FILM

711 Ocean Drive (1950)

オーシャン通り711
711 Ocean Drive

コロンビア・ピクチャーズ
1950年

そうか、貴様があの映画を作るのか。いいか、映画は作らない。
ラスベガスで撮影はしない。映画はできない。わかったな。

『オーシャン通り711』撮影前にプロデューサーのフランク・セルツァーにかかってきた謎の電話

 

 

Synopsis

電話会社に勤めるエンジニア、マル・グランジャーはギャンブル好きが高じて、地域のギャングのボス、ウォルターズの手伝いを始める。ウォルターズは競馬の結果を電信で受け取って賭け屋をやっているのだが、その事業を拡大してカリフォルニア一帯のギャンブル市場を手中に収めたいと考えている。グランジャーは自らの技術知識を活かして、電信結果を効率的に各地域の賭け屋に配信することをウォルターズに提案、見事に成功する。だがウォルターズは支払いが滞ったノミ屋に殺されてしまい、グランジャーが組織を手中に収める。そこから歯車が大きく狂い始める。

 

 

Quotes

I know it was your money but it was my brains that made you that dough.
確かにお前の金だが、その金を儲けさせてやったのは、俺の頭脳だぜ。
ー マル・グランジャー

 

 

 

Production

製作時のタイトルは “Blood Money”。1948年の暮れに製作の計画が発表されている。

製作のフランク・セルツァーは、1920年代にフィラデルフィアの映画劇場の広報担当としてキャリアをスタートし、フォックス、ワーナー、ハル・ローチなどのスタジオで多くの映画の宣伝を手掛けた人物である。興味深いのが彼がフォックスの広報担当だった1928年に、今で言う「捜査ジャーナリズム(Investigative journalism)」のさきがけとなるような映像を世に送り出したことである。トーキーはまだはじまったばかりだったが、そのトーキーニュース映画の分野で市場を席巻していた「フォックス・ムービートーン・ニュース」が、フィラデルフィアの殺人事件の容疑者を取材した際に、その容疑者が自白する様子をトーキーで撮影したのだ。その製作に大きく関わったのがフランク・セルツァーだった。このニュース映画は当時のジャーナリズムと犯罪捜査に衝撃を与え、フォックスはこの事件をきっかけに警察に犯罪捜査の証拠収集の一環としてトーキー映画の撮影サービスを計画したという報道もある。一方でセルツァーは、この後、1931年にタブロイド・ジャーナリズムの性格の強いニュース映画製作に乗り出し、当時人気のあった「イブニング・ジャーナル」のコラムニスト、ルイ・ソボルがナレーションをつとめる「ルイ・ソボルのスクリーン・スクープ」シリーズを製作した。ブロードウェイの有名なもぐり酒場の隠し撮りやパパラッチのような有名人の追っかけ取材もあったらしい。その後はワーナー、ハル・ローチのスタジオで宣伝部長をつとめ、1941年には『ヨーク軍曹』をワシントンに売り込んだ。戦後、「セルツァー・プロダクション」を設立して独立系映画製作を始め、『オーシャン通り711』はその4作目にあたる。彼の弟、ウォルター・セルツァーもハリウッドで長年広報をつとめた人物で(『マーティー(Marty, 1955)』の画期的なプロモーションを担当)、その後製作(『ソイレント・グリーン(Soylent Green, 1973)』)に転身した。

これは余談だが、フランク・セルツァーについて調べているときに、業界紙に掲載されている彼の写真を見てどこかで見たことがある顔だな、と不思議に思っていたのだが、ふと思い出した。『オーシャン通り711』のラリー・メイソン役のドン・ポーターに風貌がそっくりなのだ。プロデューサーや監督が、自分の風貌に似た人物を無意識に抜擢してしまうということはあるのかもしれない。

監督のジョセフ・H・ニューマンは1930年代から助監督として仕事を始め、MGMで短編ドキュメンタリー、特に『犯罪は割に合わない(Crime Doesn’t Pay)』シリーズを数多く担当してきたベテランの監督である。第二次大戦中は陸軍信号隊に配属されドキュメンタリー映画を製作担当していた。

