Fallen Angel

20世紀フォックス配給
1945

『堕ちた天使』のことがなくても、他の映画でもたぶん同じだった。「もう、たくさん」って思ってた。

アリス・フェイ

Synopsis

サンフランシスコ行きのバス、運転手に無賃乗車の魂胆を見抜かれて、その男が放り出されて降り立ったのは、海岸の小さな町ウォルトンだった。この男、エリック(ダナ・アンドリュース)は、人影のない夜の町を歩いて”ポップ”のカフェに立ち寄る。そこで、エリックは気弱そうな店主のポップ(パーシー・キルブライト)、刑事のジャッド(チャールズ・ビックフォード)、アトキンス(ブルース・キャボット)、そしてこの店の注目の的のウェイトレス、ステラ(リンダ・ダーネル)と出会う。エリックもステラの得体のしれない魅力に魅せられてしまう。その夜、エリックは町に<予言者>マドレー教授(ジョン・キャラダイン)が来ると知って、機転を利かし詭弁を操ってマドレー教授の宣伝に一役買って出る。興行では、マドレー教授が町の有力者、ジューン(アリス・フェイ)とクララ(アン・リヴィア)のミルズ姉妹の秘密を町民のまえで暴いてしまう。エリックはステラの関心を買おうとするが、ステラははぐらかし、他の男とデートを楽しみ、焦るエリックはどんどん深みにはまっていく。はぐらかすステラに彼は「大金をつくる」約束をしてしまう。ジューン・ミルズをたぶらかして金を横領する計画を密かに実行に移した。

Quote

「愛だけが堕ちた天使を蘇らせることができる」

ジューン(アリス・フェイ)

Production

原作から映画へ

この映画はマーティ・ホランド(1919 – 1971)の同名のストーリーが原作である。ホランドの本名はメアリー・ハウエンシュタイン(Mary Hauenstein)、オハイオ州ビーバーダムの出身で1940年代にパラマウントに速記タイピストとして入社した[1], [2]。彼女はこの頃から雑誌に自らの小説を投稿するようになったものの、ひたすら不採用通知を受け取る日々だった。後年のインタビューによれば、不採用通知は80にものぼったという。1944年9月、彼女に転機が訪れる[3]。20世紀フォックスがホランドの「Fallen Angel」の映画用トリートメントを買い上げたのだ(40000ドルと報道されている)。ホランドは映画の公開に先立ってこの物語を小説として書き上げ、翌年の4月にダットン社から出版した。まだこの頃になっても、ミステリ小説の著者が女性だと分かると売上に響くと考える傾向が強くあり、女性の作家は男性の名前を名乗ったり、どちらかわかりにくい(ジェンダー・ニュートラルな)名前を名乗ったりしている(例えば、『受取人不明』)。ホランドの場合、「メアリー」をやめて、一般的には<ジェンダー・ニュートラル>と考えられている「マーティ」という名前を名乗っているが、出版した本には彼女の写真も掲載されているし、新聞の取材にも率直に応じている。おそらく「メアリー」というあまりにありふれた名では出版社や読者の目をひかないとおもったのかもしれない1)

ホランドは1948年に「The File on Thelma Jordan」を執筆、これがロバート・シオドマク監督の『血ぬられた情事(The File on Thelma Jordan, 1949)』の原作となる。だが、これ以降はTVなどにもストーリーを売り込むものの、業界の反応は芳しくなかった。一方で「Fallen Angel」は1953年にフランスの<セリエ・ノワール>シリーズの1冊(仏題「La resquilleur」)として刊行されている。

脚本家は当初マリオン・パーソネットの予定だったようだ[4]。しかし、ハリー・クライナー(1915 – 2007)が最終的に担当した。ロシア生まれでフィラデルフィア育ち、彼もこの『堕ちた天使』が初めての単独クレジット作となる。フォスター・ハーシュ著のプレミンジャーの伝記によれば、プレミンジャーがイェール大学で教鞭をとっていたときに最も優秀だったのがクライナーだった[5]。プレミンジャーは自分の教え子が誰一人成功していないのに業を煮やし、クライナーを呼んだという。その後、40年間にわたって、脚本、プロデューサーとして映画、TVで多くの作品を手掛けた。やはりクライナーが脚本を書いたポリシエ・ノワール『情無用の街(The Street With No Name, 1947)』は、サミュエル・フラーによって『東京暗黒街・竹の家(House of Bamboo, 1955)』としてリメイクされている。再びプレミンジャーと組んだ『カルメン(Carmen Jones, 1954)』、スティーヴ・マックィーン出演のカーアクション『ブリット(Bullitt, 1968)』、『栄光のル・マン(Le Mans, 1971)』など話題作も多い。彼はタフでリアリズムに満ちた脚本を得意としていたが、なかなかそれを活かせる機会がなかったようだ。クライナーはコロンビア・ピクチャーズで衣料業界の闇を描く『ガーメント・ジャングル(Garment Jungle, 1959)』のプロデュースを担当する。これは、脚本もクライナー自身が書いたものだったが、監督のロバート・アルドリッチも「非常に、非常に優れていて、極めてタフ」と高く評価するほどだった2)

クライナーはTV番組の脚本も多く手掛けていて、なかには「ハロルド・クレメンツ」という別名で執筆しているものもあるようだ。また、赤狩りの時代にクライナーがアブラハム・ポロンスキーのフロントだった可能性も指摘されている[6]

無名の作家と脚本家が手掛けたストーリーを、『ローラ殺人事件(Laura, 1944)』で大ヒットを飛ばしたばかりのオットー・プレミンジャーが監督することになる。

配役

20世紀フォックスは「Fallen Angel」の映画化権を購入した1ヶ月後に、オットー・プレミンジャーを『堕ちた天使』の監督に選んだ[7]。フォスター・ハーシュによれば、プレミンジャー自身が『ローラ殺人事件』と同じタイプのミステリで、かつタイトルがいかにも当時のサスペンス映画っぽい「Fallen Angel」をもって自分に監督をやらせてほしいとザナックに談判したらしい。

