読んでいるのを見て、映画化に乗り気になったらしい。ビリー・ワイルダーの永年の脚本パートナー、チャールズ・ブラケットはこの中編小説を「陰気」だといって共同執筆を拒んだと言われている。実際には、ブラケットとワイルダーで初稿を書き上げたものの、ブラケットが製作に参加しようとしたことから話がこじれたらしい。

原作者のジェームズ・M・ケインは、「郵便配達は二度ベルを鳴らす」が代表作だが、その他にも「ミルドレッド・ピアース」や「間奏曲」など映画化された作品も多い。彼は1931年から17年間もハリウッドで脚本家として仕事をしていたが、クレジットされているのはごく数本にすぎない。そのなかで最も有名なのは『カスバの恋(Algiers, 1938)』であろう。ほとんど無名の脚本家としてハリウッドでくすぶっていたケインはそれでも短編や連載を発表していたが、どれも「ラードナーとオー・ヘンリーとメンケンのツギハギの偽物(ロバート・ポリト)」といった精細を欠いたものだった。ところがそれが「郵便配達」と「殺人保険」で一変する。ロサンジェルスの空気に、何か腐食性の粒子でも浮遊していたのか、彼のダイアローグは、恐慌で硬く脆くなった人物たちを侵食し破壊し始める。そのなかでも「殺人保険」は、保険会社に勤める一見無害な人物ウォルター・ハフが、フィリスの底知れない邪悪を引きずり出してしまう、という点で極めて異様な物語である。これは、1927年にニューヨークで起きたルース・スナイダー保険金殺人事件(ルース・スナイダーが不倫相手のヘンリー・ジャド・グレイと組んでルースの夫、アルバートを殺害、生命保険の「倍額保険(double indemnity)」を受け取ろうとした事件)が下敷きになっている。ルースの死刑の瞬間を、シカゴ・トリビューン紙のトム・ハワードが隠しカメラで盗撮し、センセーショナルに報じられたことでも有名である(この盗撮騒ぎを映画化したのがジェームズ・キャグニー主演の『駄々ッ子キャグニー(Picture Snatcher, 1933)』)。

チャールズ・ブラケットに断られ、原作者のケインは別の作品に取り掛かっていたため、パラマウントはレイモンド・チャンドラーを共同執筆に選んだ。チャンドラーはケインの作品を毛嫌いしていたが、それでも週750ドルは十分に魅力的だった。ワイルダーは監督3作目、チャンドラーは初めての映画脚本担当である。エキセントリックに杖を振り回す37歳のワイルダーと、パイプを燻らせ「会計係のような」身なりの55歳のチャンドラーの13週間は想像を絶する苦行だったようだ。

『深夜の告白』でビリー・ワイルダーと仕事をしたことは苦しい経験だった。恐らく寿命がそのせいで縮んだと思う。だが、お陰で映画脚本については、私の限られた学習能力の範囲内ではあったが、学ぶことができたと思う。
レイモンド・チャンドラー(ハミッシュ・ハミルトン宛の手紙,1950年)

チャンドラーは極めて神経質で、他人と長時間一緒にいることに耐えられない性格だったが、一方のワイルダーは始終女友達と電話で話し、興奮して杖を振り回し、挙げ句の果てはトイレにこもったまま出てこない、という具合。チャンドラーのアルコール依存症がさらに状況に拍車をかけた。共同執筆から4週間目には、チャンドラーがパラマウントに正式に苦情を申し立てる。ワイルダーの悪癖、態度、言葉遣いを事細かに描写した手紙をオフィスに送りつけたのである。プロデューサーのシストロムが仲裁に入って、危機的状況をなんとか切り抜けた。問題は、ここまでお互いのことを憎み合っている二人が力を合わせて、プロダクション・コードによる検閲と戦わなければならなかったのである。