電信サービスとギャング

この作品は、幾つかの実話、実在した人物、組織を下敷きにしている。電信を使った競馬のノミ行為は当時の犯罪組織の貴重な収入源のひとつであった。元々は19世紀末にアメリカ最大の電信サービス、ウェスタン・ユニオンが競馬の結果を電信で各地に届けるサービスを行なっていた(年間500万ドル以上の売上があり、最も利益を上げていた部門と言われる)のだが、違法賭博との繋がりを指摘されて撤退する。だが、民間のサービス会社がウェスタン・ユニオンから電信サービスをリースして、競馬のオッズ情報や結果を配信することは合法であった。これをきっかけに、ギャングたちは自前の電信サービスを立ち上げる。そのなかでも1940年代に最も強力だったのがジェームズ・ラガンが経営するコンティネンタル・ワイヤー・サービスだった。それに対抗してロサンジェルスとラスベガスを中心に展開したのがベンジャミン・”バグジー”・シーゲルが運営していたトランス・アメリカ・ワイヤーで、この2つのサービスが激しく市場を争ったのである。だが、この争いも、1946年にラガンが何者かによって射殺されたことで終結を迎える。

この電信サービスによるノミ行為で最も胴元が儲かるのが「パスト・ポスティング(past-posting)」と言われるもので、結果が出たレースの発表をわざと遅らせて「賭けを操作する」のである。『スティング(The Sting, 1973)』のプロットの中心になるギミックなので広く知られているが、これをシーゲルはラスベガスでやっていたと言われている。パスト・ポスティングは『オーシャン通り711』でも、主人公のグレンジャーが最後の賭けに使うトリックである。

妨害されるロケーション撮影、そして下院公聴会

『オーシャン通り711』ではロケーション撮影が随所に用いられているが、これらの撮影は主に南カリフォルニアとラスベガスで行われている。クライマックスの追跡劇はボールダー・ダム(フーヴァー・ダム)の壮大な外観とくすんだ内部とを対比させて見せている。だが、これらの都市でのロケーション撮影は決して順調ではなかったようだ。

当初はラスベガスの商工会議所や市の広報部は『オーシャン通り711』の市内での撮影に協力的だったようである。市の広報部はラスベガス・ストリップ沿いのカシノホテルを撮影に使えるように取り計らうと言い、別の話では、とある有名カシノホテルが自ら名乗りを上げて撮影に使ってほしいと申し出てきていた。ところが、実際にロケーション撮影の準備に入り始めると、雲行きが怪しくなってきた。

自分のところを使ってほしいと言ってきていた、あの有名ホテルのオーナーから連絡があったので、製作担当のオーヴィル・ファウスが訪ねていくと、オーナーのオフィスにおかしな連中が三人いた。オーナーによれば、「この方々は、ラスベガス市の利害から考えて映画の撮影は好ましくないと考えていらっしゃる」と言うのだ。 フランク・セルツァー

セルツァーは夜中に幾度も脅迫まがいの電話を受け、カメラマンはラスベガスの空港でレンタカーを借りることが出来ず立ち往生する。ラスベガスでは、この映画はバグジー・シーゲルの伝記だという噂が流れ、パーム・スプリングスではミッキー・コーエンの映画だとして敬遠された。ロサンジェルス警察のビル・バーンズ警部補は「ラスベガスに撮影に行くのは自ら罠に足をつっこむようなものだ」とセルツァーに警告し、主役のエドモンド・オブライエンは「フランクはとんでもない事に首を突っ込もうとしているのが分かっていなかった」と述懐している。シカゴに本拠地を置くギャングたちは、競馬電信ビジネスの裏側を暴露するような映画だと分かって、妨害に入ったのである。

折しも1949年頃に、全国規模の犯罪組織についてメディアが取り上げはじめていた。特に電信を使用した競馬のノミ行為は、犯罪組織の重要な資金源として考えられていた。ライフ誌によると年間300億ドル(当時)の規模、60億ドルの利潤を上げていたという。当然ギャングの上層部は、この話題については神経質になっていたのである。