最初に発表された配役はリンダ・ダーネルだった。ゴシップ・コラムニストのローラ・パーソンズが、ステラの役にダーネルが選ばれたことを1945年の1月にいち早く報じている[8]。パーソンズは「(今の時代)映画女優はスクリーン上でいつまでも良い子でいるわけにはいかない」と述べ、『深夜の告白(Double Indemnity, 1944)』にはじまる<悪女>の登場(すなわちフィルム・ノワールの<ファム・ファタール>)の時代と女優の変貌を察知していた。ダーネルは1939年にデビューして以来、順調に出演作を重ねていたが、『戦慄の調べ(Hangover Square, 1944)』で<悪女>を演じて注目を浴びている。ダーネルはステラの役づくりのため、20世紀フォックスのコーヒー・ショップでウェイトレスをして経験を積んだという[9]

ダナ・アンドリュースは、『ローラ殺人事件』の大ヒットで20世紀フォックスでも最も人気の男優となり、またプレミンジャー監督のお気に入りでもあった。『ローラ殺人事件』と同じ鋳型の『堕ちた天使』でも、当然彼がエリック・スタントンの役に呼ばれることになる。しかしアンドリュースは、この原作とスタントンのキャラクターをまったく気に入っていなかった。後年、彼は『堕ちた天使』と『哀しみの恋(Daisy Canyon, 1947)』は出演したくなかった作品だったと述べている[10]。むしろ、彼は『哀愁の湖(Leave Her To Heaven, 1945)』に出演したいと考えていたが、スタジオが許さなかった。スタジオが割り当てた役を断ると6ヶ月の停職処分となる(しかも停職期間は契約期間に含まれない)。アンドリュースは、エージェントと弁護士のアドバイスを受けて『堕ちた天使』に出演することになった[11]

配役が難航したのはジューン・ミルズの役である。当初、アイダ・ルピノやアン・バクスターの名前が報道されていた[12], [13]。アリス・フェイの配役が発表されたのは4月に入ってからである[14]

アリス・フェイが出演した映画の大半が「映画史上の名作」ではないために、現在の映画ファンにはあまり馴染みがないかもしれないが、1930年代後半から1940年代前半にかけての彼女の人気は凄まじいものがあった。『シカゴ(In Old Chicago, 1938)』、『世紀の楽団(Alexander’s Ragtime Band, 1938)』は1938年の興行収入トップ10に入っているばかりでなく、当時としては破格の利益をもたらした(『シカゴ』は290万ドル、『世紀の楽団』は450万ドル[15])。フェイが主演した映画は収支がマイナスになったことがない。ザナックにとってフェイは極めて重要な財産だった。1938年から1941年にかけてザナックはフェイ主演の作品を年に3~4本製作している。しかし、1943年からはフェイは送られてきた脚本を突き返すようになる。結婚して家庭をもち、映画女優としてこれから続けていくためには、いつまでもミュージカル映画ばかりに出演しているわけにはいかないと思い始めていた。ザナックが力を入れていた『ステート・フェア(State Fair, 1945)』の主演も断った。その彼女が『堕ちた天使』に出演する意欲を示したのは、これがミュージカルではないメロドラマであること、彼女が気に入った『ローラ殺人事件』に似た雰囲気をもつこと、同作で印象的なマクファーソン刑事を演じたダナ・アンドリュースが出演すること、からだと言われている[11]

見世物の予言者、マドレー教授にはジョン・キャラダインが抜擢されている。ロサンゼルス・イブニング・シチズン紙によれば、キャラダインは肺炎を患って休養をとっていたが『堕ちた天使』でスクリーンに戻ってきたのだという[16]。肺炎の真偽のほどはわからないが、彼は前年から離婚訴訟、親権ドラブルなど個人的な事情に悩まされていた。この『堕ちた天使』の撮影のあと、和解金から逃れるためにニューヨークに息子デイヴィッドを連れて逃げたようだ(この逃走の際も新聞記者たちには「シェークスピア劇をやりたいからハリウッドとはお別れだ」と発言して煙に巻いていた)。

撮影

20世紀フォックスは『ローラ殺人事件』の魔術をどうしても呼び戻したいと見えて、撮影監督にはジョセフ・ラシェル、音楽にはデヴィッド・ラクシンをあてて製作にとりかかった。

撮影は5月1日~6月26日の2ヶ月弱、予算は1,055,136ドルだった。

プレミンジャーは度を越した暴言や圧迫的な態度で有名な監督だ。この撮影でも、彼はリンダ・ダーネルの演技がまったく気にいらず、執拗にいじめ続けていたという[9]。ダーネルは生涯プレミンジャーを憎んでいたが、彼女はこのあとさらに3作プレミンジャー監督作品に出演することになる。

あれはサディスティックな怪物よ

リンダ・ダーネル、オットー・プレミンジャーについて

大部分の撮影はフォックスのスタジオで行われたが、いくつかのシーンはオレンジ郡で撮影されている。例えばミルズ姉妹が住む家の外観はオレンジ郡に実在する住宅のそれで、撮影後70年以上経過した2021年でも現存する。その他にもジューン・ミルズがオルガンを弾いている教会の外観、同じくジューンが立ち寄るドラッグストアなどもオレンジ郡で撮影されている。一方、ジューンとエリックが教会から出て家に向かうシーンや、サンフランシスコで朝食をとったあと、銀行に向かうところでジューンが警察に連行されるシーンは、20世紀フォックスの敷地内で撮影されている。

ロサンゼルス・タイムズ紙はオットー・プレミンジャーがサンタ・カタリナ島でロケ撮影する計画を立てていることを報じている[17]が、これは少なくとも完成したフィルムには見られない。『ミルドレッド・ピアース』の項でも説明したが、戦時中にはカリフォルニアの海岸線での撮影は厳しく制限されており、やはりまだロケ撮影は許可がおりなかったのではないだろうか。

