FILM

Railroaded! (1947)

偽証

Railroaded!

イーグル・ライオン・フィルムズ
1947年

この頃の作品はどれも出来が悪いんだが、『偽証』はそのなかでも個人的な意味で悪いかな。
つまり、あの映画の欠点は全部、私のせいだ。

アンソニー・マン

デュークと情婦のクララは賭け屋の狂言強盗を企むが、襲撃の最中に警官が現れ、デュークが射殺してしまう。二人は無実の青年スティーブにその罪を負わせる計画を思いつく。クララの証言や状況証拠から、刑事たちはスティーブが犯人だと決めつけていく。スティーブの姉、ロージーは弟の無実を信じ、デュークに近づいていく。

Detective Chubb: Five thousand is a lot of dough. How’d you get rid of it?
Steve: Spent a thousand on beer and bought bubble gum with the rest.

チャブ刑事:5000ドルったら、随分な大金じゃねえか。どこに隠した?
スティーブ:ビールを1000ドル分飲んで、残りは風船ガム買ったんだよ。

この作品とヘンリー・ハサウェイ監督の『出獄(Call Northside 777, 1948)』は、同じ冤罪事件を下敷きにしていると言われている。1933年にシカゴで起きた警官殺人事件の容疑で逮捕され投獄されたジョセフ・マジェックは、母親の辛抱強い運動と地元新聞紙のキャンペーンにより、冤罪であることが証明され、1944年に釈放された。ハサウェイの『出獄』は、この時のジェームズ・P・マクガイア記者の取材が原作となっているが、アンソニー・マンの『偽証』はガートルード・ウォーカーの原作をもとにジョン・C・ヒギンズが脚本を起こしたことになっている。ところが、この原作の由来が不明瞭で、その後この作品の公開に大きな影を落とすことになる。

監督のアンソニー・マンは、フィルム・ノワールの捻じ曲がった批評史のなかで唯一「代表的な作家」としてその地位が揺らぐことのない映画監督である。特に撮影監督ジョン・オルトンと組んだ『Tメン(T-Men, 1947)』『脱獄の掟(Raw Deal, 1948)』『夜歩く男(He Walked by Night, 1948)』『国境事件(Border Incident, 1949)』などが代表的な作品に挙げられる。彼のフィルモグラフィのなかで、最初のフィルム・ノワール作品として位置づけられるのが『必死の逃避行(Desperate, 1947)』だが、この作品はその次の作品にあたる。実はこの時期はマンにとって非常につらい時期だったかもしれない。いくらB級映画ユニットとは言え、リパブリック・ピクチャーズやRKOといった会社は、まだメジャーにすくい上げられる可能性があった。しかし、そこからPRC(プロデューサーズ・リリーシング・コーポレーション)に移ったのは、ハリウッドでは最早「終わった」ということを意味している。マン本人は、リパブリック時代が最も厳しかった冬の時代と考えていたようだが、業界ではPRCは「底の底」だった。やはり当時のPRCに在籍していたエドガー・ウルマーも、もはや将来が見えない映画人だった。マンがそこから救われるのは、イギリスのJ・アーサー・ランクが資金を投入してPRCがイーグル・ライオン・フィルムになるときからである。『偽証』はちょうどその過渡期に製作された作品であり、製作はPRC、配給はイーグル・ライオン、となっている。

『偽証』は製作中から、題材が重なる『出獄』を製作中の20世紀フォックスから度重なる干渉を受ける。『出獄』の原作となっている、マクガイア記者の一連の取材記事との類似性から、取材記事の映画化権を所有するフォックスが、『偽証』の公開に強い懸念を示していたのだ。

フォックスは私の映画が『出獄』の興行に響くと考えたんだね。だからイーグル・ライオンに私の映画の収入よりも高い額の金を払って、限られた映画館で短い間だけの公開にさせたんだ。 アンソニー・マン

『出獄』
Call Northside 777 (1948)
ヘンリー・ハサウェイ監督

それだけでなかった。プロダクション・コードを運営しているブリーン・オフィスが、その内容に極めて強い不満を示していた。ショットガンなどの不法武器の描写、警官が殺されるシーンに加え、警察の捜査が非常に暴力的で、市民に対して不親切なだけではなく、時には無能に映ることさえあるような描写が多く含まれていたことが、その理由である。弱体化して破産寸前だったPRCに代わって、実質的な指揮をとった配給のイーグル・ライオンは、ここで巧妙な作戦にうってでる。ブリーン・オフィスのトップ、ジョセフ・I・ブリーンの息子、ジョセフ・I・ブリーン・ジュニアを脚本部に雇って、ブリーン・オフィスからの検閲の調整にあたらせたのである。自分の息子とハリウッドB級映画の倫理について議論するはめになった父ブリーンは、いささか甘い妥協をしたようである。