ラストのボールダー・ダムでの追跡劇のシーンは、更に危険な空気が漂っていた。エドムンド・オブライエンが演じるマルは、最後警官達に追い詰められて射殺されるのだが、このシーンは地元の警察が撮影に協力した。

最後のシーケンスで、私はボールダー・ダム中を追跡され、撃たれることになっていた。20人の狙撃手が空砲で私に向かって撃つことになっていたはずなんだが、「カット」でテイクが終わってみると、私の頭の横、30センチくらいのところの車のフロントガラスに3発実弾が撃ち込まれていたんだ。エドモンド・オブライエン

このテイクを3回やったオブライエンは「生きた心地がしなかった」とインタビューで述べている。

1950年の1月から、全国的な組織犯罪の捜査の口火を切ったキファウヴァー下院調査委員会がワシントンで始まった。その公聴会で、フランク・セルツァーは証言をし、『オーシャン通り711』の製作中、犯罪組織の構成員と思われる人物たちから常に脅迫、嫌がらせ、妨害を受けたと述べた。キファウヴァー上院議員は、『オーシャン通り711』は組織犯罪がいかにギャンブルと深く関わっているか、を告発した作品として賞賛したという。

ふと、フランク・セルツァーが、腕利きの広報担当だったことを思い出さずにはいられない。

新しい時代のメディア

『オーシャン通り711』の売り込みは、もう一つの点において画期的だった。当時、急速な勢いで普及しつつあったテレビを使って広告したのである。1946年にRCAがTV史のモデル-Tと呼ばれる630-TSの量産化に入った。この年、アメリカ全土で8,000世帯がTVを所有、次の年からはRCAが市場に大量のTVを投入した。これによって、1949年には100万世帯、1951年には1,000万世帯以上にと飛躍的に普及が進んだのである。この普及と並行して番組制作、そしてコマーシャル制作が重要なビジネスとなっていく。

コロンビアのトップ、ハリー・コーンの従弟のラルフ・コーンはパイオニア・テレフィルムズというTVコマーシャル製作会社を1947年に設立していたが、これをコロンビアが買収、スクリーン・ジェムズと改名した。このスクリーン・ジェムズが映画のTVコマーシャルとして初めて手掛けたのが『オーシャン通り711』である。映画のクリップ40本と予告編を使ってロサンジェルスとニューヨークで試験的にコマーシャルを流した。ロサンジェルスの結果では、TVを所有している家庭の76%が『オーシャン通り711』について聞いたことがあると言い、25%の動員数増加につながったと報告されている。

 

 

Reception

公開当時の批評はやや冷めた論調のものが目立つ。

セリフはもっとウィットの効いた切れのいいもののほうが良いし、登場人物ももっと機微をうがつべきだっただろう。Focus

ノミ行為とギャンブルの巨大犯罪組織を堂々と恐れずに暴くという宣伝の割には、このコロンビア作品は凡庸な作品でしかなく、細かい描写も派手な割には曖昧だ。New York Times

巨大犯罪組織の手口は脚本によってリアルに描かれ、ジョセフ・M・ニューマンの演出は速いペースでアクションを繰り出している。Variety

フィルム・ノワール作品としての再評価の中では、『出獄(Call Northside 777, 1948)』などの流れをくむ、警察による捜査のセミ・ドキュメンタリーの側面と、精神的に追い詰められ罠にはまっていく「ノワール的な」主人公のストーリーとのハイブリット作品として、そのユニークな性格を評価されている。最後のボールダー・ダムでの追跡劇は、巨大な構造物のなかで主人公が捕捉されていく過程について、ヒッチコックやキャロル・リードの作品との類似性がしばしば指摘されている。

ダムのなかの迷路のような通路での追跡は、実に見事に編集され、前年の『第三の男(The Third Man, 1949)』の有名な下水道のシーンとよく似ている。Brian McDonnell, “Encyclopedia of Film Noir”

 

 