アリス・フェイが出演するということは、当然彼女が歌を歌うのだろうと誰もが期待した。オットー・プレミンジャーは機会があれば曲を探していた。サンフランシスコ・エキザミナー紙は、そのせいでスタジオが10,000ドル払わなければならなくなった事情を説明している。プレミンジャーとジェローム・カーンが映画で使えそうな曲を探しているときのことだ。カーンが弾いていた「How Sweet Is The Summer」を偶然居合わせたアリス・フェイが素敵な曲だ、と言ったのである。プレミンジャーはその場でカーンから「How Sweet is the Summer」を10,000ドルで買うと宣言した。しかし、この曲は最終的には使用されていない。

デヴィッド・ラクシンは『ローラ殺人事件』のときと同じように、作品の世界を表現した、ロマンチックな曲を提供することを期待されていた。彼はその期待に応えて「Slowly」という曲を作曲した。映画の中では、ステラがこの曲を気に入っていて、ポップの店のジュークボックス(シーバーグ社製クラシック)でいつもかかっているという設定だ。このジュークボックスでかかるバージョンはディック・へイムズが歌っている。実は、この映画のなかでアリス・フェイが「Slowly」を歌うシーンが挿入されるはずだった。

夜のビーチでエリックとジューンがホットドッグを食べて語り合うシーンがある。ワインがきいたのか眠り込んでしまったジューンをエリックが車に運ぶ。車のラジオから静かに「Slowly」が流れ、目を覚ましたジューンがそれに合わせて歌う。このシーンは「いつも歌を聞くステラ」と「歌を歌うジューン」のコントラストになるはずだった[18]

このシーンをザナックがカットしてしまった。プレミンジャーは激怒したが、監督・プロデューサーとは言っても、実権はザナックが握っており、したがうほかなかった。ザナックはダーネルを売り出すことを画策していて、フェイよりもダーネルの出演時間を長くしようとしていたようだ。一部ではアリス・フェイがザナックの意欲作『ステート・フェア』への出演を断ったことへの報復だという憶測もある3)。このカットについてフェイは何も知らされておらず、試写で初めて知った。激怒したフェイはザナックに「印刷できない内容の」手紙を送りつけ、そのまま映画界を去ってしまう。

撮影監督のジョセフ・ラシェルは、この年の2月に『ローラ殺人事件』でアカデミー賞撮影賞(白黒映画部門)を受賞したばかりだった。当時もっとも注目されていた撮影監督の一人といって良いだろう。彼は撮影監督に昇進してからわずか数年しか経っていないが、それ以前はアーサー・ミラーの助手を14年間にわたってつとめていた[19]。ラシェルはクレーンやドリーを使った動くカメラの手法をみごとに確立した撮影監督の代表格だ。彼は専用の小型クレーンを常に使用しており、たとえカメラが静止したシーンでもこのクレーンで撮影した。そのため、通常ならセットアップを一つ一つ別々に組むところを、クレーンを使って効率的に撮影していくという手法をあみだした。特にプレミンジャーとは相性が良かったのか、幾度も組んで、かつ効率的に撮影していた[20]

『堕ちた天使』は予算より20,000ドルの超過で撮影が終了した。

『堕ちた天使』ダナ・アンドリュース、チャールズ・ビックフォード

Reception

公開前の業界評は比較的好意的だ。

この映画は、集客力の高いスターがずらりと並び、オットー・プレミンジャーの優れた製作能力と演出力がメロドラマのプロットを活かして娯楽性の高いものにしている。アリス・フェイ、ダナ・アンドリュース、そしてリンダ・ダーネルが主な出演者で、この話自体は魅力のない人物たちに関わる物語だ。アンドリュースはタフで口の達者な、欲しいもののためには手段を選ばない男を演じている。リンダ・ダーネルはダイナーで働くステラを演じているが、この難しい役どころを実にうまく演じている。チャールズ・ビックフォード、アン・リヴィア、ブルース・キャボット、ジョン・キャラダイン、パーシー・キルブライドら共演者たちも素晴らしい。

Motion Picture Herald

やはり、アリス・フェイの長いブランクが話題である。

演技は合格点のものから優れた演技まで幅がある。フェイがドラマに必要な演技力を発揮できるような場面はほとんどなく、その点においては『堕ちた天使』では彼女の演技力をはかることはできない。

Motion Picture Daily

映画館からの反応はばらついている。

わたしのところの観客は、このダラダラした不健康な話に興味を示さなかった。日曜に上映して失敗した。月曜の夜は客が不入りだった。

S・L・ジョージ、マウンテン・ホーム劇場、マウンテン・ホーム、アイダホ

観客は最後まで犯人探しで楽しんでいた。興行はかなり良い。土曜、日曜に上映した。

ハーマン・フィードラー、グランド劇場、ジャヴァ、サウス・ダコタ

ボード/ショーモンは「A Panorama of American Film Noir」のなかで『堕ちた天使』を「ひどくむらのある映画」と評している[21]

(『ローラ殺人事件』の)並外れた成功に続いて、プレミンジャーが監督したのは、1945年の『堕ちた天使』だった。これはひどくむらのある映画で、堅実なオープニングで始まったと思うと、あっという間に妥協して説教じみた方向へ流れていってしまう。

レイモンド・ボード/エティエンヌ・ショーモン

ポーリン・ケールは、オットー・プレミンジャーが「物語の展開が良く、引き込まれるメロドラマ」を作っていた時期の作品と位置づけ、『ローラ殺人事件』ほどの格はないが、「下品なりにも見ていられる」作品だと述べた[22]。アンドリュー・サリスは「アンドリュース=フェイ、アンドリュース=ダーネル、どちらの二人組にも火花が散っていない」と指摘しつつ、プレミンジャーが、田舎ぐらしのフラストレーションについてのスケールの小さなメロドラマとしてフィルム・ノワールを作り上げた点を評価している[23]

