FILM

The Phenix City Story (1955)

無警察地帯
The Phenix City Story

アライド・アーチスツ配給
1955年

人間は撃たれれば、出血するんだ
フィル・カールソン

Synopsis

アラバマ州のフェニックス・シティ、そこに住む弁護士のアルバート・パターソンは、ニュールンベルグ裁判の仕事でドイツに長らく住んでいた息子のジョンの家族と再会、一緒に住むようになる。フェニックス・シティの14番街はギャンブル、売春といった犯罪が堂々と行われているが、そこを取り仕切っているタナーは、町の警察まで配下に置いていた。自分たちの町が腐敗して堕落していくのに我慢がならなくなった住人がパターソンに、犯罪撲滅運動に加わるように懇願するが、パターソンは首を縦に振らない。彼も過去に町の犯罪組織と法の下で戦おうとしたことがあったのだが、とても歯が立たなかったのだ。しかし、ある事件をきっかけに、ジョンとアルバートの親子はフェニックス・シティの癌と闘う決心をする。

Quotes

ジョン・パターソン  :  これは誰なんだ?
アルバート・パターソン:  ジークの娘だよ。
ジョン・パターソン  :  たったこれだけのためだけに、この子を殺したのか?
アルバート・パターソン:  これよりもっと意味のない殺しもあるんだ。

Production

この映画は、アラバマ州に実在するフェニックス・シティと、そこで1954年に実際に起きたアルバート・パターソン射殺事件を下敷きにしている。

シン・シティ

第二次世界大戦の終わった1950年代、アラバマ州フェニックス・シティーは「シン・シティ」と呼ばれ、組織犯罪の巣窟として、全米の注目を集めていた。19世紀にライブリーという名で生まれたこのチャタフーチ川沿いの小さな街がなぜそこまで悪名高い土地になったのか。確かに、この街はその創設時より犯罪者や逃亡者が集まる場所で「ソドム」という異名まであった。しかし、ギャンブルが公然と行われ、売春婦達が通りにあふれ、ドラッグが蔓延した最大の理由は、他でもない、目と鼻の先にあるフォート・ベニングの陸軍基地である。第二次世界大戦中は、フェニックス・シティのギャングたちが売春婦を乗せたトラックを基地のゲートまで送り届けつづけた。おかげで、米国最高の性病罹患率を誇ったとされ、怒ったパットン将軍が「戦車で街を焼け野原にしてやる」と息巻いた。フェニックス・シティを訪れる兵士たちは、売春宿やギャンブル場で金を巻き上げられ、抵抗すればギャングたちに血祭りに上げられたという。

地域の有志による犯罪撲滅運動も、常に脅迫や妨害にさらされ、全く効果をあげることができていなかった。1951年にこの運動のリーダーとして、弁護士のアルバート・A・パターソンが選ばれ、ラッセル浄化協会が活動を始める。パターソンはこの地域の犯罪を一掃するには州規模の政治的介入が必要だと考え、1954年に検事に立候補した。選挙は、ギャングによる組織的な不正、妨害が堂々と行われたが、それでも彼は選挙に勝利し、選出される。ところが選挙に当選した翌日、パターソンはギャングの凶弾に斃れてしまう。

この前代未聞の事態に、それまではフェニックス・シティの対策には消極的だったパーソンズ州知事も、すぐに州兵を投入した。スロットマシーンは破壊され、賭場は閉鎖される。シン・シティの悪の巣窟の壊滅をメディアが一斉に報じ、ファシズムでも共産主義でもない、国内に潜む暗部が旧約聖書の物語のごとく「成敗」されるさまを国民は固唾を呑んで見守った。

クレイン・ウィルバーとダニエル・メインウェリング

このセンセーショナルな事件を映像化するチャンスを、低予算のジャンル映画を得意としていたアライド・アーチスツは見逃さなかった。「フェニックス・シティ」あるいは「ワイド・オープン・タウン」といった題名で脚本化が始まる。脚本にはクレイン・ウィルバーとダニエル・メインウェリング、そしてチャールズ・ベネットがクレジットされている。クレイン・ウィルバーはイーグル・ライオンで『キャノン・シティ(Canon City, 1948)』や『夜歩く男(He Walked by Night, 1948)』などのフィルム・ノワールの佳作に監督や脚本として関わり、ワーナー・ブラザーズで『肉の蝋人形(House of Wax, 1953)』『土曜日の正午に襲え(Crime Wave, 1954)』などの低予算映画の脚本をアンドレ・ド・トス監督に提供している。ダニエル・メインウェリングは、1930年代からジェフリー・ホームズというペンネームでミステリ作家として活躍していた。1946年に発表した「Build My Gallows High」がRKOで映画化されることになり、自ら脚本化、代表的なフィルム・ノワールの作品『過去を逃れて(Out of the Past, 1947)』となった。その後もRKOや独立製作で数多くの脚本を担当している。『ボディ・スナッチャー/恐怖の街(Invasion of the Body Snatchers, 1956)』もその一つである。