Analysis

新しいアンチヒーローの登場:ハッカー

2000年代から、アクション映画やサスペンス、スパイ映画にはしばしば「ハッカー」が登場するようになった。2015年からAmazonで配信されている『Mr. Robot』はハッカーが主人公の連続シリーズでゴールデン・グローブ作品賞を受賞するほどの人気/評価を得ている。実世界でハッカーと呼ばれている人達がどんな人間たちかということよりも、私達が「ハッカー」に対してもっているイメージをいかに使いこなすかが、これらの映像作品の中心にある。ハッカーは自分より大きなもの、力を持っているものを、自らの技術と知識と知恵で出し抜くことができる、現代のレジスタンスであり、ロビン・フッドである。『オーシャン通り711』のマル・グランジャーは、ハリウッド映画に登場するハッカーの原型のようなキャラクターだと言える。

グランジャーの専門分野は通信、そしてそれに必要な電気工学だ。これは、今のハッカーがやはり通信(主にインターネット)を生業としていることにも通底する。情報の伝播をコントロールすることが凄まじい権力の行使につながるということが誰の目にも明らかになったのが第二次世界大戦後だった。戦時中から戦後にかけて、情報通信がもつ影響力は急激に変貌を遂げた。新聞、ラジオ、映画などのメディアを介したプロパガンダだけでなく、暗号の強度、そして敵の暗号の解読、諜報活動、情報の真偽の操作など、ありとあらゆる情報に関する活動が戦争の行方を決めた。ヴァネヴァー・ブッシュが、情報化社会を予見してハイパーテキストの概念の源流となった論文、”As We May Think”を発表したのが1945年、彼の教え子のクロード・シャノンがデジタル信号処理の基礎となる論文「通信の数学的理論」を発表したのが1948年である。

問題があるとすれば、FBIの捜査車両がこの周波数を捕捉したときだ。そうすると三角測量で位置を特定されてしまう。マル・グランジャー

こんなセリフをさらりと言ってしまうキャラクターは、それまでのハリウッド映画ではあまり登場していなかったし、フィルム・ノワールの主人公としてはまずいない。それは観客の側の変化によるところが大きい。それまでは、このような技術的な用語がセリフに入っても、観客には意味不明の暗号にしか聞こえなかっただろう。それは観客の大部分が通信技術、電気工学どころか、ラジオの仕組みや電話の仕組みに無関心だったからだ。しかし、第二次世界大戦で多くの若者が兵役につき、通信兵や無線技士として戦場に向かった。戦後、帰還した兵士たちのなかにはGIビルという制度を利用して大学で工学を学んだものも大勢いる。1957年には、雑誌『ポピュラー・エレクトロニクス』は月に25万部も売れていたのである。技術に対する関心が高く、理解力も高い観客が増え、「発振器」「増幅器」などという単語を一般人でも耳にするようになった時代だからこそ、このようなアンチ・ヒーローが誕生したのである。

マル・グランジャーが挑戦をいどむ巨大組織は実は二つある。カール・ステフェンス(オットー・クルーガー)率いる全国規模のギャング組織と「ギャング・スクウォッド」なる特殊任務を負った警察組織である。グランジャーは彼の取り分をピンはねしたギャング組織を出し抜くために、テープを使ったパスト・ポスティングを仕掛け、刑事たちからの追及を逃れるために、電話のリレー通話を使って殺人事件のアリバイを捏造する。グランジャーは一匹狼だが、まさしく知識と技術で巨大な組織に打ち勝とうとする。

それまでのフィルム・ノワールでは、科学技術を駆使するのは警察だった。いわゆるセミ・ドキュメンタリーのノワールでは、犯罪捜査に使われる様々な科学や工学技術を、ボイス・オーバー・ナレーションで説明しながら、警察がいかに進んでいるか、を誇らしげに見せる。だが、この映画はハリウッド映画史における分岐点に立つ、重要な作品だ。ここで、科学技術は警察の独占分野ではなく、犯罪者も使いこなし、時には警察を出し抜く一歩手前まで行けるほど、優れた能力を持ちうるのだということを見せつけた作品である。