このように『堕ちた天使』はほぼ必ず『ローラ殺人事件』との比較をもって語られる。大部分は物語の展開、ジーン・ティアニーとリンダ・ダーネル/アリス・フェイの魅力、ダナ・アンドリュースの演技といった点において『ローラ殺人事件』のほうが優れている、という見解だ。興味深いのは、撮影監督のジョセフ・ラシェルのキアロスクーロ表現が『ローラ殺人事件』に比べてよりメリハリが効いて、より正確になっている、という指摘だ[24]

『堕ちた天使』は、プレミンジャーのフィルム・ノワールのなかでも最も引き締まった作品で、見た目と罪の意識、そして人を変えるような愛情の探求についての物語だ。撮影監督を担当したラシェルはブラインドから漏れる光とその影を正確に設計し、エリックとジューンが先の見えない未来にむかって泊まるホテルのネオンサインの点滅をみごとに描き出している。これは『ローラ殺人事件』のときに使用された照明技法よりもより一歩さらに踏み込んでメリハリを効かせ、より正確なものになっている。このなかを、プレミンジャーのカメラは美しく動き回っていく。

アンドリュー・ディコス

オットー・プレミンジャー自身は、後年、自分が監督したこの映画をTVで見かけたとくのことをこう語っている[25]

夕食に出かけることになっていて、私は着替えていて、見ると妻はまだ準備ができていない。だからTVをつけてみたら、『堕ちた天使』をやっていたんだ。面白くなってしまってね。というのも私にとっては全く初めて聞くストーリーみたいになっていたんだ。すると、妻が準備ができて、出かけなければならなくなった。TVを消して気がついたんだ。この映画、最後はどんな終わり方するんだっけ、って。

オットー・プレミンジャー

Analysis

比較と対照

映画が始まって10分ほどのところで、エリック(ダナ・アンドリュース)がミルズ姉妹の家を訪れるシーンがある。何度この作品を見ても、このシーンで空間が混乱してしまう。理由は簡単だ。コンティニュイティが間違っているからだ。前のカットでクララ・ミルズ(アン・リヴィア)とエリックの位置関係が変わっているのに、次のカットで元の位置関係に戻ってしまっている。この間違いのせいで、二人の向こうにある大時計がまるで2つあるような錯覚に陥ってしまう。結果的にこの大時計が実に大きな存在感を放つようになる。時計は10時7分を指している。

コンティニュイティのミス

この時刻はこの映画の最初のシーンを思い起こさせる。エリックがバスを降ろされてたどり着いたパップの店で、食事を注文すると「もう10時過ぎだよ」と断られそうになる。そこへステラ(リンダ・ダーネル)が呼び鈴とともに現れる。つまり、エリックは夜の10時過ぎに破滅を呼ぶ女と出会い、12時間後の朝の10時過ぎに救済の手を差し伸べる女と出会うのである。

プレミンジャーがこの作品で<比較>と<対照>を鍵として採用しているのは、多くの批評家が指摘している[26],[18]。例えば、夜のダンスホールで、ステラとエリック、そしてジューンとエリックの対比が精確に行われている。ステラとエリックがテーブルで会話をするシーンは、ショット/リバースショットを積み重ねていくが、ある時からじっと首をかしげて眠たげな眼でエリックの話を聞くステラだけが映される。彼女の、この妖艶で謎めいた表情は、観ている者に彼女の印象を刻み込み、その後の物語の展開を準備していると言ってよいだろう。一方、エリックがジューンを誘い出し、二人がテーブルで会話をするシーンも、ショット/リバースショットの積み重ねで構成されている。しかし、ここでのジューンはほぼ正面からとらえられ、<健全さ(wholesomeness)>が強調されている。ステラとジューンの微妙な違い、髪の色、ドレスのデザイン、胸の露出具合、首のかしげ具合、聞き手と話し手、椅子の配置、酒を飲むという儀式、そういった差異の積み重ねで、この二人の女性が物語で占める位置が明確になっていく。

ステラがドアの呼び鈴やレジのベルの音を鳴らす女だったら、ジューンは呼び鈴に驚かされる人間だ。ステラが経済的な安定を相手に求める人間であれば、ジューンはそれを相手に与えることができる人間だ。ステラが夜に蠢く人間であれば、ジューンは明るい陽光に照らされる町の小径を歩く人間だ。だから、エリックがそれぞれの女性と初めて出会うのが夜の10時過ぎと朝の10時過ぎというのは象徴的なのである。

削除されてしまった「Slowly」を歌うシーンも、ジューンとステラの<対照>にとって軸となるはずだった。ステラはジュークボックスでディック・へイムズが歌うこの歌を聴き、ジューンはラジオに合わせて歌う。<聴く>と<歌う>の対比。このシーンを削除されてプレミンジャーが怒ってザナックに談判しに行ったというのも、映画全編を流れるこの曲を軸としたコントラストが失われてしまうことに対する抗議だと理解できる。

オットー・プレミンジャーはカメラの動線と速度の制御が巧みな監督で、この映画では『ローラ殺人事件』よりさらに踏み込んだ制御が行われている。そして、このカメラの動き(移動)も二人の女性の<比較>と<対照>の道具として機能している。ステラを映すシーンではカメラの動きは最小限に留められ、閉所での狭苦しい印象を与える。どちらかといえば、ステラをクローズアップから引いて撮る、プルアウト(引き)の動きのほうが多い。ジューンのシーンでは、カメラは開放的な空間を自由に動き、中には印象的なクローズアップに寄っていくプッシュイン(寄り)で終わるショットもある。

プレミンジャーは、数作品のフィルム・ノワールを含む多くのメロドラマを監督していた1940年代から50年代に、移動カメラを卓越した映画の技法として確立することに貢献した人物の一人である。

