FILM

Call Northside 777 (1948)

出獄
Call Northside 777

20世紀フォックス
1948年

 

脚本を最初読んだとき、ひとつ欠点があると思ったんだ。誰ひとりとして失うものがなくて、だからクライマックスがないんだ。  ― ヘンリー・ハサウェイ

Synopsis

禁酒法の時代、1932年のシカゴ。ヤミで酒を出していたバーで、警官が二人組の何者かに撃ち殺されてしまう。警察はフランク・ウィチェック(リチャード・コンテ)を犯人として逮捕、裁判で目撃者の証言により、フランクは終身刑を言い渡される。それから11年後、シカゴ・タイムズの広告欄に、この事件の真犯人に関する情報を求める広告が出る。報酬は5000ドル。この広告に興味を持ったタイムズの編集長(リー・J・コッブ)は、マクニール記者(ジェームズ・スチュワート)に広告の主を探し出し、その裏にある物語を探ってこいと命じる。マクニールが広告主を探し出すと、それはフランクの母で、報酬の5000ドルは彼女がこの十年間、掃除婦をしながらコツコツ貯めた金だった。当初はフランクの無実に懐疑的だったマクニールも、調査していくうちに、警察の捜査や証言に疑問をもつようになる。

 

Quotes

P. J. McNeal: Will you marry me?
Laura McNeal : I did.
P・J・マクニール:結婚してくれるかい?
ローラ・マクニール:したわよ。

 

Production

シカゴで1933年に起きたマチェックの冤罪事件はアンソニー・マン監督の『偽証(Railroaded!, 1947)』のレビューでも触れたが、シカゴの新聞によるスクープによって明るみになった。この話が映画の題材として人気があったのは、やはりその人情噺としての側面であろう。息子の無罪を信じる母親が10年もかけて底辺の仕事をしながら貯金をし、新証拠を探し出そうとしたという「母の無償の愛」と「無実の青年の悲劇」の物語は、ハリウッド映画の製作者達がいかにも好みそうな題材である。また、その解決への原動力として、新聞が介在したという点において、その多くが新聞記者出身であるハリウッド脚本家達にとっては面目躍如の一面もあったかもしれない。

このマチェック(映画ではウィチェックと改名されている)と母の物語を、映画化する権利を20世紀フォックスが獲得したのは1947年の2月のことであった。ダリル・ザナックは、元スキー・インストラクターのオットー・ラングに製作を担当させ、ヘンリー・フォンダ主演、ルイス・キング監督で発表した。他にもロイド・ノーラン、レオパルディン・コンスタンティンなどの配役が決まっていたが、1947年の10月に撮影に入る頃には、ジェームズ・スチュワート主演、ヘンリー・ハサウェイ監督に変更されている。

『出獄』は、その大半がシカゴのロケーション撮影である。20世紀フォックスは、ルイ・ド・ロシュモンが中心となって、大戦後すぐに『Gメン対間諜(House on 92nd Street, 1945)』などの作品でセミ・ドキュメンタリー・スタイルを開拓し、ロケーション撮影を中心とした製作の比率を上げてきていた。『出獄』はその頂点と言っても良いだろう。この製作スタイルはサスペンスや犯罪映画のジャンルに限らず、他のジャンルでも取り入れられていた。『出獄』と同じ時期に20世紀フォックスで製作されていた作品のうち、ヘンリー・キング監督の『海の呼ぶ声(Deep Waters, 1948)』がメイン州のヴィナルヘイブンで、『アリゾナの決闘(Fury at Furnace Creek, 1948)』がユタ州カナブで、『情無用の街(The Street with No Name, 1948)』がワシントンDCでのロケーション撮影で製作されていた。ほぼ同時期にジュールズ・ダッシン監督の『裸の町(The Naked City, 1948)』の撮影も進んでおり、ハリウッドを離れた映画製作が、急速に広がりつつあったことが分かる。

シカゴの町でも、特に移民街や低所得者層の住む地域の風景が多く登場する。ポーランド移民の子であるウィチェックが住んでいるのは「バック・オブ・ザ・ヤード」と呼ばれた移民街である。肉体労働者が多かったこの地域の居住環境が見て取れる。また、マクニール記者が聞き込みをするのは、ポーランド移民が実際に多いミルウォーキー・ストリートの繁華街だ。移民たちによって作られたコミュニティの夜の世界が実に活き活きと撮影されている。鍵となった証言者の一人、ワンダ・スクトニックが身を隠していたアパートは、実話のほうの証人、ヴェラ・ウォルシュの住んでいたアパートである。当時の夜のスラムの風景がフィルムにとらえられた、記録としても貴重なものと言えるかもしれない。