皮肉なことに、そのグレンジャーが警察から追われるきっかけとなったのは、無計画に起こした殺人だった。

超えられないサイズの壁

グレンジャーは雇った殺し屋から強請られ、ほとんど発作的に彼を殺してしまう。車で、殺し屋を、海を望む崖から突き落とす、という余りに芸のない殺し方で、である。彼はその証拠隠滅もアリバイ偽装もあらかじめ考えるほどの余裕がなかった。グレンジャーが犯人だと睨んだライト警部補は、彼の所在地を突き止めようとする。遠く離れたパーム・スプリングスにいるように見せかける、グレンジャーのアリバイ工作のアイディア自体は巧妙なものだが、ちょっとした不注意からそれがトリックだとばれてしまう。警察組織の技術力は、グレンジャーの狡猾なトリックを丁寧に剥ぎ落とすだけの巨大なリソースを抱えているのだ。一匹狼の巧みな知恵では、巨大な組織を出し抜くことができない。

それは、ステフェンスの組織との対峙にもあてはまる。ステフェンスの組織はグレンジャーのハッキング能力や警察の巨大な系統的捜査技術力はないが、地下組織の図抜けた情報収集能力と迅速な実行力がある。グレンジャーが編み出したパスト・ポスティングのトリックは、一瞬甘い夢を見させることができたが、最終的にはステフェンスの作り出す悪夢がそれを塗り替えてしまう。

最後のシーケンスは、この巨大な力に小賢しい知能では到底勝ち抜けないという絶望的な状況が、メタフォリカルなイメージとして提示される。グレンジャーが得意とする通信の分野の駆動力として必要な電力、その電力を常に生み出すための巨大な技術装置、ダムによってグレンジャーは運命を絡め取られる。ステフェンスに売り渡され、警察に追い詰められていくグレンジャーとゲイルは、ボールダー・ダムから州境を超えてアリゾナ州に逃げこんでしまおうと考える。ダム見学の一般人に紛れ込んで警察の追跡を振り払おうとするのだが、結局彼らは、一般人から離れて巨大技術の心臓部に逃げ込んでいくしかなかった。それはゲイルには踏み込むことができない、グレンジャーには何の逃げ道も与えない、非情な構造物であった。『第三の男』でハリー・ライムが逃げ回る地下水道のメタファーよりも、はるかに峻酷なものかもしれない。ステフェンスがかすり傷一つ負うこと無く快適な空の旅を楽しんでいるとき、グレンジャーは警察に蜂の巣にされてしまう。しかも、その撮影のなかには、いったい誰が撃ったか分からない実弾もあったとすれば、グレンジャーはフィクションとリアリティの両方でなぶり殺しにされたのだ。

 

 

Links

Ehsan Khoshbakhtの”Notes on Cinematograph”のサイトでは、ジョセフ・M・ニューマン監督の作品の一つとしてこの作品を取り上げている。

Michael E. Grostのサイトでは、更にジョセフ・M・ニューマンのフィルモグラフィを詳細に分析し、『オーシャン通り711』をノワールの典型的な運命に翻弄される男の物語と警察の捜査手法に主眼をおくセミドキュメンタリーの交差する作品として位置づけている。

 

 

Data

コロンビア・ピクチャーズ配給 1950/7/19 公開
B&W 1.37:1
102分

製作フランク・N・セルツァー
Frank N. Seltzer
出演エドモンド・オブライエン
Edmond O'Brien
監督ジョセフ・M・ニューマン
Joseph M. Newman
ジョアンヌ・ドルー
Joanne Dru
脚本リチャード・イングリッシュ
Richard English
オットー・クルーガー
Otto Kruger
原作フランシス・スワン
Francis Swann
バリー・ケリー
Barry Kelley
撮影フランク・F・プラナー
Frank F. Planer
ドロシーパトリック
Dorothy Patrick

 

 

References

[1] G. Blottner, Columbia Noir: A Complete Filmography, 1940-1962. McFarland, 2015.
[2] E. Dimendberg, Film Noir and the Spaces of Modernity, First Edition edition. Cambridge, Mass: Harvard University Press, 2004.
[3] H. Kruse, Off-Track and Online: The Networked Spaces of Horse Racing. MIT Press, 2016.