プレミンジャーのカメラに欠けている<音楽性>

この時期のハリウッドの移動カメラの技法を議論する際に頻繁に挙げられるのが、アルフレッド・ヒッチコック、マックス・オフュルス、そしてオットー・プレミンジャーの3人の監督である(ジャン・ルノワールが加えられることもある)。これらの監督に共通するのはヨーロッパで映画界にデビューした監督たちだという点だ。ヒッチコックに関する著作で知られるロビン・ウッドは、この4人のカメラを動きについて「Ewig hin der Liebe Glück」で論じている[27]。彼によれば、ヒッチコックが『レベッカ(Rebecca, 1940)』以降、得意としたのは「主観的なトラックショット(subjective tracking-shot)」であり、観客が登場人物とともに動いているという感覚をもたらす一方、プレミンジャーのカメラの動きの目的は全く目立なくなること(unobtrusive)であり、観客を登場人物やその行動から引き離す(detachment)という効果をねらっているという。ルノワールは前景と背景の対位法を用い、<生は絶え間なき流れである>ことを示唆している。これらの技法に対し、オフュルスの移動カメラは主観的でもなく、あるいは客観的でもなく、「登場人物とともに動く」という点を主眼としていると論じている。さらに、ウッドはプレミンジャーのカメラの動きについて「洗練されていて滑らかではあるものの、オフュルスの<音楽的な>次元を欠いている」と断じている。彼が<音楽的(musical)>と呼ぶものはなんだろうか。オフュルスの『忘れじの面影(Letter from an Unknown Woman, 1948)』のリンツでのシーンにおける「行きと帰りの」2つのトラッキング・ショットについての分析の中で、<音楽的>はこう書かれている。「2つの(トラッキング・)ショットは、それぞれがお互いの変奏となっており、繰り返しでもあり、かつ反転でもある。」

オフュルスの『忘れじの面影』のリンツのシーンを見返してほしい。リサと若い将校が街路を教会に向かって歩く「行き」は長回しのトラッキング・ショットだが、教会から出てからの「帰り」は「行き」に比べて極めて短く、対称性もなければ類似性もない。「繰り返し」でもなければ「反転」でもなく、ウッドが定義する<音楽的>に該当しているとはとても思えない。ウッドはオフュルスの移動カメラがもつ特性を記述して、他の監督───特にプレミンジャー───の移動カメラよりも優れていると論じたいようだが、これでは無理がある。確かにこれら4人の監督の移動カメラの技法にはある種の違いがあるが、それは製作時の状況、作品のなかでの機能、観客の受容の文脈、などによっても大きく左右される。さらに完成した作品に監督の意図がどこまで反映されているかは、推測の域をでない。『魅せられて(Caught, 1949)』の項でも論じたが、ハリウッド時代のオフュルスは常に予算と戦わざるを得ず、しかも独立製作だったために、例えばプレミンジャーのようにスタジオの設備を簡単に使用できたわけではない。この『忘れじの面影』のリンツのシーンでも、製作費の削減のせいで当初の予定を諦めて急遽トラッキング・ショットのレイアウトを考案するしかなかったのである。『堕ちた天使』のプレミンジャーの場合には、撮影監督のラシェルが2人の優秀な助手と常にドリーを縦横無尽に使って撮影に臨める状況だった。それくらい製作環境が大きく異なる。

これら4人の監督のなかで、どの監督の移動カメラが詩的であるとか、美しいとか、音楽的であるとか、といった議論はまったく意味がない。むしろプレミンジャーの作品にみられる傾向を精確に把握することが重要だろう。というのも、プレミンジャーがこの時期に始めたテクニックが、後のハリウッド映画のあり方に少なくとも影響を与え、基盤になっていると思うからだ。特に『堕ちた天使』はその岐路にたつ重要な作品と考えている。『堕ちた天使』で極めて印象深い移動カメラとロングテイク(長回し)には以下のものが挙げられるだろう。

① ミルズ姉妹のキッチンでの会話。キッチンに入ってきた姉妹を追いながら、途中ジューンのみを追う。ジューンがテーブルにつくと、テーブルをはさんで座る姉妹の構図になるが、会話が終わるとゆっくりとジューンにプッシュインしていく。

② マドレー教授の予言ショーの様子。カメラは舞台上のマドレー教授にプッシュインしたのち、スイッシュパンして客席のジャッド(チャールズ・ビックフォード)夫妻、そしてさらに緩やかにパンと移動をしながらミルズ姉妹をとらえた後、ステラとパップ、そして会場に入ってきたエリックとをフレームにおさめつつ緩やかにプッシュインして寄っていく。

③ 教会でエリックがオルガンを弾いているジューンに話しかけるシーン。エリックをフォローしながら上へ上昇しつつパン、そのままトラッキングし2人をフレームにおさめる。極めて緩やかなプッシュインでフレームし直した後、ほぼ静止。2人が教会を出ていく様子を上に上昇しつつパンして追う。

④ サンフランシスコでエリックとジューンがカフェで朝食をとったあと銀行に向かうところでジューンが警察に連行されるシーン。2人がテーブルで食事している静止した構図から始まり、ジューンが立ち上がるとともに上に移動して窓の向こうの銀行の様子をとらえる。そのままカフェを出る2人をフォローする。ジューンが通りを渡って銀行に向かうが、カメラはそのままエリックにゆっくりとプッシュインする。ジューンが警察に連行される様子がカットで挿入される。先程のプッシュインに続くかたちでさらにエリックにプッシュインする。今度はジューンを載せた警察の車をフォローしながら大きく回転してパンする。そのパンからエリックをフレームに収めさらにもう一度プッシュインする。