『無警察地帯』は、当初クレイン・ウィルバーが脚本と監督を任され、エドワード・G・ロビンソンやジョージ・ラフトが出演者として名を連ねていた。ウィルバーのクレジットは「脚本(Screenplay by)」と「フェニックス・シティでの取材(Documented in Phenix City by)」となっており、実際、彼が現地で調査した内容が下敷きになっている。途中からメインウェリングが参加。メインウェリングの脚本では「フラッシュ・フォワード」が組み込まれていたという。フラッシュ・バックが過去に戻って話を語るのに対し、フラッシュ・フォワードでは、物語の時間軸が先に飛んで、未来に起きることが語られる。メインウェリングの脚本では、ジョン・パターソンが妻に「町の浄化運動に参加したら未来はどうなるか」を語り、その未来図がフラッシュ・フォワードとして組み込まれていた。だがこのアイディアは監督のフィル・カールソンによって不採用になったとメインウェリングは語っている。現存するバージョンのエンディング、すなわちリチャード・カイリーが演説をするエンディングは、メインウェリングは関わっていないという。

フィル・カールソン

小さいスタジオで働くほうがよっぽどいいね。フィル・カールソン

監督のフィル・カールソンは1940年代からモノグラム・ピクチャーズなどのポヴァティ・ロウを中心に低予算の映画を量産しつつも『アリバイなき男(Kansas City Confidential, 1952)』『ギャングを狙う男(99 River Street, 1953)』『戦場よ永遠に(Hell to Eternity, 1960)』など優れた作品を作っている。シカゴ出身、ギャングたちの抗争と隣合わせの少年期を過ごした。1975年に出版された「Kings of the B’s」のインタビューでは高校生の時に映画館の前で銃撃を目撃したこと、その後の顛末などを詳しく語っている。ロサンジェルスのロヨラ大学で法律学を専攻していたが、学資稼ぎのためにユニバーサル・スタジオでバイトをしたことがきっかけで映画の世界に入っていく。映画製作の様々な現場に関わり(一時期はウィリアム・ワイラー、ジョン・フォードの下で編集を担当したり、ルネ・クレールの助監督もしている)、1944年にルー・コステロの助力を得てモノグラム・ピクチャーズから監督デビューした。

『無警察地帯』はカールソン自身、気に入っている作品だと述べている。特に『ブラック・ゴールド』でも一緒に仕事をした撮影監督のハリー・ニューマンを高く評価していた。

(ハリー・ニューマンは)私たちが「現像所育ち」と呼ぶカメラマンのひとりさ。撮影セットじゃなく、現像所から入ってきたカメラマンと仕事をすると、現像も照明もわかっているから、こっちの欲しいものがすぐに分かってもらえるんだ。ハリーはそういうカメラマンのひとりさ。フィル・カールソン

脚本のメインウェリングは、『無警察地帯』における編集のアプローチについて興味深い指摘をしている。シーンをつなぐ箇所でディゾルブが使われていない、という点である。

ヌーヴェル・ヴァーグのずっと前さ。でもディゾルブを使わなかったのは、ヌーヴェル・ヴァーグの連中と同じ理由。ディゾルブを1箇所入れると75ドルかかるからさ。ダニエル・メインウェリング

プロデューサーのサム・ビショップがディゾルブを入れるごとに75ドルかかるのをなんとかならないか、といい始めたらしい。メインウェリングは自分がディゾルブを使わないことを提案したと言っているが、果たしてどうだろうか。

カールソンは1960年代に入っても、低予算のジャンル映画を撮り続けた。ロジャー・コーマンの後を継いでディーン・マーチン主演の『サイレンサー/沈黙部隊(The Silencers, 1966)』を監督もしている。

1973年の『ウォーキング・トール(Walking Tall, 1973)』が大ヒットし、一財産を築いて引退する。その後、ポヴァティ・ロウの再検証や「B級」フィルム・ノワールのリバイバルで、カールソンの映画が見直されるようになった。