ケインの原作は連作として発表された当初からハリウッドの映画スタジオが映画化を模索していたが、その度にプロダクション・コードを実際に運用して検閲をしていたブリーン・オフィスから警告を受けていた。MGMも映画化権を検討したが、ブリーン・オフィスから警告の手紙がルイ・B・メイヤーに直接送付されている。パラマウントは、映画化権を購入する前に、ビリー・ワイルダーにこの手紙を見せて「それでも映画化するつもりか」と確認した。ブリーン・オフィスは「殺人保険」の映画化に際して問題を三点指摘している。

1.中心人物が、殺人犯の男女であること。

2.その男女が不倫関係にあること。

3.犯罪の描写が具体的で、模倣が可能であること。

特に3.が問題視された。ワイルダーとチャンドラーの1943年7月版の脚本が却下された理由も「犯罪者によって模倣可能な詳細が多すぎる」だった。これを回避するために、鍵となる殺人のシーンはいずれも、殺しの生々しい描写ではなく、バーバラ・スタンウィックの顔のクロースアップだけになる。情事も暗示されるが決してそれ以上ではない。

ワイルダーは、ケインの小説中の会話をなるべくそのまま流用しようと考えていた。しかし、チャンドラーは実際にそれをセリフとしてしゃべるとおかしくなってしまう、と主張し、ここでも二人は険悪な雰囲気になってしまう。ワイルダーは自分が正しいことを証明しようと、パラマウントの俳優を呼びケインのセリフで台本読みをさせる。ここで、ワイルダーは自分が間違っていたことに気付く。ケインの小説に出てくる会話は映画の台本としては不適切だった。セリフは大幅に書き換えられ、チャンドラーが多くの印象深いセリフに貢献した。

ジョー、君の書く会話は「眼」で視るものになっちゃってるんだよ
レイモンド・チャンドラー、ジェームズ・M・ケインに対して

『深夜の告白』は配役でも難航する。主役のウォルター役は、パラマウントの契約下にある俳優達から軒並み断られてしまう。当時としては「他人の夫を殺したうえに、女に騙される」という役はキャリアに傷がつくどころか、事によっては俳優生命を断つことになりかねないと危惧されたようだ。ジョージ・ラフトに至っては「で、このウォルターって奴はいつ警察のバッジを出すんだ?」と聞く始末。不思議なことにディック・パウエルはウォルター役をやりたがったが、他の映画に出演中だった。ビリー・ワイルダーは、フレッド・マクマレーの「アメリカンな、健康的な、隣りに住んでいる男性」イメージがウォルターの役にはぴったりだと考え、マクマレーを説得にかかる。フレッド・マクマレーはジーン・ロジャーズなどと軽いミュージカルやコメディで共演し、演技よりもその清々しさで売っていた。不倫殺人の主犯役のオファーに躊躇するのは無理もないだろう。一方でフィリス役には、プレコード時代から「強い」女性や悪女を演じてきたバーバラ・スタンウィックが候補にあがった。しかし、スタンウィックもここまでの悪女を演ずることには躊躇する。ワイルダーはマクマレーに「スタンウィックは、君が出演するなら出ると言っている」と言い、スタンウィックには「マクマレーは、君が出演するならこの難しい役に挑戦すると言っている」と言って、結局両方の了解を得た。パラマウントは、マクマレーが報酬交渉で高飛車に出ているタイミングだっただけに「お灸をすえる」つもりでマクマレーの配役にゴーサインを出したようである。

撮影は1943年9月から11月までほぼ2ヶ月間だった。原作では主人公の名前はウォルター・ハフだが、ロサンジェルスに同姓同名の保険セールスマンが偶然実在したため、ウォルター・ネフに変更した。ワイルダーがスタンウィックにかぶらせたブロンドのかつらはあまりに突飛で、パラマウントの重役に「おや、スタンウィックかと思ったら、どうしてジョージ・ワシントンが出てるんだ?」と皮肉られてしまう。夫の死体を始末した後に、フィリスとウォルターが車で現場を離れようとすると、エンジンがかかならいシーンは、ワイルダーの実体験に基づいている。