ここに挙げた例は一般的にはロングテイクとは呼ばれないかもしれない。①はわずか56秒程度しかない。しかし、①はこの作品のスタイルを考える上で極めて重要な例だ。当時の他の監督ならテーブルについた姉妹を構図に収めた後、カットしてジューンのクローズアップにするであろう。それをカットせずにプッシュインでつなげている。しかもその動きが滑らかで、かつ緩やかで、観ているほうは動きに気づきにくい。これは③も同じで、このシーンがロングテイクであることを気づかせない静かな動きである。

つまり、この作品で特徴的なのは「緩やかなプッシュイン」「緩やかな上昇と下降」だ。登場人物たちが会話をしているときにゆっくりと寄っていくことが多い。この「緩やかさ」はプレミンジャー、特に『堕ちた天使』に極めて特徴的だ。もうひとつ、これは『ローラ殺人事件』でも見られたが、上下に移動、あるいはプッシュイン/プルアウトしながらのパンである。

だが、これは本当にプレミンジャーの作品に特異的なことなのか。20世紀フォックスだからできたことではないのか?ラシェル自身が「どの撮影現場でも、静止ショットでも、ドリーにカメラを載せていた」というのであれば、同時期にラシェルが撮影を担当した作品を比較すれば、プレミンジャーの特徴はあるのか、あるとすればその<狙い>は何なのかがもう少し見えてこないだろうか。

『堕ちた天使』移動撮影③

ラシェルの作品

まず、ジョセフ・ラシェルが使っていたカメラやドリーについて確認しておきたい。

ラシェルを含む20世紀フォックスのカメラマンは、20世紀フォックスが自社で開発したカメラ(”Twentieth-Century Camera”)を使用していた[28]。これは1936年に発表され、実験機から順次撮影現場に導入、1940年以降は10台以上を製造して保有していた。このカメラは当時ハリウッドでメジャースタジオが使用していたミッチェルのトーキー用カメラと比べて、圧倒的に優れた点がいくつかある[29]。まず、静音構造を徹底的に追及して、特にフィルム送りの構造が雑音をたてないように設計されている。このおかげで、カメラをブリンプ(遮音箱)に入れる必要がない。極めて軽量で(通常180Kgだが37Kg[30, p. 193])1945年当時のパラマウントでの撮影風景と比較するとこの差は一目瞭然だ。

ジョセフ・ラシェルのチーム。これは1948年の写真だが、カメラはTwentieth Century Camera。ブリンプをかぶせていない。(American Cinematographer 1948年11月号より)

 

パラマウントでの”Affairs of Susan”の撮影風景。カメラを収めるブリンプを開けたところ。(American Cinematographer 1945年5月号表紙より)

また、このカメラは実際に撮影に使用するレンズを通してシーンの確認ができた。ミッチェルでは本体に取り付けられたビューファインダーでしかシーンを確認できず、フィルムに記録される像とのズレを予想するしかないが、20世紀フォックスのカメラはフィルムマガジンを75度右に倒すと、撮影用のレンズの像を確認することができる。これは移動撮影のときの移動軌道やフォーカス調整の確認で威力を発揮する。

ほかにもフォローフォーカスの調整機構、レンズ・ターレットの改良など、当時のミッチェルのカメラに比べて優れた点が多かった。また、三脚ヘッドが油圧式になっていて、パン、チルトなどの動きが滑らかになっていた。1939年当時、グレッグ・トーランドが自ら開発した油圧式三脚ヘッドを業界誌で頻繁に喧伝していたが、20世紀フォックスでは特に珍しいことではなかったのである。

彼が関わった作品の製作時のスチール写真を見ていくと(『ローラ殺人事件』linklink、『戦慄の調べ(Hangover Square, 1945)』link、『堕ちた天使』など)、いつも同じドリーを使っているわけではないが、レイビー社のドリーを主に使っていたようだ。これは4輪のドリーに2メートル足らずのブーム(クレーン)が搭載されているもので、ラシェルが長年アシスタントをしていたアーサー・ミラーも頻繁に使用していたと言われる[31]。つまり、水平方向への移動だけでなく上下・前後の移動を合わせたカメラ移動をできるようになっている。ただ、当時のレイビー・ドリーのブームはギア式になっていて、油圧式ではない。オペレーターの力量がそのまま映像の滑らかさに反映される。興味深いのは、当時、ドリーの車輪は空気入りタイヤよりも固い車輪のほうが滑らかに移動できたという点だ。

つまり、ラシェルの場合、軽量で、リハーサルでシーンの確認がしやすく、滑らかな移動が可能なカメラとドリーを常に使用できる環境にあった、といえるだろう。

ラシェルの撮影チームは、オペレーターのドン・アンダーソンとフォーカス・プラーのレイ・マラの3人である。

では、ラシェルが他の監督と仕事をしたときにはどんな特徴があらわれているだろうか。

ラシェルが『ローラ殺人事件』以降、担当した作品は以下である。

タイトル公開年監督
ローラ殺人事件(Laura)1944オットー・プレミンジャー
戦慄の調べ(Hangover Square)1945ジョン・ブラーム
アダノの鐘(A Bell for Adano)1945ヘンリー・キング
堕ちた天使(Fallen Angel)1945オットー・プレミンジャー
ドール・フェイス(Doll Face)1945ルイス・サイラー
クローディアとデビッド(Claudia and David)1946ウォルター・ラング
小間使(Cluny Brown)1946エルンスト・ルビッチ
ボストン物語(The Late George Apley)1947ジョセフ・L・マンキーウィッツ
ハーロウのフォックス家(The Foxes of Harrow)1947ジョン・M・スタール
海の呼ぶ声(Deep Waters)1948ヘンリー・キング
幸せの森(The Luck of the Irish)1948ヘンリー・コスター
深夜の歌声(Road House)1948ジーン・ネグレスコ