リアリズムとジャーナリズム

この作品は全編、フェニックス・シティでロケーション撮影された。特に興味深いのはその構成である。まず、冒頭13分にもわたり、現場からのレポートが届けられる。レポートするのはクリート・ロバーツ、ロサンジェルスのTV局KNXTの人気ニュースレポーターである。彼は朝鮮戦争の報道で一躍有名になり、現場に乗り込んでいってレポートするスタイルが有名だった。後年、TV版の「M*A*S*H」で自らのパロディを演じる。このロバーツにインタビューを受けるのは、フェニックス・シティの住民や事件に関わった一般人である。フェニックス・シティの名物女性、売春宿の「マダム」マ・ビーチーも本人が出演している。

このレポート・フィルムのあとに、タイトルが現れて「実際に起きた事件の再現映画」として本編が始まる。本編が一応のクライマックスを見たあと、全編にわたってジョン・パターソンを演じていたリチャード・カイリーが、ジョン・パターソンとしてカメラに向かって演説をするシーンが最後に挿入される。オープニングでは、フェニックス・シティの住人たち本人が登場しているのとは対照的に、実在の人物を俳優が演技するシーンで終わるのである。このいびつな手法のせいでリチャード・カイリーを本当のジョン・パターソンだと勘違いしてしまう者も多かったようだ。

監督のフィル・カールソンと脚本のクレイン・ウィルバーは徹底して「実際に起きたことをなぞる」ことに執着し、ロケーション撮影は実際にそれが起きた場所で行われ、登場人物たちはできる限り実名を使った。膨大な資料をもとに編纂されたエフライム・カッツの「The Film Encyclopedia」のフィル・カールソンの項によれば、彼らの「リアリズム」へのこだわりは少々気味の悪いところまで迷走したようだ。アルバート・パターソンが射殺されるシーンの撮影の際、パターソンがその時に着ていた服そのものを、俳優のジョン・マッキンタイアに着用させた、という。ただし、少女の殺害とその死体をパターソン家の庭に放り込むシーンは、実際には起きていない。

一般の観客には馴染みのない顔ぶれがスクリーンに登場していたことも、この作品の「リアリズム」に大きく貢献した。特に、レンカ・ピーターソンやビフ・マクガイアのようにTVに出演していた俳優が数多く登場するのが特徴だ。一方でハリウッド映画に馴染み深い俳優としては、西部劇への出演が多いジョン・マッキンタイア、『拾った女(Pickup on South Street, 1953)』のスパイ役が印象的なリチャード・カイリー、これが映画デビューとなるエドワード・アンドリュースらがいる。フェニックス・シティの底辺で悲劇に見舞われるアフリカン・アメリカン、ジークを演じるのは、戦争映画への出演が多いジェームズ・エドワーズである。当初、ジークの役にはシドニー・ポワチエが候補として挙がっていた。しかし、ポワチエは脚本を読んで、特にパターソンにタナーを殺さないように懇願するシーンを「嘘くさい」と評して、役を断っている。ジェームズ・エドワーズは、出身こそ南部だが、ノースウェスタン大学で演劇の修士号を取得し、ニューヨーク、ハリウッドで活躍していた。そんな彼が人種差別が公然と行われているアラバマ州で『無警察地帯』のロケーション撮影に参加することは、相当な決心が必要だったのではないだろうか。実際はどうだったのだろうか。

カリフォルニア・イーグル紙が、エドワーズは特に嫌な思いをしていない、と報じる一方で、ピッツバーグ・クーリエ紙は、他の撮影班の者も含めて身の危険を感じていると、正反対の状況を伝えている。スタッフや出演者は地元の人間からしつこく脅迫を受けており、撮影のための移動が難しくなっている。エドワーズは武装した運転手の運転する車で撮影現場に送り届けられる、といった具合だった。前述のカッツの「The Film Encyclopedia」には、監督のカールソンがこの映画のロケーション撮影中に「容疑者たちが殺人を犯したことを立証する決定的な証拠」を見つけた、とある(この話は、他の文献や資料には全く現れてこないので、信憑性には疑問がある)。当時のLIFE誌のレポートでは、フェニックス・シティのギャングたちがメディアの取材に対して不気味な沈黙を保っている様子がにじみ出ている。製作者のひとり、デヴィッド・ダイアモンドが「ボディガードを雇ってでも映画は撮る」と宣言している様子からも、フェニックス・シティのなかに不穏な空気が流れていたのは間違いないだろう。

プロダクション・コードの無力、そして公開

クライマックスで法による秩序の勝利が喧伝される作品にも関わらず、PCAは『無警察地帯』に強い難色を示した。問題になったのは、白人女性の売春目的の人身売買の描写、売春の描写、そして過剰な暴力の描写であった。特にPCAは「ネグロの少女の殺害の描写は認められない」とプロデューサーに伝えていた。一応、1955年の1月には脚本を了承したものの、過度の暴力描写、売春のシーン、そして特に少女の殺害のシーンは削るように指示している。さらに撮影終了後も、幾つかのシーンのカットを要求していた。だが、結局公開されたプリントには、ジークの娘の殺害とその死体を脅迫に使用するシーン、売春宿の前に並ぶ男たちのシーンは含まれている。