この作品、実はレイモンド・チャンドラー自身がカメオ出演している。開始14分を過ぎたあたりで、ネフがキイズのオフィスを出ていくとき、廊下の椅子に座って本を読んでいるのがチャンドラーである。

撮影監督はジョン・F・サイツ。サイレント期にレックス・イングラム監督と頻繁に組んで、メトロ(MGMの前身)のステータスを高めた。そのうちの一つ『黙示録の四騎士(Four Horsemen of Apocalypse, 1923)』はルドルフ・ヴァレンチノを世に送り出しただけでなく、その後の撮影技法に多大な影響を及ぼした。彫刻家でもあったイングラムとともに「レンブラント照明」「キアロスクーロ」を積極的に取り入れたことでも知られる。ビリー・ワイルダーとは、『深夜の告白』のほかに『熱砂の秘密(Five Graves to Cairo, 1943)』『失われた週末(The Lost Weekend, 1945)』『サンセット大通り(Sunset Boulevard, 1949)』で組んでいる。『深夜の告白』で、ディートリクスン邸の屋内を埃っぽくしてほしい、とビリー・ワイルダーに頼まれ、アルミナの粉を吹いてブラインドを通した光で埃っぽく見せた。

ロケーション撮影も幾つかのシーンで行われている。ディートリクスン邸の外観はスパニッシュ・コロニアル・スタイルの贅沢な実際の邸宅のもので現在も保存されている(邸内はパラマウント・スタジオ内に成功なレプリカを作って撮影した)。ウォルター・ネフのアパートの外観もロサンジェルスに現存するアパートである。ウォルターとフィリスが密会するジェリーズ・マーケットは、パラマウント・スタジオの向かいにあった。殺人のアリバイ作りのために列車を使うのだが、ウォルターが列車に乗り込むのはサザン・パシフィック鉄道のバーバンク駅、それに「グレンデール駅」の駅名標をかけて撮影した。当時は第二次大戦中で、ロサンジェルスは灯火管制が敷かれていたため、夜のシーンの幾つかはアリゾナのフェニックスで撮影したという記録もある。

ネフのアパートのドアは、廊下に向かって開く。このドアがウォルター/フィリス/キイズの三角関係を表現する重要な道具になるのだが、アメリカのアパートではドアは内側に開くのがほとんどであり、「奇妙」だと言われ続けてきた。ワイルダーは後年このことを聞かれるたびに「あれは間違った」と答えている。

この作品にエンディングの別バージョンがあったことは有名で、ビリー・ワイルダー自身がインタビューで幾度となく語っている。ウォルターの死刑執行をキイズが見ている、というシーンである。死刑は窓のあるガス室で執行される。ガス室は実物のレプリカで(ワイルダーによれば5000ドルかかった)、椅子が二つ用意されている。「二人が共謀して殺人を犯した場合には同時に死刑執行するんだそうだ。だけど、ここでは一方の椅子は空いている。」覗き窓から見えるウォルターのクローズアップとそれを見つめるキイスの顔のクローズアップ。ペレットが投入され、覗き窓の向こうがガスの霧で見えなくなる。キイスは黙って立ち去る。そういったシーンだったそうだ。非常に出来の良いシーンだったが、結局不必要だと判断したワイルダーは、現在のエンディング ーー重傷を負ったウォルターとキイスの会話、と遠くに聞こえるサイレンの音ーー を採用した。

(このオリジナルのエンディングのバージョンを)どうしてレーザーディスクとかDVDでリリースしないのですか?
うん、パラマウントに話をしていないし、大体パラマウントがもう(著作権を)持っていないんだよ。ユニバーサルが持っているんだ。・・・(話をしても)担当者は僕が何を言っているかわからないんじゃないかな。
ビリー・ワイルダー

撮影日数は51日間、製作費は$927,262(予算は$980,000)。

 

 

Reception

公開当時から、作品の評価は極めて高く、興行的にも非常に成功した。

パラマウントの『深夜の告白』は、トップクラスの素晴らしい演技と見事な演出が見どころのタフなメロドラマである。手に汗握るサスペンス、例を見ないユニークな瞬間が詰め込まれている。
Motion Picture Daily