父ブリーンが指摘した問題点のひとつに「警察が威嚇や暴言を使っていて、好意的に描かれていない」という点があった。

この国の約300ある検閲機関は様々な市の警察の手中にあることを忘れてはいけない。 ジョセフ・I・ブリーン

これには、プロダクション・コード、そしてそれを運営するブリーン・オフィスのもともとの成り立ちを考える必要がある。1930年代初頭には、大手製作会社が映画を配給する際に、各地方都市に独立して運営されている検閲機関がそれぞれ独自の検閲基準を設けていたため、製作・配給はそれぞれ別個に対応しなければならなかった。ブリーン・オフィス設置の背景には、その煩わしさを解消し、数多く存在する検閲機関での試写の前に、あらかじめ検閲しておく、という側面があった。『偽証』のようにブリーン・オフィスの発言力を親族の力で弱めてしまうと、またプレコードの時代のごとく、各州、都市で検閲対策をしなければならなくなってしまう。実際、『偽証』はシカゴで数週間の上映延期となってしまう。

とはいうものの、イーグル・ライオンはブリーン・オフィスの要求を部分的に聞き入れて、幾つかのシーンの削除に応じている。だが、さらに追い打ちをかけるように問題が起きる。フォックスは、自社の『出獄』と類似しているシーンの撮り直しをイーグル・ライオンに要求したのである。イーグル・ライオンは2万5000ドルを投じてこの変更に応じるのだが、アンソニー・マンがどこまでこの撮り直しに関与していたかは不明である。

製作費は、Variety誌(August 20, 1947)によれば$500,000となっているが、これはフォックスとの係争のなかで出てきている数字なのでどこまで信用できるだろうか。10日間の撮影期間だったが、これはエドガー・ウルマーが6日以下で撮影しなければならなかったことと比べると、PRCでは破格の優遇措置だったといえる。

公開当時の評価は、脚本の脆弱さを指摘するものもあり、生暖かい受容である。

もっとメリハリの効いた脚本と動機の展開さえあれば、『偽証』は第一級の作品にランクされたかもしれない。Motion Picture Daily

血とドンパチ満載の古いタイプのギャング映画だが、無名のキャストから想像されるよりもずっと出来の良いメロドラマである。Variety

公開時は大部分の劇場で、二本立ての添え物として上映された。マックス・アルバレズによれば、デトロイトではマレーネ・ディートリッヒ主演『黄金の首飾り(Golden Earrings, 1947)』の添え物として上々の興行、ニューヨーク州バッファローでは同じくイーグル・ライオン配給の『アウト・オブ・ザ・ブルー(Out of the Blue, 1947)』と併映、ボストンではシャーリー・テンプル、ロナルド・レーガン主演の悪名高い『ザット・ヘイゲン・ガール(That Hagen Girl, 1947)』の添え物として上映されている。

フィルム・ノワール批評のなかでは、「アンソニー・マンのノワールの中でも最も弱い作品のひとつ」という見方が大半を占める。前作の『必死の逃避行』ではレイモンド・バーの奇矯なサディズムが際立っていたが、『偽証』にはそのような要素もみられない。次作の『Tメン』の強烈なヴィジュアルのほうがやはり印象深いせいで、全体的な評価は低い。

ポヴァティ・ロウの終焉

「B級映画」という呼称については、「”B”はもともと”低予算(Budget)”の頭文字から来たもので、”A”に対する”B”ではなかった」という指摘が幾度もなされてきた。これは1920年代から30年代にかけて、アメリカで二本立て興行が一般化した際に、二本立てのうちの一作品を「目玉」にして、もう一方を「添え物」として位置づけ、「添え物」のほうは低予算で60分から70分程度の若干短めの作品をあてる慣習がひろがったことが由来である。その際にメジャーの製作会社が社内に別ユニットを設けて、低予算作品の製作を専門に担当させた。そのユニットを”Bユニット”と呼び、そこから毎週生産される作品を”Bムービー”と呼んだ。しかし、事態はそこまで単純ではない。