ヘンリー・キング監督の『アダノの鐘(A Bell for Adano, 1945)』は、フォックスの敷地内にイタリアのセットを作って撮影されている。移動カメラは比較的多いが、その大部分が登場人物たちの動きをフォローするトラッキングショットである。特にこの作品では人物の動きが複雑で、部屋の出入りだけでもかなりの数になる。それをフォローで追っているのでカメラは頻繁に動いているのだが、あくまで「追っている」だけだ。プレミンジャーのようなプッシュイン/プルアウトは見られない。

ジプシー・ローズ・リーの話題作「The Naked Genius」を原作とした『ドール・フェイス(Doll Face, 1945)』、エルンスト・ルビッチ監督の『小間使』、ジョセフ・L・マンキーウィッツ監督の『ボストン物語』あたりの作品ではカメラは静止かパンによるフレームの取り直しといった最小限の動きに限られてくる。ルビッチはテンポのよい会話を静止でとらえる姿勢を崩していない。時代は下がって1948年のジーン・ネグレスコの『深夜の歌声』は、フィルム・ノワールに分類されることもあるが、ここでも極めてシンプルなカットが続く。

一方、ウォルター・ラング監督の『クローディアとデビッド』では、『堕ちた天使』で見られた移動カメラの技法が随所でみられる。部屋のなかでの人物の移動の際に上昇しながらのパンも現れ、事故を見て夫の安否を気遣うドロシー・マクガイアにプッシュ・インするショットもある。コネチカットに住む中流家庭の日常をコメディタッチで描く作品だが、コメディであっても移動カメラを効果的に使用している。『ハーロウのフォックス家』でも各所でパンと上下移動を組み合わせた移動が見られる。『アダノの鐘』のヘンリー・キングは『海を呼ぶ声』でロングテイクに挑戦しているが、果たして功を奏しているかどうかは疑わしい。『幸せの森』では、セシル・ケラウェイがタイロン・パワーに<主人に仕えること>の哲学を述べる───それはそのままパワーのおかれた状況を客観的にみるきっかけになる物語的転回の軸となる───シーンだが、そこで極めて効果的にかつシンプルにプッシュインが使われている。だが、これらの作品ではこういった技法が散発的に現れるだけで、プレミンジャーの作品のように首尾一貫して使用されているわけではない。

ラシェルが撮影を担当した作品として挙げたなかで、ロングテイク、移動カメラといった撮影の特徴だけを取り出して考えれば、ジョン・ブラーム監督の『戦慄の調べ』がもっともプレミンジャーの『ローラ殺人事件』や『堕ちた天使』のアプローチに近いだろう。オープニング、ロンドンの雑踏から瓦斯街灯を伝って2階の窓から部屋に入り込み、殺人の現場へと連なるショット、そしてそれがPOVショットに繋がっていくのは、実に派手なカメラ移動だ。窓を通り抜ける、POVに切り替わる、といった変化は、観る側にカメラの存在を確実に意識させる。また、レアード・クリーガーが金属パイプが落ちる音を聞いて発作を起こすシーンもカメラは大胆にプッシュインでクリーガーの表情を強調してクローズアップする。これらは手法としては、オットー・プレミンジャーの作品と同じかもしれないが、ねらっている効果が違う。クリーガーへのプッシュインは心理的なパニック状態を強調し、観客の印象的に刻み込むために行われている。技術的に注意を払っている点も異なる。『戦慄の調べ』のなかの動きは、移動速度も速く、若干滑らかさを欠き、ガタツキもみられるくらいだ。

このようにして見ていくと「滑らかでゆっくりとしたプッシュイン、プッシュアウト」、「滑らかな上下前後移動とパンの組み合わせ」は、当時の20世紀フォックスのスタイルでもなければ、撮影監督のラシェルの癖でもない。やはり、プレミンジャーの移動撮影の最も重要な要素だと言ってもよいだろう。この滑らかさはドリーのオペレーターの熟練だけでなく、基礎となる技術が必要で、それらが当時の20世紀フォックスには整っていた。ラシェルの他の監督との仕事を見る限り、撮影監督はあくまで監督のストーリーテリングのために撮影方法を選ぶという点が徹底され、プレミンジャーとの撮影において、移動撮影の完成度に重点を置いていたのは明らかだ。

では、この滑らかな移動はなにをねらって行われていたのか。

青い万年筆、黒い万年筆

オットー・プレミンジャーは1975年にロバート・ポルフィリオとのインタビューで、1940年代に重いミッチェルのカメラなどに代わって軽いカメラが登場した影響を問われてこう答えている[32]

それって、青い万年筆で書いたほうがいいのか、黒い万年筆で書いたほうがいいのかってことを議論したいのか?(このインタビューでは)映画作りにおいて大事な問題をカバーもしてないし、話もしないし、取り上げもしてないじゃないか。君はまるでカメラや照明やフィルムやセットを製造することに興味があるみたいじゃないか。そんなもの、重要じゃない。

オットー・プレミンジャー

プレミンジャーの超然として尊大な態度や発言は、晩年のインタビューでさらに攻撃的で辛辣になっていた。1950年代にはジャック・リヴェットらがプレミンジャーを絶賛していたが、どこかで滑り落ちはじめ、ドワイト・マクドナルドに『枢機卿(The Cardinal, 1963)』を「ストーリーはゴミのよう、演出は品もなければ、想像力はもっとない」とこき下ろされ[33]、アンドリュー・サリスの悪趣味な監督のランク付けでは、オフュルスやスタンバーグが殿堂入りしているのに、彼はその下だ[34]。プレミンジャーがポルフィリオとのインタビューのなかでこの二人の監督を腐しているのも偶然ではないだろう。

プレミンジャーの演出スタイルは<客観的(objective)><突き放した(detached)>ような視点で描かれていると評されてきた。特にクリス・フジワラはプレミンジャーの演出の特徴を<outsideness>と呼び、彼が登場人物の視点に立つことを拒みつつも、一方でロングテイクは物語を語る主体が<そこにいる存在>として時間と空間を占め、カットを通じて外に出ることを拒絶しているのだと論じた[35]