メロドラマのエンターテイメントとしては最高。演技、演出、撮影、どれをとっても秀でている
Film Daily

これは興行成績の保険(insurance)付き。これで、フレッド・マクマレー、バーバラ・スタンウィック、エドワード・G・ロビンソンの人気俳優が名を連ねているのだから倍額支払(Double Indemnity)だ。
Variety

ロサンジェルスのプレビューを観た原作者のケインは、ロビーでワイルダーを見つけると「いままで映画化された自分の作品のなかで、はじめてまともなものをみた」とワイルダーを抱きしめたという。興行成績は560万ドルに達し、1944年のヒットとなった。ただし、当時の人気映画はビング・クロスビーが出演する映画であり、『我が道を行く』は1440万ドル、『聖メリーの鐘』は1770万ドルと桁違いの興行収入を叩き出していることを忘れてはいけない。

アカデミー賞で、作品、主演女優、監督、脚本、撮影、音楽、録音の7部門にノミネートされたがいずれも受賞を逃した。

意外にもレイモン・ボルド&エティエンヌ・ショーモンは『深夜の告白』をフィルム・ノワールの重要作品とは考えていなかったようだ。一方、ポール・シュレーダーは「ホードボイルドの伝統」として『深夜の告白』を位置づけている。

ハリウッドのなかで最もハードボイルドな作家であったのは、レイモンド・チャンドラー自身にほかならない。彼の『深夜の告白』の脚本(原作はジェームズ・M・ケイン)は、この時代で最も優れた、最も特徴的なノワール作品である。
ポール・シュレーダー

『深夜の告白』は、殺人を犯すときの手段、動機、機会について探った初めてのハリウッド映画と言えよう。「憎しみの街角」からの物語がどれもそうであるように、これは今の安定した生活を投げ出してでも、自らの退屈な存在に変化をもたらそうと大きなリスクをとる人間の話である。
エディ・ミューラー

その後のこの作品に対する評価は挙げるときりがない。だが、ロジャー・イバートの評は的確にこの映画の中心と限界を突いているので、ここに挙げておく。

ウォルターとフィリスは自分たちのスタイルに酔っているのだ。映画やラジオ、探偵小説雑誌で学んだスタイルだ。まるで、ベン・ヘクトの犯罪映画のセリフから生み出されたようなスタイルである。ウォルターとフィリスはパルプ小説のキャラクターのように精神的な深みなどなく、それがまさしくワイルダーが望んだ人物造形だったのだ。
ロジャー・イバート

 

 

Analysis

真珠湾攻撃とハリウッド

映画『深夜の告白』は、第二次世界大戦への言及を一切拒否している。舞台は戦前の1938年、ウォルターがディクタフォンに吹き込む日付から明らかである。ウォルターの日常は、フィリスが現れなければ、いつもどおり無為に過ぎていくものだった。ドライブイン・カフェでビールを飲み、独りでボーリングをして暇をつぶす。彼の部屋は殺風景だが、ボクサーの画の額がいくつか壁にかけられている。学生時代にウォルターはボクシングをしたに違いない。彼の職場にも戦争の影はまったく無く、姑息な手段で保険会社をだまして保険金を手に入れようとする愚かな者たちが、キイスに見破られる日々である。だが、にもかかわらず、この映画は戦争の匂いしかしない。頻繁に指摘される、登場する自動車の型や、衣装のスタイル、ウォルターの『フィラデルフィア物語』への言及などの表面上のアナクロニズムに限らない。戦時下の映画製作における緊縮や物資統制も現出しているが、同時に視覚的な「統制」がスクリーンを覆っている。

1941年12月、真珠湾攻撃とともにアメリカは、ごく表面的に保ってきた中立を破って第二次世界大戦に参戦することになる。戦争はハリウッドにも様々な形で影響を与える。ワーナー・ブラザースのように、製作会社のなかには既に1930年代から反ナチス色を打ち出したところもあったが、それがハリウッド全体に広がり、プロパガンダ色の強い作品が多く製作されるようになった。映画製作者やスタッフ、俳優も兵役に就いたり、OSSなどの特殊任務に参加したりする者が多かった。