公開映画の上映決定は、たとえ配給チェーン下の劇場とはいえ最終的には劇場側に委ねられていた。もちろん、地域や土地柄によって観客の傾向が異なったり、メジャー作品が不評のときにはプログラムを入れ替えるなど臨機応変に対応する必要があった。配給チェーンの縛りから外れている劇場においては、さらにその傾向は強まる。そういったメジャー配給の隙をついて、プログラムに組み込んでもらうために独立系、又はマイナーな映画製作、配給会社が存在した。例えば、トーキー初期には米国全体で23,000の映画館があったが、メジャー五社(MGM、RKO、ワーナー、フォックス、パラマウント)の配下にあったのは3,000、残りの20,000の映画館はロードショーが終わった作品(今で言えば「準新作」のような位置づけの作品)や独立系の製作・配給の作品を上映していたという。独立製作で配給をメジャーに委ねた例には、デヴィッド・O・セルズニックやサミュエル・ゴールドウィンがいる。彼らのようにメジャー製作会社のA級クラスに対抗、あるいはそれ以上の評判を集める作品を目指した者もいれば、一方で「数で勝負」「安さで勝負」の会社もあった。そのなかでも特に低予算作品をひねり出していた映画会社をポヴァティ・ロウ(Poverty Row)と呼ぶ。代表的なポヴァティ・ロウの会社を挙げてみよう。

モノグラム・ピクチャーズ

1930年代から西部劇やミステリ映画を製作していたが、1940年代に大量生産に切り替わる。年10本以上のペースで製作するが、そのほとんどはメジャー作品の二番煎じや全盛期を過ぎたスターを起用した作品である。例えばイースト・サイド・キッズのシリーズ映画は、ウィリアム・ワイラー監督『デッド・エンド(Dead End, 1937)』に不良少年として出演した子役たちとその設定を利用して、手を変え品を変え五年間にわたって十本以上製作されたものである。『拳銃魔』『ビッグ・コンボ』で有名なジョセフ・H・ルイス監督もイースト・サイド・キッズの映画を二本監督している。その他にも二十世紀フォックスでネタ切れになった「チャーリー・チャン」をさらに引き受けてシリーズ製作するなど、積極的に柳の下のありとあらゆる生物をさらい続けた。1946年にアライド・アーチスツという「A級」の製作ユニットを社内に設けたが、結局これがその後生き残り、『キャバレー(Cabaret, 1972)』『パピヨン(Papillon, 1973)』などの製作を手がけている。ジャン・リュック・ゴダールが『勝手にしやがれ(A bout de Souffle, 1960)』のオープニングで「モノグラム・ピクチャーズに捧げる」と表明していることでも有名な会社である。

リパブリック・ピクチャーズ

ハーバート・J・イエイツが1935年に弱小のポヴァティ・ロウの会社六社(モノグラム、マスコット、チェスターフィールド、マジェスティック、インヴィンシブル)を統合して設立した会社である(モノグラムはその後脱退、独立)。1930年代後半から連続活劇や西部劇を大量生産する。唄うカウボーイ、ジーン・アトリーはリパブリックの大スターだった。ジョン・ウェインもリパブリックの西部劇、コメディなどに多数出演している。リパブリックの映画は、ぱっと見た目にはセットや美術にもお金がかかっているのが明らかで、撮影や照明にも凝っていることが分かる。だが、ストーリーや設定はどこかでみたようなものが多く、結局、総合的には凡庸なものが多い。連続活劇においては、荒唐無稽な設定や演技が大半を占め、子供向けと揶揄されても仕方のない側面がある。また、イエイツの愛人(のち夫人)の元フィギュア・スケート選手ヴェラ・ラルストンが主演をつとめる作品も、ソーニャ・ヘイニの人気に便乗さえできず、劇場側から苦情が来る始末であった。リパブリックが『静かなる男(The Quiet Man, 1952)』や『大砂塵(Johnny Guitar, 1954)』といった作品を製作するようになるのは、メジャーによるブロック・ブッキングが完全に崩壊する1950年代に入ってからのことである。

グランド・ナショナル

1930年代にミステリなどを中心に低予算映画を配給していた。ジェームズ・キャグニーと契約を取り付けるものの、結局頓挫してしまった。1939年に解散。

プロデューサーズ・リリーシング・コーポレーション(PRC)

