FILM

The Blue Dahlia (1946)

青い戦慄
The Blue Dahlia

パラマウント・ピクチャーズ
1946年

A. 二台の運転手付きキャデラック・リムジンを家の外で昼夜待たせておくこと
B. 6人の秘書
C. スタジオへの直通電話
ーレイモンド・チャンドラーのプロデューサーへの要求事項

Synopsis

除隊になったばかりの海軍パイロットの三人、ジョニー(アラン・ラッド)、バズ(ウィリアム・ベンディックス)、ジョージ(ヒュー・ビューモント)がハリウッドに戻ってきた。バズは、頭に重傷を負って金属プレートを入れており、時おりPTSDのパニックに襲われる。バズとジョージはアパートで二人で暮らすことになり、ジョニーは長い間会っていない妻、ヘレン(ドリス・ダウリング)の元に向かう。ところが、ヘレンはナイトクラブ「ブルー・ダリア」のオーナー、エディー(ハワード・ダ・シルヴァ)と浮気をしていたのだ。更にヘレンは幼い息子の死について衝撃の告白をし、怒りを覚えたジョニーは彼女の元を立ち去る。激しい雨のなか、ジョニーを拾ったのは、ジョイス(ヴェロニカ・レイク)という不思議なブロンドの女だった。マリブのホテルまでジョニーを送り届けたジョイスは、密かに自分もそこに泊まる。朝食で顔を合わせた二人。しかし、そのときラジオでヘレン殺害のニュースが流れる。

Quotes

Every guy’s seen you before somewhere. The trick is to find you. And when he does, it’s usually too late.
男はどいつも君をどこかで見たことがあるんだ。問題はどうやって君を見つけるかなんだ。見つけた時には、大抵もう手遅れなんだよな。
ジョニー

Production

アラン・ラッドとチャンドラー

『青い戦慄』は、アラン・ラッドの二回目の従軍がいよいよ迫ってきたために、大慌てで製作された作品である。アラン・ラッドは『拳銃貸します(This Gun for Hire, 1942)』と『ガラスの鍵(The Glass Key, 1942)』の大ヒットで、パラマウントにとって客を呼べる男性スターの筆頭だった。しかし、日々激化していく第二次世界大戦の戦闘で、数多くのハリウッドスターが従軍していき、ラッドも1943年に10ヶ月のあいだアメリカ陸軍に従軍していた。このあいだ、パラマウントにとっては大きなダメージだったに違いない。スタジオに戻ってきたのも束の間、1944年になってラッドは再度徴集の対象になり、これにはパラマウントもあらゆる手段を講じて繰り返し延期を要請していたようだ。年を明けて1945年初頭、アラン・ラッドは徴集されることがほぼ確実になり、少ない残り時間でなんとか一本作ろうということになったのである。

一方、この映画の原作・脚本を担当したレイモンド・チャンドラーは、1945年当時、ハリウッドでの脚本家稼業に満足していた。『深夜の告白(Double Indemnity, 1944)』の大ヒットのあと、パラマウントでスクリプト・ドクターとして、『愛のあけぼの(And Now Tomorrow, 1944)』などにたずさわり、安定した収入のめどが立ち始めたのだ。さらに当時のハリウッドは、映画を過剰生産していて、メジャースタジオのスタッフ達は時間的にも金銭的にも非常に余裕があり、チャンドラーは、そのリラックスした雰囲気をかなり気に入っていた。脚本家仲間やスタジオ・スタッフのなかには気が合う者もおり、特にジョン・ハウスマンとは懇意にしていた。アラン・ラッドが徴集されるという噂を耳にしたチャンドラーは、自らの未完成原稿をハウスマンに見せている。それが『青い戦慄』の初稿だった。ハウスマンは、すぐにこの原稿をパラマウントに$25,000で買わせて、みずから製作に関わることになった。

脚本の難航と海軍の干渉

1945年の4月までには、監督、キャスト、スタッフが決まり、撮影が開始されている。チャンドラーは脚本を仕上げようと苦戦していたが、いよいよ撮影のほうが追いつき始めてしまった。パラマウントは「納期に書き上げたら$5,000のボーナス」を約束したが、そのせいで精神的に追い詰められ、さらに行き詰まってしまう。追い打ちをかけるように、海軍がストーリーの変更を求めてきた。最初の案では、バズがPTSDのパニックを起こしてジョニーの妻ヘレンを殺害した、という結末だった。ハリウッドの軍検閲局はこのエンディングに反感を示したのである。