ハリウッドでの映画製作そのものも戦時下の様々な統制にさらされることになる。物資の制限、電力使用の制限、灯火管制など、当時の例えば日本に比べれば格段に緩いとは言え、それまでのハリウッドのトレードマークであった豪奢で明るい画面を気安く撮り続けることが困難になる。資材の制限は、撮影セットの使い回しや安い材料の採用を必然的に生み出した。灯火管制のおかげで、夜のロケーション撮影は少ない照明で行われなければならなくなる。『深夜の告白』はその状況の最中で製作された。

突如として、ハリウッドの映画会社は、昼間のロケーション撮影を制限されてしまった。安全上の理由、戦争に関わるガソリン、タイヤ、自動車などの物資の配給、それに資材の不足が主な理由だ。飛行機、列車、線路、橋、生産施設や輸送施設の撮影も機密上の理由から禁じられた。夜間のロケーションは可能だったが、灯火管制や上空を飛び回る警戒機の騒音に常に悩まされた。
シェリ・チネン・ビーゼン

戦時中の米国内の灯火管制については資料も少なく、あまり知られていない。しかし、真珠湾攻撃によって米国が太平洋、欧州の両方で参戦することになった直後から、東西両海岸側で夜間の灯火管制が敷かれている。これは夜間の敵襲に備えてのことだが、特にドイツのUボートが東海岸沖で猛威をふるっていた。西海岸もワシントン州からカリフォルニア州まで、都市部は灯火管制が発動される。夜間には各家庭で窓に黒いカーテンをする、オフィスビルは消灯する、車のヘッドライトは暗くする、などの通達が出ている。この灯火管制は1941年12月から1943年11月まで続いたようである。

灯火管制の具体的な様子を写した写真がある。ロサンジェルスではないが、1941年12月のシアトルでの灯火管制前と管制中を比較した写真である。これは最も劇的に相違する二枚を選んだが、他の写真では、明るいネオンサインを点灯したままの店もあるし、そもそも街路灯は点灯したままの場合もある。しかし、いづれにせよ、夜の街の風景が変容した。ビルの窓の列は暗く沈み、舗道は夜の闇に溶け込んでしまい、道端に停車した車は黒い塊となってしまう。そしてこの矯正された暗さに沈む都会のストリートの風景は、そのまま『深夜の告白』のオープニングにつながっていく。ウォルター・ネフが車を走らせるのは灯火管制下のロサンジェルスなのだ。

シアトル 1941年12月12日 灯火管制の前
シアトル 1941年12月12日 灯火管制下(写真はSeattlePIより)
深夜の告白

『深夜の告白』が製作された時には既にアメリカの参戦から二年が経過しており、戦争という非日常が常態化していた時期であろう。東海岸の沖でUボートが猛威をふるって海域をコントロールしていたころ、ミッドウェイもノルマンディーもまだ先のことである。灯火管制の夜の闇は、システムの統制が個人の生活を侵襲する、最も直接的な視覚の体験であったはずだ。その体験の共感が、戦中から戦後のアメリカ映画のスタイルに反映されたとしても不思議ではない。

防空指導員というのは、暗闇の中を急な坂道を車を走らせて、丘の上の家々がちゃんと電気を消したり、真っ黒なカーテンを引いているか見て回っていたんだ。南カリフォルニアはグラウマンのチャイニーズ・シアターに日本軍が「真珠湾」しにやってくると本気で思っていたからね。
ジェームズ・M・ケイン(防空指導員の経験について)