グランド・ナショナルが閉鎖したスタジオの跡地を受け継いだたのが、PRCである。もともとはプロデューサーズ・ディストリビューション・コーポレーション(PDC)という小さな会社だったが、フィルムの現像代が支払えず現像所のパテの財産となり、PRCとして映画製作を続けた。映画史研究家のジョージ・N・フェニンとウィリアム・K・エヴァーソンによれば「嘘くさくて、安物で、雑な作りで、酷い撮影で、演出は稚拙」といった作品を第二次大戦中に作り続けていた。ハリウッドでは、「PRCは腐ったゴミ(Pretty Rotten Clap)の略」とさえ言われ、「樽の底(Bottom of the barrel)」と揶揄された。

1970年以降、特にビデオの広範な普及とともに「B級映画」という呼称は、随分と広い意味とニュアンスをもちはじめ、人の嗜好に強く左右されるものになった。ただ単にジャンル性が強いものを指す場合もあれば、低予算で作られたものを指す場合もある。しかし、今は「『B級』という言葉で想起される様々な位相、例えばプロットの陳腐さ、映画スターの不在、エクスプロイテーション性、身体損壊などの表現の過激さ、ショック効果への依存、などのいくつかを介在させて、それらをセールスポイントとしてマーケティングされている映画」という表現に当てはまるものが、多くの場合「B級映画」として称されている。すなわち、やむを得ずB級映画になってしまった、あるいはリソースや能力の不足が露見してしまうような映画、ではなく、B級映画としてわざわざ作られる作品群のことを指しているといえるだろう。そのような作品は実は、映像製作に関する専門性や知識、技術、あるいは少なくともターゲットとしているサブジャンルの見識を必要とし、かなり明晰な見通しを要求される分野である。ところが、ポヴァティ・ロウからリリースされる作品群は、リソース(予算、映画スター、才能だけでなく、脚本、フィルム使用量、撮影日数、機材など全て)がまったく足りていないという状態で撮影されたものだ。だから、これらの作品のひどさは狙ったものではなく、そのとおりのものでしかないのである。

『42番街の幽霊』
The Phantom of 42nd Street (1945)
アルバート・ハーマン監督

そのポヴァティ・ロウのなかでもPRCは、「目も当てられない」と当時から言われていた。予算は$100,000以下、撮影日数は6日程度、エドガー・ウルマーによれば一日に80以上のカメラセットアップをするのは当たり前だという状況だった。タイトルと関係のない設定、無残なプロット、人気が下降したベテラン俳優がセリフを流し読み、ショットごとに露出がばらついて、音楽はあったのかどうかさえ分からない。脇役がニヤニヤして言うセリフがジョークのつもりらしいが、おそらく今も昔も誰一人笑ったことがないだろう。主演の男優も女優もハンサム、美女かもしれないが、怪物として登場する着ぐるみのゴリラのほうがよっぽど印象深い。例えば、『42番街の幽霊(The Phantom of 42nd Street, 1945)』などは、最初の10分ほどで飽きてしまう。「B級過ぎて笑える」ではなく「B級過ぎて退屈」なものが極めて多い。

『フォッグ・アイランド』
Fog Island (1945)
テリー・O・モース監督

だが、そういったなかでも興味深い作品は現れる。『歩く死者(Dead Men Walk, 1943)』のように、ジョージ・ザッコの顔の造りを上手く利用して陰影のある撮影をしたり、『フォッグ・アイランド(Fog Island, 1945)』のようにストーリーが進むに連れて、残酷で陰惨な場面がより暗くなり、最後にはほとんど限られた照明だけになる、といったものもある(ただし、それ以上は期待しないで欲しい)。種々のリソースに制約のある状況だからこそ、「A級」とは違う映像へのアプローチが生まれたのは、ノワールに限らず、ポヴァティ・ロウ全体に言えることである。