プレミンジャー自身は「カットを入れるたびに流れが止まると信じている」と述べている[36]。クローズアップでもカットしない、俳優をカメラに近づくように動かすか、カメラを俳優に近づけるかする。その動きは動機がなければならないし、派手にやってはいけない。それがプレミンジャーの考え方だった。そしてオフュルスのロングテイクや移動撮影について「表面的に観ている観客は『ああ』って言うだろ」と言い、その<演出の手>が見えることについて極めて批判的だ[32]

1940年代前半のハリウッド作品では、移動撮影は物語のうえである種の役割を担っている場合が多かった。移動によって物語の舞台となる場所をくまなく見せる、プッシュインによって人物の心理に移行するシグナルを発する、といった役割を担っていた。例えば、この時代の映画で最も有名なプッシュインといえば『カサブランカ(Casablanca, 1942)』でリック(ハンフリー・ボガート)に2回連続してプッシュインするシーンだが、これは彼がパリでの出来事を思い出すフラッシュバックの契機となっている。「これからリックの回想にはいるぞ」というシグナルとしてプッシュインが使われているのだ。あるいは、ラストでリックとイルザに寄っていくプッシュインは「これからリックの決め台詞がはじまるぞ」という契機になっている。少し危険な言い方になるが、プレミンジャーはそのような<物語の契機>としてのテクニックを避け、観客を物語に巻き込むために必要な<動機>を提示する方法として様々な手法を選んだ。彼のカメラがジューンにプッシュインするときに、私達観客はジューンの心の中をこれから見るぞ、という契機を与えられるのではなく(そんなシーンは続かない)、ジューンが何を考えているのか正直なところはわからないまま、彼女の何らかの心理の変化を想像するように求められる。観客は物語に巻き込まれるが、登場人物たちに同化するわけではない。

それを達成するためには、観客がカメラを意識してはいけないのだ。だから彼のカメラの動きは滑らかで、動きの速度も遅いのだ。『黒い罠(Touch of Evil, 1958)』のオープニングのように、クローズアップからあっという間に遠景のクレーンショットに移行するようなワイルドなスピードも無ければ、『拳銃魔(Gun Crazy, 1949)』の銀行強盗のシーンのように実際の強盗が「映らない」ことによるカメラの限界を気付かされることもない。

私がここまで「滑らかさ」「緩やかさ」についてこだわったのは、おそらくこのあたりを境にして、ハリウッドのカメラはプレミンジャーの目指していた方向に進んでいったと思うからだ。多くの作品は<監督の手>が見えにくいものになっていった。『ジュラシック・パーク(Jurassic Park, 1993)』のグラント(サム・ニール)によっていくプッシュインは、滑らかで、かつ緩やかで、カメラの動きがあることさえ気づかないかもしれない。一部のシネフィルが熱く語るような長回しのテクニックよりも、誰も気づかないような滑らかなクレーンショットのほうが、より多くの作品の基盤となり、物語を支えている。

そういった観点で『堕ちた天使』を再見すると、『ローラ殺人事件』の焼き直しというよりも、もっと得体のしれないモダニズムを感じる。<すごい作家のすごいショット>といったロマン主義的な表現への志向から逸脱して、<演出を見えなくして観客を巻き込んでいく>という現代的な市場主義をミニマリズムと組み合わせたような志向が見えているように思う。だからこそ、多くのひとがプレミンジャーの作品を「これは本当に芸術と呼べるのか」と問答したのであろう。

1)^アメリカの国勢調査によると、新生女児に命名される名前のなかで、「メアリー」は1950年代までずっと1位だった

2)^『ガーメント・ジャングル』はニューヨークの縫製工場(スウェット・ショップと呼ばれる)の労働者たちが、ひどい労働条件に耐えかねて組合を作ろうとする物語である。この内容が(当時、労働組合を「支配」していた)マフィアの了承を得ていなかった。ハリー・コーンがラスベガスに打診すると、脚本はどんどん「ヤワな」ものに書き換えられていき、最終的にはアルドリッチが寝込んでしまうほどつまらないものになってしまった。アルドリッチはクビになり、ヴィンセント・シャーマンが仕上げた[37]

3)^ アリス・フェイは『堕ちた天使』を最後に映画から離れたが、ザナックが20世紀フォックスを離れた後の1962年に、20世紀フォックスでリメイクの『ステート・フェア』に出演して映画界にカムバックしている。あきらかにザナックへのあてつけだろう。

Links

プレミンジャーのフィルム・ノワールについての考察が「Preminger Film Noir」というサイトにあるが、『堕ちた天使』の小説からのアダプテーションについてはここに掲載されている。

サイト「Senses of Cinema」の監督特集でクリス・フジワラがオットー・プレミジャーについて述べている。『堕ちた天使』は「20世紀フォックスの契約下で『ローラ殺人事件』の魔力に磨きをかけたスリラー映画」の一つとして挙げられている。

Data

20世紀フォックス配給 11/7/1945公開

B&W 1.37:1

98分

製作オットー・プレミンジャー
Otto Preminger
出演アリス・フェイ
Alice Faye
監督オットー・プレミンジャー
Otto Preminger
ダナ・アンドリューズ
Dana Andrews
脚本ハリー・クライナー
Harry Kleiner
リンダ・ダーネル
Linda Darnell
原作マーティ・ホランド
Marty Holland
チャールズ・ビックフォード
Charles Bickford
撮影ジョセフ・ラシェル
Joseph LaShelle
アン・リヴィア
Ann Revere
編集ハリー・レイノルズ
Harry Reynolds
ブルース・キャボット
Bruce Cabot
音楽デヴィッド・ラスキン
David Raksin
パーシー・キルブライド
Percy Kilbride

References

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[2] ^ D. Swinton, “Marty Won Fame the Hard Way,” Hollywood Citizen-News, Los Angeles, Apr. 15, 1947.

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