家族の破壊

『らせん階段』のように、女性を中心にすえたフィルム・ノワールでは、脅威は家庭のなかの身近な男性であることが多い。一方、男性が破滅していく典型的なフィルム・ノワールでは、男性はファム・ファタールの性的魅力に溺れて規範を犯し、最後は自滅していく、という骨組みである。そのように多くの映画批評で総括されてきた。『深夜の告白』は、男性が破滅していくフィルム・ノワールの典型とされ、フィリス・ディートリクソンは、ファム・ファタールの兼ね備えるべき全てを持つキャラクターだと言われてきた。しかし、そのような雑な造りの金型に多くの作品を押し込んで、フィルム・ノワールとして批評することは実に皮相的で非生産的だ。実際には多くの批評はその皮相さを指摘してきたにも関わらず、である。

『深夜の告白』が非常に興味深いのは、その最初にディートリクソン家という「家族」が存在している、という点である。たとえその「家族」が既に精神的なレベルでは崩壊していたにせよ、物理的には父、後妻、娘というかたちがあった。それを破壊する力学上のエネルギー源は、他でもないウォルターである。彼が破壊のシナリオをフィリスに持ちかけ、実行する。そのエネルギー源は、フィリスに対する性的欲求、略奪欲求、あるいはオイディプス・コンプレックスのドライブ、すなわちディートリクソンという「父」から女を奪う欲望、だという解釈は、この映画をよく見ると実は成り立たない。これは、当時の検閲のせいでもあるのだが、ナラティブで示されているウォルターとフィリスの間の性的関係は実に薄く、ウォルターが特に執拗に執着している様子がうかがえない。興味深いことに、ケインの原作では、ウォルターのフィリスへの性的執着は更に薄く、フィリスの「魅力」が不思議なくらい叙述されていない。つまり、「ファム・ファタールの性的な誘惑に抗いきれずに自滅する」という雑な金型は、後世の(主に男性の、或いは男性の視点からの)願望が転写されたものにすぎないのだ。こういった雑な金型は、ジジェクのような雑な論者によって更に「ファム・ファタールはその最期に訪れる不在によって対象を構成する」というどの映画にも当てはまらない言説にまで腐爛してしまう。フィルム・ノワールをめぐる言説には、こういった自堕落な妄誕が氾濫している。

では、ウォルターのエネルギー源はどこから来ているのか。それは、物語のなかで幾度も述べられている、「キイスに見つからないこと」、つまりウォルターを取り囲む「システム」(この場合はキイスを含む保険業界)に「勝ちたい」という願望である。そのご褒美として「女」と「金」がある。だからウォルターは「女も金も手に入らなかった」と並列に語るのだ。彼の部屋にボクサーの画が飾られているのも、勝負というものに対するウォルターの密かな崇拝が具現化しているだけなのだ。

アメリカの社会においては、経済活動、政治運動から日々の職場でのやり取りに至るまで「勝負」が前面に出てくることが頻繁にある。特に20世紀の初頭から第二次大戦期にかけて、合理主義や科学的観念論がキリスト教の倫理の枷を外し、そのなかで社会進化論に見られるような競争原理への転回が、様々な社会的な事態を正当化するように見えた。もちろん、その正当化の過程に強い反証を突きつけたのが1930年代の恐慌の時代である。ハリウッドでは特にその産業の巨大さと経済的な余裕から、組合活動や反ファシズム活動といった、競争的資本主義に対する造反を吸収する余裕があった。その「余裕」は、ディートリクソン家や保険会社に見られるような、アメリカ中産階級への批判的な視線として立ち現れているのである。これは、ワイルダーもその生涯を通じて作品のなかで、根拠のないアメリカ中産階級のモラルを時には正面から、時には諧謔的に批判を加えてきたし、チャンドラーはまさしく「勝つ」という解決法に意味を見いだせない者たちの精神について書き続けてきた。

『深夜の告白』で、ワイルダーとチャンドラーが執拗に描くのは、登場する人物たちが自らのモラルの欠損部分についてまったく自覚することなく生きている姿である。エヴァンスが指摘するように、ディートリクソンから、ローラの恋人のニーノ、キイスとウォルターの上司のノートンにいたるまで、登場する男はすべからく、尊大、自己中心的、無能か、でなければキイスのように女性蔑視が骨髄まで染み付いているような人物ばかりである。そのなかでもウォルターは、表面的な社交性を維持しつつも、内部に秘めたモラルの破綻がにじみ出てきてしまうのである。こういった欠損は別に悪いことではないのだが、そこに気づかないで勝負を挑んで決着をつけることに強い疑問を投げかけているのだ。