『偽証』が過渡期の作品であるのは、PRCがイーグル・ライオンに吸収されたという事情だけではない。イーグル・ライオンはイギリスのアーサー・ランク率いるランク・コーポレーションがイギリス映画のアメリカ国内での配給を目論んだ「現地法人」のような性格を帯びた会社である。特に当時のイギリス映画は『黒水仙(Black Narcissus, 1948)』のように質の高いエンターテイメントを提供していたにも関わらず、ハリウッドの牙城、アメリカ市場を崩せていなかった。イギリス映画をマーケティングするためにもランクはイーグル・ライオンの配給作品全体の質を上げる必要があった。結果、イーグル・ライオンで製作される作品はPRC時代よりもはるかに予算が大きくなり、作品の量よりも質へ重点がシフトしていく。これは、当時の独立系製作・配給がどこも経験していた事態である。映画館への動員数が減少するなか、製作映画本数が過剰になる一方、パラマウント訴訟の判決でいよいよブロックブッキング制度崩壊の兆しが見え、同時にテレビの登場が業界全体の構図を描き変え始めていた。ポヴァティ・ロウが『ナボンガ(Nabonga, 1945)』みたいな映画を作れば、とりあえず日銭は稼げるという時代が終焉しつつあったのだ。

B級映画の試み ー 『オープン・シークレット』との比較

我々はアンソニー・マンのノワール作品を見るときに、どうしても彼の作家としての側面、彼が繰り返し描いた混沌とした闘いの不条理、強迫的な空気の蓄積過程と発散といった、50年代の一連の西部劇にも見られる特徴に注目してしまう。だが、ここでは『偽証』とほぼ同じ時期にほぼ同じ条件で製作された類似の作品、『オープン・シークレット(Open Secret, 1948)』と比較することで、この作品の位置づけを明確にしてみたい。

『オープン・シークレット』は、同じ年に公開された『十字砲火(Crossfire, 1947)』『紳士協定(Gentleman’s Agreement, 1947)』等と同様、アメリカ社会に潜むユダヤ人差別の問題を扱っている。その点において非常にユニークな作品ではあるが、『偽証』と同じく、PRCで独立プロダクション・ユニットで製作され、イーグル・ライオンが配給している。『偽証』のコンビ、ジョン・アイアランドとジェーン・ランドルフが(ここではユダヤ人排斥グループを告発する善人として)が主演、ロケーション撮影を使用せず、スタジオ内で製作されたという点においても、この二作品は共通している。

『オープン・シークレット』の監督のジョン・ラインハルトは戦時中までは主に南米で脚本や監督を担当していた人物で、まったく忘れ去られた映画人と呼んでもいいだろう。しかし、この作品のオープニングの、その疑いようのないキアロスクーロの映像を見れば、「ノワール」と呼ばれる映像スタイルは、映画史上有名な「作家」たちに属するのではなくて、ひとつのイディオムとして流通していたのだと理解される。『オープン・シークレット』では、冒頭の部分だけでなく、印象的な陰影の造形を効果的な構図でとらえたシーンがいくつも登場する。暗室の暗がりのなかでユダヤ人排斥グループのリーダーとユダヤ人の写真屋店主が殴り合うシーンも、『偽証』のラスト、漆黒のクラブのなかでの撃ち合いを髣髴とさせる。また「過激な表現」すなわちプロダクション・コードに照らして検閲対象となる表現が問題になった点も類似している。ブリーン・オフィスが人種差別表現を減らすように介入し、削除した形跡があるシーンがいくつかある。

PRC製作の『オープン・シークレット(1948)』のオープニング

『偽証』にしても『オープン・シークレット』にしても、その描く暴力や異常の源泉がどこにあるのかは非常に見えにくいものになっている。1930年代のワーナー・ブラザースのプレコード時代のギャング映画『犯罪王リコ(Little Caesar, 1931)』『民衆の敵(The Public Enemy, 1931)』では、主人公のリコやトム・パワーズが犯罪の道へ進む動機は、社会的な問題として明確に描かれている。社会的経済的階層が生む絶望感や、人種・エスニシティの摩擦から生じた敵愾心や復讐心が、彼らのギャング内での出世欲と太く結びついている。これらのプレコード作品が単純ではあるが提示しようとした意識は、その後プロダクション・コードのもとで隠蔽されてしまう。アメリカが現実に抱える問題として、人種差別や貧困が大半の犯罪と深く関わっているのではないか、というごく自然な推測は否定され、欲深い人間、捻じ曲がった人間が犯罪を犯すという等式がやすやすと組み込まれてしまう。その等式を壊す試みが始まったのが戦時中、象徴的な作品が『深夜の告白』である。