チャンドラーを打ちのめした決定打は、ヴェロニカ・レイクとアラン・ラッドの演技力だった。この二人はハードボイルド・カップルとしては全く説得力に欠け、会話を大幅に変更する必要がでてきた。ある日、パラマウントのオフィスで行き詰ったチャンドラーは「もう新しい結末なんて考えられない」と言い残して家に帰ってしまう。そして次の日、彼はとんでもない提案をハウスマンにするのである。

チャンドラーは、以前アルコール中毒だったが、随分と長い間酒を断っていた。彼はハウスマンに、この行き詰まりを打破するには、もう一度酒を飲みはじめるしかないと言ったのである。酒を飲めば間違いなく完成する。だが、スタジオに出勤することはできなくなるだろう。だから、自宅で仕事がしたい、と申し出た。そして、さらに三つの要求をした。運転手付きのリムジンを自宅の外に24時間待機させること(原稿の送り届けや家政婦の買物用)。女性秘書を3人1組2交代制で常駐させること(口述筆記)。緊急時のホットラインを設置すること。これらすべてをプロデューサーのハウスマンは承諾した。

このさなかに、陸軍は30歳以上の男性の徴集を解除したため、ラッドは継続してパラマウントで撮影を続けることが可能になる。そして、ハウスマンの取り計らいが功を奏したのか(実際にはチャンドラーはとうの昔からバーボン漬けで出社できなくなっていただけだという説もあるが)、『青い戦慄』は42日間で仕上がった。

長い間映画を監督してきたが、そのまま撮影してモノになる、こんな見事な脚本に出会ったのは始めてだった。ジョージ・マーシャル

脇役たち

バズを演じたウィリアム・ベンディックスはブルックリン出身で、主に労働者の役を多くこなした。戦時中は『ガダルカナル・ストーリー(Guadalcanal Story, 1942)』などで、労働者階級出身の兵士を役を演じ、また、人気ラジオ番組『ライリーの人生(The Life of Riley, 1944 – 1951)』で主人公の溶接工ライリーの役を演じ、大人気を得る。この番組は当時評論家からはこき下ろされたが、後のTVのシトコムの一つの源流と言われている。『青い戦慄』の後も多くの作品に出演し、その演技はウィリアム・ワイラー、ラウール・ウォルシュ監督から絶賛されている。

またこの作品でナイトクラブ「ブルー・ダリア」のオーナー、エディを演じているのは、ハワード・ダ・シルヴァである。彼は1930年代からブロードウェイの舞台、特にミュージカルで実績を積み、ベンジャミン・フランクリンから片眼の犯罪者まで幅広い役柄をこなす性格俳優であった。ニコラス・レイ監督の『夜の人々(They Live by Night, 1949)』、アンソニー・マン監督の『国境事件(Border Incident, 1949)』などのフィルム・ノワールでも馴染み深い。HUACの公聴会で憲法修正第五条を持ち出して証言を拒否したため、ブラックリスト入りしたが、彼自身はブロードウェイを本拠地としていたため、舞台の仕事に専念したようだ。

PCAの介入

『深夜の告白』の際には、チャンドラーはワイルダーと共にPCAからの横槍をいかにクリエイティブにかわすかという知恵を絞りあった。しかし、『青い戦慄』ではチャンドラーは一人でPCAの検閲と戦わなければならず、結果的には惨敗と言ってもよいだろう。

チャンドラー自身が酒浸りであったのが反映したのか、脚本のいたるところで飲酒の場面が登場していた。PCAは、そういった飲酒の描写にさえ神経質になり、大半を削除して最小限にするように求めた。さらに記録に残っているところでは、ジョニーがレオの目に指を突っ込むシーン、コレリが殴打されるシーン、そして「シカゴで子供の頃、警官が白い犬を撃ち殺すのを見たことがある」というセリフの削除が求められたようだ。

ただ、暴力シーンについてはチャンドラーは自身の関与を否定している。エディーの部下、レオは脚の指を怪我するが、これはレオを演じたドン・コステロが撮影中に脚の指を怪我したのを、監督のジョージ・マーシャルがストーリーに盛り込んだのだという。チャンドラーは「あれは私のアイディアではない。監督が勝手にやったのさ。」と述べている。

Reception

この映画の当時の魅力をVarietyは見事に表現している。

この滑らかな、サスペンスに満ちた殺人事件のストーリーは、アラン・ラッド、ヴェロニカ・レイク、ウィリアム・ベンディックスの三人組の優れた演技のおかげで、そのストーリーの嘘くささがカバーされ、興行価値がぐんと上がっている。Variety