印象深いロケ地のひとつが、イリノイ州の州刑務所(ステートヴィル)である。ウィチェックが収容されている刑務所だ。ここはパノプティコンのコンセプトが採用された刑務所であるが、その内部で撮影が行われた。

撮影の合間に待っている時のことを覚えている。囚人の一人が擦り寄ってきて言ったんだ。「お前ら、さっさと出ていけよ。俺達の待遇を元に戻してくれよ。お前たちがそのしょうもねえ映画を撮っているあいだ、ずっと房のなかにいなけりゃならないんだ。さっさと出っていって、ほっといてくれないかな。」ジェームズ・スチュワート

監督のヘンリー・ハサウェイは、この時期、20世紀フォックスでフィルム・ノワールのカギとなる作品を手がけている。ド・ロシュモンと組んだ『Gメン対間諜』『鮮血の情報(13 Rue Madeleine, 1946)』、新人のルシール・ボールを見事に開花させた『闇の曲がり角(The Dark Corner, 1946)』、リチャード・ウィドマークがソシオパスを演じた『死の接吻(Kiss of Death, 1947)』とたて続けにサスペンスの佳作を発表している。『出獄』のシナリオ初稿を読んだハサウェイは、ダリル・ザナックに重要な要素が欠けていることを指摘した。誰ひとりとして失うものがなく、クライマックスが盛り上がりに欠けているのである。新聞記者のマクニールは、たとえウィチェックの冤罪が証明されなくても、次の事件、次のスクープに移っていくだけだ。ウィチェックにしても、もう既に十年以上刑務所にいて、冤罪が証明されなくても今までの刑務所暮らしが続くだけだ。冤罪を裏付ける決定的証拠が出てこなかったのだから、母親も報酬金を払わなくて構わない。クライマックスで誰かが何か大事なものを賭して、それでもウィチェックの無罪を証明するために奔走する、というサスペンスが必要だ、とハサウェイは訴えた。ザナックは、実際に起きたとおりに物語を語ることに固執していたが、最後は折れて、「冤罪を証明できなければ、ウィチェックは刑務所に残るだけでなく、将来の減刑と仮釈放の機会も失ってしまう」という筋書きを受け入れた。

新聞記者のマクニールを演じた、ジェームズ・スチュワートは、俳優人生の曲がり角に来ていた。フランク・キャプラ監督の『スミス都へ行く(Mr. Smith Goes to Washington, 1939)』『素晴らしき哉、人生!(It’s a Wonderful Life, 1946)』などで、純朴で真っ直ぐなキャラクターで評価されていたが、戦争を経て観客の嗜好が変わり始めていることに勘づいていた。かつてコメディやミュージカルで甘いキャラクターを演じていたディック・パウエルフレッド・マクマレーでさえ、タフな男を演じて成功している。スチュワートはそろそろ自分もそういったキャリア転換が必要だと感じていた。『出獄』の新聞記者の役柄はそういった点からも非常に重要な転換点であった。特にこのマクニールはシニカルで醒めた視点の持ち主で、ストーリーの後半に至ってもなお、ウィチェックの無実を疑問視している。その距離感が、ウィチェックの母親との会話やウィチェックの元妻とのやり取りにも現れており、どこか不機嫌で無粋な感じが漂っている。実は、このマクニールの役作りは、モデルとなった実際のシカゴ・タイムズの記者、ジェームズ・マクガイアとは全く正反対であったようだ。マクガイアの娘、ヴィヴィアン・デヴァインによれば、冤罪で投獄されている青年の母親の新聞広告を最初に見つけたのはマクガイア自身であり(映画では編集長が見つけている)、編集長から「勤務時間外に調査しろ」と言われたマクガイアは、昼休みや退社後に自ら駆け回って調査していたという。「この事件について書き始める段階で、編集長から怒られると思った父は、この話を見つけたのは編集長ということにして花を持たせた」と彼女は述懐している。

脚本担当の一人、ジェローム・キャディは、『ガダルカナル・ダイアリー(Guadalcanal Diary, 1943)』で注目を集めたラジオ出身の新進気鋭の脚本家だった。しかし、『出獄』の直後、カリフォルニアのアヴァロン沖のヨットの中で死んでいるのが発見された。睡眠薬の過剰摂取が原因だった。40歳だった。心臓病を患っていたと報道されている。