イバートの言う「パルプ小説のキャラクターのように精神的な深みなどない」人物たちの「歪んた人物造形」をあえてワイルダーとチャンドラーが選んだのは、そこに起源がある。欠損を誰もが咀嚼できる形にして提示し、深みがないからこそ観客がリアリティを感じることができる。

『深夜の告白』の、この破壊された家族の物語は、修復というかたちでカタルシスを迎えることを完全に拒否し、家族は破壊されたまま終わる。最後まで、中産階級のモラルの根本的欺瞞に同調せず、MGMのルイ・B・メイヤーが好んだ、家族のためのエンターテイメントが最終的に迎合する世界観を支持しないで終わる。『深夜の告白』が今も響鳴するとすれば、まさしくその点である。中途半端な共同体思想や大して科学的でもない「科学的」合理主義が跋扈すればするほど、そこに自らのモラル的な欠損を認められずに勝負を持ち込んでしまう隙きができてしまうのだ。我々の多くが、勝負というかたちでしか回収できない事態に積極的にも消極的にも加担していることは、当時も今も変わらないはずである。

平均的な男が突然、殺人者になったんだ。中産階級の暗黒面さ。普通の男が殺人者になっていくという。ビリー・ワイルダー

 

 

Links

ロジャー・イバートによる評論は、その表面的な読みやすさ、アクセスのしやすさとは裏腹に刺激的な示唆と洞察に満ちている。

マシュー・デセムは、チャールズ・ブラケットとビリー・ワイルダーの共同作業の歴史を紐解き、いままで語られていなかった側面にも言及している。

filmnoirs.netでは、使用されなかったエンディングについての詳細な描写と分析を紹介している。

IEC(Internet Encyclopedia of Cinematographers)のサイトでは、ジョン・F・サイツの詳しい伝記が記載されている。

Movie Touristのサイトでは、『深夜の告白』で使われたロケーションの現在を紹介している。

 

 

Data

パラマウント・ピクチャーズ配給 1944/4/21公開
B&W 1.37:1
107分

製作バディー・G・デシルヴァ
Buddy G. DeSylva
出演フレッド・マクマレー
Fred MacMurray
製作ジョセフ・シストロム
Joseph Sistrom
バーバラ・スタンウィック
Barbara Stanwyck
監督ビリー・ワイルダー
Billy Wilder
エドワード・G・ロビンソン
Edward G. Robinson
脚本ビリー・ワイルダー
Billy Wilder
ポーター・ホール
Porter Hall
脚本レイモンド・チャンドラー
Raymond Chandler
ジーン・ヘザー
Jean Heather
撮影ジョン・F・サイツ
John F. Seitz
トム・パワーズ
Tom Powers
音楽ミクロス・ロージャ
Miklós Rózsa
バイロン・バー
Byron Barr
フレッド・マクマレー(左)とレイモンド・チャンドラー

 

References

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[2] S. C. Biesen, Blackout: World War II and the Origins of Film Noir. JHU Press, 2005.
[3] E. Muller, Dark City: The Lost World of Film Noir, 1st St. Martin’s ed edition. New York: St. Martin’s Griffin, 1998.
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[5] A. Slide, “It’s the Pictures That Got Small”: Charles Brackett on Billy Wilder and Hollywood’s Golden Age. Columbia University Press, 2014.
[6] T. Hiney, Raymond Chandler: A Biography. Random House, 2010.
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[9] G. Phillips, Some Like It Wilder: The Life and Controversial Films of Billy Wilder. University Press of Kentucky, 2010.
[10] G. K. Lally, Wilder Times: The Life of Billy Wilder. H. Holt, 1996.