New York Timesのボズリー・クローサーは、ハードボイルド作品にしては、いつもより随分と好意的に評している。

レイモンド・チャンドラーの巧みな脚本、ジョージ・マーシャルの緊張感のある演出のおかげで、(この如才の無さはさすがに問題にされるべきだろうが)それでもキビキビした、エキサイティングな劇に仕上がっている。New York Times

興行収入は$2,750,000、1946年の45位の興行成績だった。

1947年にロサンゼルスで22歳の女性、エリザベス・ショートが殺害され、その残忍な殺害の手口や生前の被害者の生活などがタブロイド紙の格好の材料となった。さらに、犯人が新聞社に犯行声明や被害者の持ち物を送りつけたりするなど、大胆にメディアを翻弄し、話題となった。この事件は、なぜか当時から「ブラック・ダリア事件」と呼ばれているが、この映画の題名がきっかけだという説がある。

公開当時の好意的な受容とは裏腹に、後年の評価は芳しくない。レイモンド・ボード/エティエンヌ・ショーモンは「大した価値はない」とばっさり切り捨て、ポーリン・ケールは「何か起きそうで何も起きない」と低評価だ。

レイモンド・チャンドラーの脚本自体も、彼の他の作品と比べてあまり注目されていない。特に最後に明かされるヘレン殺害の犯人があまりにもご都合主義で、1930年代の低予算探偵映画を髣髴とさせるような幕切れを失敗と見る評者も多い。ハリウッド映画史を捉える上で、ジョージ・マーシャルという監督は作家主義的な見地からは見逃されがちであるし、当時のパラマウントの比較的潤沢な製作リソースを反映した「A級」のルックは、時が経つと皮肉にも古臭く感じられてしまうようだ。「アラン・ラッド/ヴェロニカ・レイクのコンビ三作目」という紹介がついて回る、不運な作品かもしれない。

Analysis

戦争が落とす影

第二次世界大戦後の帰還兵をテーマとした作品というと必ず『我等の生涯最良の年(The Best Years of Our Lives, 1946)』が挙げられ、社会が直面している困難な問題に正面から取り組んだウィリアム・ワイラーの「良心」が賞賛される。だが、兵士とそれを迎え入れるコミュニティの間の微妙な摩擦を描いた作品は既に大戦中から製作されていた。例えば、アーヴィン・ピッチェル監督の『ベニイの勲章(A Medal for Benny, 1945)』は、戦死した英雄が貧乏な移民の子で、しかも村では問題人物だったということから、勲章授与式をめぐって巻き起こる騒動を容赦なく描き出し、その底にあるコミュニティの欺瞞を見事に暴き出した、不思議な作品だ。この作品では、戦場は一度も画面に登場せず、戦争そのものは可視化されない。ハリウッド映画では、この「距離」―――戦場と母国の距離―――は常に、戦争後の社会に漂う漠然とした不安の靄となり、戦場を体験した者と、体験しなかった者の間の溝として描かれた。そして、その溝を埋める役を担わされるのは、戦場を体験した側なのである。多くの戦争映画では、戦場を体験した者は、体験しなかった者たちの世界に「戻る」ことを強要される。もし戻れなかったら、それは「帰還兵」として区別され、異物として扱われる。ハリウッド映画が、ベトナム戦争やイラク戦争の帰還兵に関して、今でもこの異物性に奇妙に執着しているのは、「コミュニティ」の基盤を揺るがす異物として様々な仮託が可能だからだろう。その点、この「距離」が小さい、あるいは母国が戦場となった、ヨーロッパ、ソビエト、日本を含むアジア各国におけるコミュニティの、帰還兵への姿勢はインクルーシブであり、それが多くの映像作品にも現れている。

『青い戦慄』では、コンバットで受けた傷が癒えぬまま、ロサンジェルスに戻ってくるバズがその異物として投影される。観客は、映画が始まって五分と経たないうちに、バズがこのまま社会に復帰するのはかなり困難であることをすぐに理解する。そして殺人事件が起きたときには、バズが犯人ではないか、と当然の如く疑うのである。そしてチャンドラーのオリジナルのアイディアでは、バズが犯人だった。

しかし、このナラティブの仕掛けは余りにも粗末だと言わざるを得ない。むしろ、海軍に要請されて書き替えたエンディング、すなわちバズは結局全く殺人には関与していなかった、というエンディングのほうが問題点をさらに浮き彫りにしている。犯人が誰であれ、バズは無罪なのに、重度のシェルショック(PTSDの一種)がゆえに、ずっと関与を(しかも親友にまで)疑われてしまったのである。これは、受け入れるコミュニティが帰還兵を実際にどう見ているか(そして皮肉なことにチャンドラーの原作の結末自体がそれを見事に表している)を図らずも表現しているのだ。