この作品の公開準備がすすむなか、現実の世界で事件はまだ終わっていなかった。物語の元となったジョセフ・マチェックは、無実の判決を勝ちとったのち、彼のために尽くした母親を見捨てて家を出た、とニューヨーク・デイリー・ミラー紙が報じた。このスキャンダルは映画の興行に響くだろうと記者はまとめているが、すぐに虚偽の記事であったことが判明した。マチェックはイリノイ州から24000ドルの補償金をもらったが、イリノイ州のネルソン議員がマチェックを強請ってそのうちの5000ドルを手に入れたという(これは事実だったようだ)。更に映画の公開と前後して、シカゴ・タイムズ紙がマチェックに支払った額がたったの1000ドルであったことが判明した。これを聞いた新聞の読者らが「マチェック基金」を設立、各人1ドルの寄付を募ったという。

1933年の警官殺人事件の真犯人はつかまっていない。

『出獄』の公開後、1948年の10月にNBCがラジオ版ドラマを放送した。映画のダイジェスト版を30分ラジオドラマに仕立てる「スクリーン・ギルド・シアター」の1編で、ジェームズ・スチュワート、リチャード・コンテらが映画で演じた役を声で再現した。

 

Reception

公開当時の評判はまずまずだった。

(実際のロケーションが使われたおかげで)俳優たちは控えめな演技に徹することで最大限の効果を引き出せるため、最小限の演技でも実に隅々までゆき届いた信憑性が得られている。Film Daily

ジェームズ・スチュワートの演技には辛口の批評も寄せられている。

この作品の前半では、ジェームズ・スチュワートは、べらべらしゃべる皮肉屋を誇張しすぎている。いつもの良さが出ていない。Motion Picture Daily

問題は、ハサウェイが主張したクライマックスだった。最先端の科学技術が、冤罪に苦しむ家族を、諦めかけていた最後の瞬間に救うという設定は、やはり無理があると指摘する声もある。

まあ、たしかに(脚本家は)映画を終わらせないといけない訳だから。New York Times

興行成績はこの規模の映画としては上々で、270万ドル、1948年の30位の成績だった。モデルとなったマチェックとその妻ヘレンは映画については敬遠していたようだ。

1950~60年代のフランスにおけるフィルム・ノワールの再評価のなかでは、こういったセミ・ドキュメンタリー・スタイルの映画はフィルム・ポリシエとして区別されていた。それ以降、セミ・ドキュメンタリーの代表作として『出獄』は、フィルム・ノワールとの境界線に立つ作品群のなかでも優れた作品として批評されてきた。

『出獄』のような映画は、シカゴの街角での豊富な撮影や実際のニュース映画のフッテージを取り入れて、フィクションとドキュメンタリーの境界をあやふやにする、都市の表象へのアプローチの代表的なものと言えよう。エドワード・ディメンバーグ

 

Analysis

証人としての人間の眼とカメラの眼

『出獄』の焦点は、ウィチェックを有罪にした決定的証拠であるワンダ・スクトニックという証人の信憑性である。スクトニックは襲われた違法バーの女主人だが、犯人たちを見ており、それがウィチェックとザレスカだと証言した。映画のなかのシーンでは、マスクをした犯人を同定できるほどスクトニックが犯人と近距離で接していないことが示唆されている。さらに示唆されるのは、当時のシカゴ警察は犯罪検挙率の改善を求められており、特に凶悪犯罪に関しては迅速な逮捕が強く要求されていたことだ。とりわけ、この事件は警察官の殺害という警察にとっては非常に高い優先順位の事件で、拙速に起訴を焦った形跡もある。映画のクライマックスでマクニール記者は、警察がスクトニックにウィチェックが犯人だという認識を刷り込んでいったとほとんど言っているようなものだ。映画全体を通して、スクトニックの証人としての信憑性は常に疑問視され、ベティ・ガードの演技もそれを裏付けている。

一方、信憑性の高い証人として登場するのは、写真である。スクトニックが警察に証言に呼ばれた日付を決定づける証拠(彼女の証人としての信憑性を失効させる証拠)は、1932年当時撮影された写真である。その写真に偶然映り込んだ新聞売りの少年が手に持つ新聞の日付が決定的証拠となる。人間の眼は信用できないが、カメラの眼は10年以上経過しても信用できるのだ。そのカメラの映し出した像こそ「真実」であるという、セミ・ドキュメンタリー・スタイルの作品が主張するにはこれ以上適切なテーマもないだろう。