『オープン・シークレット』では、「近所の隣人たち」がユダヤ人排斥の徒党を組んで、放火、破壊などのヴァンダリズムを繰り返している。『偽証』では警察の捜査と尋問が無慈悲でかつ理不尽であることが描かれている。プレコードの時代とも異なり、こういった暴力と権力の濫用をより身近で現実のものとして描くようになったのが、この時代の特徴であろう。興味深いことに『オープン・シークレット』では、当時ではありえないほど誠実に家庭内暴力が描かれている。アル中の男が妻を罵り暴力を振るう。そしてそういった暴力の変奏としてユダヤ人に対する憎悪が描かれているという点においても挑戦的といえるかもしれない。

だが、これらの2作品はどちらもPRC製作という出自がやはり露見してしまっている。『オープン・シークレット』の場合には、脚本が統一性を欠き、差別主義者達のキャラクターが混乱しがちである。セリフは全体的に精彩が無く、安っぽいハードボイルド調に堕してしまっている箇所が随所に見られる(「ヒトラーごっこを俺の管轄でやるとはいい度胸してるぜ」)。『偽証』では、アンソニー・マンはギャングたちの暴力や警察権力の悪意を描くことには熱心だが、冤罪で苦しむ家族の描写には興味が無いのか、アイディアが無いのか、カメラを置く位置さえ投げやりな印象を受ける。プロット上の重要な動機部分の演出に明らかに失敗しているわけだが、ひょっとすると原作をめぐるフォックスとのトラブルに原因があるのかもしれない。しかしそのような事態そのものがポヴァティ・ロウの置かれた環境を象徴的に表しているかもしれない。

当時の規範を根本から崩していくような試みが、PRC/イーグル・ライオンで行われていたというのは、ある意味当然かも知れない。B級映画が観客の注意を引くとしたらセンセーショナリズムしかなく、モラルコードを破壊することで話題作りになるのは今も昔も変わらない。だが、これらの2作品が根本的に欠いているのは、そのモラルコードの破壊を描き出すために必要な「丁寧さ」である。セリフの乱雑さ、演技の準備不足、それに伴う演出の稚拙さが、はっきりと出てきてしまっている。たとえアンソニー・マンといえども『偽証』における演出のまずさは否めない。その後のノワール作品、特にMGMの作品群で現れるようになった日常の隅々に潜む狂気への配慮が、まだここでは見られない。キアロスクーロに満ちた映像が、その描く世界と一致するまでには、まだ時間が必要だった。

TCMのサイトでは、ジェフ・スタフォードが、ガイ・ロウの撮影に焦点を当てつつ、冒頭の強盗シーンを「純粋にシネマだ」と呼んでいる。

アダム・ラウンズベリーは、Film Noir of the Weekへのエントリーで「セットは段ボールで出来ているみたいだし、会話はつまらないし、音楽は酷いし、シーンをなんとかこなせる俳優はほとんどいない」と厳しい評価を下して「典型的なPRCの映画」と呼んでいる。

拙ブログのKINOMACHINAでPRCがイーグル・ライオンになっていく経緯を追っている。

イーグル・ライオン・フィルムズ配給 1947/9/26 公開
B&W 1.37:1
72分

製作チャールズ・F・リースナー
Charles F. Riesner
出演ジョン・アイアランド
John Ireland
監督アンソニー・マン
Anthony Mann
シーラ・ライアン
Sheila Ryan
脚本ジョン・C・ヒギンズ
John C. Higgins
ヒュー・ビューモント
Hugh Beaumont
原作ガートルード・ウォーカー
Gertrude Walker
ジェーン・ランドルフ
Jane Randolph
撮影ガイ・ロー
Guy Roe
エド・ケリー
Ed Kelly
音楽監督アーヴィング・フリードマン
Irving Friedman
チャールズ・D・ブラウン
Charles D. Brown

[1] J. Basinger, Anthony Mann. Wesleyan University Press, 2007.
[2] W. Darby, Anthony Mann: The Film Career. McFarland, 2009.
[3] “‘Note’ in ‘Open Secret (1948),’” American Film Institute. Available: http://www.afi.com/members/catalog/DetailView.aspx?s=&Movie=25672.
[4] P. Karr, “Out of What Past? Notes on the B Film Noir,” in Film Noir Reader, 1st edition., A. Silver and J. Ursini, Eds. New York: Limelight Editions, 1996.
[5] M. Alvarez, The Crime Films of Anthony Mann. Univ. Press of Mississippi, 2013.
[6] T. Balio, United Artists, Volume 2, 1951–1978: The Company That Changed the Film Industry. Univ of Wisconsin Press, 2009.