チャンドラーだけでなく『青い戦慄』の製作そのものが、戦場を体験していない側から描かれており、バズの「金属板」から、シェルショックのパニックの様子まで、戦場を体験していない人間の想像力に依存している。PTSDの症状に苦しむ者の多くは、他人に暴力の矛先を向けるよりも、自分を傷つける傾向があるという。アルコールや薬物への依存、社会からの断絶、そして事故や自殺、といった問題が最も頻繁に帰還兵を襲う。だが、メディア、特にハリウッドが描く帰還兵達は、精神のバランスを欠き、過剰な暴力を振るうといった「問題を抱えた爆弾」という印象を観客に植え付けるのだ。メディアの現場にいる人間たち、その多くの場合、戦場を体験していない側の人間は、「帰還兵」を特別視する。戦場で残虐なことを見聞きし、自らも人殺しに手を染めているのだから「危険な人物」だと考えている。しかし実際にそのような問題を引き起こす人物の数は、PTSDを患っていない者の場合と比べて統計的には大差ないと言われる。

この帰還兵たちへの視点が、ベトナム戦争帰還兵や湾岸戦争、イラク戦争の帰還兵たちに対するハリウッドの姿勢にも如実に現れている。『タクシー・ドライバー(Taxi Driver, 1976)』が、従軍経験も何も持たないマーチン・スコセッシとポール・シュレーダーによる空想でしかなく、ベトナム帰還兵の実態とは無関係であることや、従軍経験があってもクリント・イーストウッドの描く『アメリカン・スナイパー(2014)』が、「選ばれし者」を描いているにすぎない点は忘れてはならないだろう。

残った女といい思いをする男

また、兵士が従軍した後に残された妻やガールフレンドが、「従軍せずにいい思いをしている」男と浮気をする、という設定も、帰還兵を題材にした映像作品のクリシェである。だが、これはそれほど切実な問題だったのだろうか。実際に、第二次大戦の直後にアメリカ国内での離婚件数が二倍近くに跳ね上がっている。だが、これは種々の要因が重なり合っており(戦時中の結婚数の急激な増加、早すぎる結婚、婚姻(離婚)に関する州法の改正 etc.)、「残された妻の浮気」だけが原因ではない。だが、こういった設定をことさら強調する姿勢は、脚本家、監督やプロデューサーなどの「結婚」や「性」に対する見方を露呈するものだと言えるだろう。

映画におけるこういった「戦争に行った男の、残された妻とその浮気相手」の設定は、第一次世界大戦の時からのクリシェだ。例えば『ビッグ・パレード(The Big Parade, 1927)』でも、この「残してきた婚約相手」と「その婚約相手を横取りした男」という設定が登場する。これらに共通な事として、相手の男は大抵「男らしさ」に欠け(だから戦争に行かない)、主人公の男性とは比べものにならないくらい魅力がない、という約束事がある。『青の戦慄』では、アルコール依存症の妻ヘレンが、ジョーを捨てて、ナイトクラブ経営のギャング、エディに走る、という設定である。しかもこの妻は、息子を自分の飲酒運転の事故で亡くしたと告白する。これは、レイモンド・チャンドラー自身がほぼ一日中酒浸りだったことを念頭に置くと、彼自身の影の部分が体現されているとも考えられるかもしれない。だが、説話的には、その影に懲罰を与え、その影にまつわる全てを葬り去ることで、決着がつく。もちろん、犯罪や犯罪者のプロット上の扱いについては、当時のPCAの検閲や、プロダクションの意向が必然的にこのような展開と決着を要請したのであるが、同時にその要請をどのように処理したか、は非常に重要な点である。

例えば、ヘレンの生活がどのように描かれているか。彼女はハリウッドの高級「マンション」で、パーティー三昧の日々を過ごしている。そこに集まる人々は、今戦争が進行中であることなどまるで眼中になく、酒浸りで酔い続けている。ヘレンが身につける衣装は派手で、もちろん当時の「主婦(housewife)」が身につけるものとは大きくかけ離れている。そして、彼女が息子を失った経緯を語るシーンも、観客が彼女に同情を感じないように設計されている。

いいわよ、ヒーローさん。そうよ、私は酔っ払ってたのよ ヘレン(ドリス・ダウリング)

ここでダウリングの演技は、ヘレンに観客の同情を誘う一歩手前で停止し、そのセリフにはどこかジョーをなじるトーンが紛れ込んでいる。そしてヘレンが飲酒運転の事故で息子を亡くしたことを語る瞬間も、カメラはヘレンではなく、ジョーに寄っていく。意識は、ヘレンの悔悛ではなくジョーの怒りに焦点が当たっているのだ。