ウィチェックの逮捕と、マクニールの調査の間には10年以上の月日が流れているが、その間に恐慌、戦争と人々は痛ましい20世紀の時代を過ごしてきている。このなかでも戦争が果たした役割は大きい。今まで見たことも聞いたこともない事態が、写真によって記録され、新聞や雑誌に掲載されて、一般の市民のもとに届くようになった。ノルマンディ上陸作戦、広島、長崎に落とされた原子爆弾、ドイツの強制収容所で行われていたユダヤ人の計画的な殺戮など、多くの人は想像だにできなかった。しかし、こういったできごとが立て続けに写真に記録され、フィルムに焼き付けられていた。写真は、歴史を塗り替えるような事態を、正確に記録して後世に伝えていく。

見た目が「信頼できそうな人」「愛すべき人」だからと言って、その人が真実を話しているとは限らない。マクニール記者は当初ウィチェックの無罪に対して懐疑的で、ウィチェックの母親の言葉も鵜呑みにはしていない。その彼が徐々にウィチェックの無罪を信じるようになる。しかし、その確信だけでは無罪は勝ち取れない。人間のあやふやな記憶や手続きを打ち破るには、頼りになるものが必要だ。そのいつでも頼りになるものが、カメラの眼だというステートメントであろう。

ズーム、エンハンス

ウィチェックの無罪の決め手になったのは、写真に映り込んだ新聞の日付である。この日付を確認するために、マクニール記者は10年以上前の写真の引き伸ばしを警察のラボに依頼する。驚くべきことに、ほとんどぼやけてしまってはっきり読みとれない新聞の表紙が、この引き伸ばしによって見事に蘇る。

この「引き伸ばし(Zoom)」と「エンハンス(enhance)」は今でも刑事ドラマで使用されるギミックである。『ブレードランナー(Bladerunner, 1980)』を経由したのち、「CSI」シリーズやそれに類する数多くの科学捜査ドラマ、テロリストと闘う情報戦を扱う映画などで、さんざん登場する。監視カメラに映った車両のナンバー・プレートを拡大して番号を読んだり、はっきり見えない犯人の顔を「エンハンス」して明確にし、顔認識ソフトで割り出す、といった場面を挙げればきりがない。もちろん、これらの技術はそのほとんどがファンタジーで、現実にはピクセルサイズ以下のものをいくら再現しようとしても情報そのものが無いのだから無理だし、ぼんやり映っているものの輪郭を創造することはできても再現することはできない。だが、こういった願望がテクノロジーの描写に反映しているというのは興味深い。

『出獄』では、警察のラボが、ボロボロの写真(2Lサイズくらいか)からデュープを起こして1000倍に拡大するという荒業をやってのける。その写真に偶然写り込んだ新聞売りの少年が持っている新聞の日付、これが争点だ。これが12月22日か23日かでスクトニックの証人としての信憑性が決まる。この写真の引き伸ばしでは、元の写真で100ミクロン角程度の「22」という文字が判別できる、ということになる。警察のラボの設備が当時の最先端で60ライン/mmあるいはそれ以上の解像力を持っていたとしても、元の写真自体は1933年のもの、レンズを入れると25ライン/mmくらいと言われているレベルの解像力しかなく、しかもそのプリントが元になっているとなると、100ミクロンにせいぜい1か2ライン相当の解像しか期待できないだろう。映画本編で示されているようなはっきりとした数字が現れることは、かなり考えにくい。

実際のマチェックの再審では、このような劇的な科学捜査の証拠ではなく、警察の聴取記録や公判における証拠の提示などで争われている。この写真の引き伸ばしによる「真実の解明」はいささかフィクションが混じったお伽噺と言えよう。そのお伽噺のテクノロジーがいまだに映像作品で繰り返し使用されているという事実は、私達が「写真」「映像」に何を求めているか、何を欲しているか、を潜在的に表していて興味深い。

時間差のテクノロジー

オーシャン通り711』のレビューでも触れたが、フィルム・ノワール、特にセミ・ドキュメンタリー・スタイルのフィルム・ノワールは、テクノロジーを詳細に描くようになり、それをプロットをおしすすめるディバイスとして使用し始めた初めてのジャンルかもしれない。『出獄』でも、先に挙げた写真の引き伸ばしがクライマックスを作り出す非常に重要な技術として登場する。更に登場するのが当時使用されていたFAXの技術である。