これは、エディという人物の描写、演出にもあてはまるだろう。エディを演じたハワード・ダ・シルヴァは、体格がよく、背の低いアラン・ラッドと並ぶと圧倒的な威圧感がある。しかし、スクリーン上ではシャツの首まわりをきつくして二重顎を目立たせ、明るい色のスーツで膨張させて、だらしない印象を作り出している。演出はさらにそのような「だらしなさ」を際立たせるような姿勢や位置を随所に取り込んで、この人物の胡散臭さを浮き彫りにしている。

これに対して、アラン・ラッドは、暗い色調のスーツで統一し、スマートなシルエットで常に撮影されている。彼が数々の暴力と対峙するシーンでは、最小限の運動で最大限の効果が出ていることが、ことさらに強調される(例えば、アラン・ラッドが両手をポケットに突っ込んだまま、相手を転ばせている)。ハリウッドのスターシステムを構成している種々の技術が巧みに利用され、観客に与える「印象」を操作しているわけだが、それは取りも直さず「健全な帰還兵」の物語を駆動させるための仕掛けなのだ。

戦前の終わり

実は、ヘレンを取り巻く設定そのものは、1930年代のハリウッド映画には、むしろ憧れの対象として散々登場している。例えば、『影なき男(The Thin Man, 1934)』のニック・チャールズとノラ・チャールズの夫妻は、高級アパートでパーティーに明け暮れ、ニックは暇があればマルティーニを作っている、という設定だ。ノラの衣装も常に豪奢で流行を楽しんでいる。むしろ、それが(やや度が過ぎるものの)チャーミングな上流階級の生活として一般に好意的に受容されており、だからこそ、続編が次々と製作され、どれもヒットした。

このような戦前のハリウッド映画が描く上流社会の清潔な世界は、他の国でも同様な受容を生む。1920年代後半から、アール・デコの内装が映画セットに頻繁に用いられ、さらにそこにモダニズムのボキャブラリが流用されるようになった。これは、特にイタリア映画でその傾向が顕著になり、「白電話(Telefoni Bianchi)」映画と呼ばれた。

だが、第二次世界大戦はその美学を一挙に破壊した。それは芸術の世界よりも、映画のプロダクション・デザインのように大衆との接点が大きいところでより顕著に見られている。上述の『影なき男』シリーズでも、戦後に製作されたシリーズ最終作『影なき男の息子(Song of the Thin Man, 1947)』は興行的には大失敗だった。これも、戦争というものを経て、30年代のハリウッドが常に描いてきた、退廃的とも言える上流階級の世界が魅力を失ったからであろう。荒唐無稽なほど「白電話映画」が氾濫していたイタリアが、戦後一気にネオリアリスモに旋回するのも、また「白電話映画」で主演をつとめていたヴィットリオ・デ・シーカがネオリアリスモの旗手になるのも、当時の映画製作の実情もさることながら、観客と同じ視線の位置になることが必須だったからだ。

だが、アメリカは、戦場との距離がありすぎたために、ハリウッドの視線の位置はずれたままであった。確かに戦前の「ニューヨーク五番街の大金持ち」達を描く絵空事は受けなくなったが、かと言って「帰還兵」「残された妻」を正視したかと言えば、そんなことはなかった。「帰還兵」も「残された妻」も「浮気相手」も「英雄」もステレオタイプに依存したままであった。それが今は変わったかと言うと、やはり戦場との距離は遠いままである。

Links

TCMのサイトには、チャンドラーをめぐる製作時の混乱が詳細に記述されている。

Film Noir of the Weekでは、「盗んででも見るべき」フィルム・ノワール作品として絶賛している。

Data

パラマウント・ピクチャーズ配給 4/16/1946公開
B&W, 1.37:1
96分

製作ジョン・ハウスマン
John Houseman
出演アラン・ラッド
Alan Ladd
監督ジョージ・マーシャル
George Marshall
ヴェロニカ・レイク
Veronica Lake
原作・脚本レイモンド・チャンドラー
Raymond Chandler
ウィリアム・ベンディクス
William Bendix
撮影ライオネル・リンドン
Lionel Lindon
ハワード・ダ・シルヴァ
Howard da Silva
音楽ヴィクター・ヤング
Victor Young
ドリス・ダウリング
Doris Dowling
編集アーサー・P・シュミット
Arthur P. Schmidt
ヒュー・ビューモント
Hugh Beaumont

References

[1] T. Hiney, Raymond Chandler: A Biography. Random House, 2010.
[2] J. B. Manbeck and R. Singer, The Brooklyn Film: Essays in the History of Filmmaking. McFarland, 2002.