実はFAXの技術そのものは、1947年当時としては決して新しいものではない。写真や図版の送受信のために19世紀から発明・改良が繰り返され、1924年に登場したベリノグラフが広く使用されるようになった。1934年にAPが「ワイヤーフォト(wirephoto)」という呼び名で、FAXを利用した報道写真の即時配信を始め、ニュースの全国化を進めてきた。『出獄』で登場するのも、このベリノグラフだと思われる。

この点を考えても、現在のようなテクノロジーが急速に汎用化する時代とはかなり異なる視点が必要だろう。現在は、テクノロジーの幾つかの分野では、最先端の技術が一般市民の手の届くところにある。あるいは「民生品」の技術と「業務用」の技術がそれほどかけ離れていなかったり、「民生品」のためだけに技術が開発されることも多い。例えば、GoogleやFacebookなどが開発しているAIの技術や自動運転の技術は、一般消費者への普及を想定して開発されている。以前は、かなり多くの分野で、業務用の技術が成熟し、その上で機能を削いだり、単純化したり、スペックを下げたりしたものを「民生用」技術として普及させるのが普通だった。そのプロセスが必ずしも通用しないのが現在のテクノロジーの世界だ。

あるテクノロジーが「民生用」のシステムになるには「標準化」というプロセスを通過する必要がある。『出獄』の時代のFAXシステムはクローズドで大型、必ず暗室内での現像を必要とする。これは、あくまで業務用のテクノロジーであった。1960年代のゼロックス・システムの登場のみならず、1980年に日本の企業が主体となって標準規格を提案したことが、世界標準のFAXを普及させ、安価な装置を大量生産できるようになるきっかけだった。この「時間差」こそが、『出獄』におけるテクノロジーの驚異のポイントでもある。観客の大部分が知らないテクノロジーの世界を、細部にわたり見せること、その仕組みがもたらす有益さを物語にして見せること、それがキーになっている。そして、これは『オーシャン通り711』の評でも述べたが、そのようなテクノロジーの仕組みを面白いと思う観客の登場にかかっている。第2次世界大戦後の映画観客の姿の変容の重要なポイントではなかろうか。

Links

モデルとなったジョー・マチェックの息子、ジョーがその後のマチェックと家族の人生について語っている。前述のように、元の事件は未解決のままだったため、1980年代にもう一度、マチェックの母が出した広告と同じ広告を新聞に載せた話は面白い。

TCMの記事は、マクガイアの記事がいかに映画化されていったかの経緯を克明に綴っていて興味深い。

 

Data

20世紀フォックス配給 2/1/1948 公開
B&W 1.37:1

製作オットー・ラング
Otto Lang
出演ジェームズ・スチュワート
James Stewart
監督ヘンリー・ハサウェイ
Henry Hathaway
リチャード・コンテ
Richard Conte
原作ジェームズ・P・マクガイア
James P. McGuire
リー・J・コッブ
Lee J. Cobb
原作ジャック・マクファウル
Jack McPhaul
ヘレン・ウォーカー
Helen Walker
脚本ジェローム・キャディ
Jerome Cady
ベティ・ガード
Betty Garde
脚本ジェイ・ドラトラー
Jay Dratler
カシア・オルザゼウスキ
Kasia Orzazewski
撮影ジョセフ・マクドナルド
Joseph MacDonald
ジョアンヌ・デ・バーグ
Joanne De Bergh
音楽アルフレッド・ニューマン
Alfred Newman
編集J・ワトソン・ウェッブ・ジュニア
J. Watson Webb Jr.

References

[1] J. Hillier, 100 Film Noirs. Palgrave Macmillan, 2009.
[2] T. Thomas, A Wonderful Life: The Films and Career of James Stewart. Citadel Press, 1997.
[3] H. Hathaway and P. Platt, Henry Hathaway. Scarecrow Press, 2001.
[4] H. N. Pomainville, Henry Hathaway: The Lives of a Hollywood Director. Rowman & Littlefield, 2016.
[5] D. Dewey, James Stewart. Little, Brown Book Group, 2014.
[6] M. C. Ehrlich, Journalism in the Movies. University of Illinois Press, 2010.
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[8] T. Inc, LIFE. Time Inc, 1948.
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