『無警察地帯』は、アルバート・パターソンの射殺からほぼ1年後の1955年の7月19日に、シカゴ、ジョージア州コロンバス、そして当のフェニックス・シティの3ヶ所で同時に公開された。フェニックス・シティではドライブイン・シアターでの公開だった。配給のアライド・アーチスツは冒頭のクリート・ロバーツの13分の導入部をカットして上映しても良いと劇場側には伝えていたようだ。

Reception

公開時のレビューでは、ニュース映画的なスタイルがもたらす「リアリズム」と社会的なメッセージが見事にブレンドしている点に高い評価が集まっている。

『波止場(On the Waterfront, 1954)』 ―― あるいは、『オール・ザ・キングズメン(All the King’s Men, 1949)』のほうが適切な比較かも知れないが ―― のようなシャープで確かなドラマチックな記録スタイルで、脚本のクレイン・ウィルバーとダン・メインウェリング、そして監督のフィル・カールソンは、悪に染まったアメリカの町に巣食う腐敗とテロリズムの生々しい組織を暴き出している。 New York Times

New York TimesもVarietyも、アルバート・パターソン役のジョン・マッキンタイアの演技を絶賛している。また、町のギャングのボス、タナーを演じたエドワード・アンドリュースについても「説得力のある演技(Variety)」と好評価だ。

フィル・カールソンによれば、この映画を観て感銘を受けたデジ・アーナズ(TV番組「アイ・ラブ・ルーシー」でルーシーの夫、リッキー役で有名だが、デシル・プロダクションのトップだった)が、カールソンにTVシリーズ「アンタッチャブル」の監督を依頼する。フィル・カールソンは、『無警察地帯』のような激しい暴力描写はTVでは無理だろうと懐疑的だった。

『無警察地帯』のように撮ったらTVで放映できるように私がする。リアリズムをくれ。デジ・アーナズ

カールソンは「アンタッチャブル」のパイロット版を監督し、これが空前の人気となる。それは後日、『どてっ腹に穴をあけろ(The Scarface Mob, 1959)』として劇場公開される。

また、リチャード・ウィドマークも『無警察地帯』に感銘を受け、フィル・カールソンに『秘密諜報機関(The Secret Ways, 1961)』を依頼、リアリズムを追求しようとする。ところが、もうその時には、カールソンの関心はリアリズムよりも、ジェームズ・ボンドに移っていた。結局、ウィドマークと意見が合わず、カールソンは途中降板してしまった。

1970年代に『ウォーキング・トール』の大ヒットでフィル・カールソンが再び注目を集めたが、彼の過去のフィルモグラフィも掘り起こされていった。特にB級映画を作家主義的な切り口で分析し始めた初期の批評家達のあいだで、カールソンは格好の材料だったようだ。B級映画研究の嚆矢となった書籍、1975年の「Kings of the B’s」で、フィル・カールソンは、ウィリアム・キャッスル、ロジャー・コーマン、エドガー・G・ウルマーらとともにインタビューを受けている。また『無警察地帯』は、『悪魔の往く町』などとともに章をさいて紹介されている。

カールソンの作品でも、『アリバイなき男』、『ギャングを狙う男』、そしてこの『無警察地帯』などは、フィルム・ノワールの作品としてというよりも、1950年代のインディペンデント映画、(そして限りなくエクスプロイテーションに近い)ギャング映画という位置づけでとらえていた批評家も多い。だが、特にこの『無警察地帯』は、当時のアメリカの状況、しかも南部の小さな町に巣食う闇と暴力を直視した稀有な作品として再評価されてきた。「Dreams and Dead Ends」の著者、ジャック・シャドイアンは、その過剰な暴力と異常性に圧倒され、『無警察地帯』を評してこう語っている。

スクリーンを観ながら目を疑ってしまう。恐怖で窒息しそうだ。ジャック・シャドイアン

Analysis

自警団の思想とフィクション

シドニー・ポワチエがジークの役を断った際、彼は「セリフが嘘くさい」と言い、「(ジークが)自分の娘を殺した男を追い詰めてまさしく殺そうとした、その時に、ひどいセリフがでてくる」と強い口調で述べている。問題のシーンは映画のクライマックス、ジークの家での闘いのシーンである。娘を殺したタナーの部下クレムをジークが殴り殺そうとするのを、ジークの妻が制止する。彼女は「『汝、殺すなかれ』と神様は言われているのよ」と、ジークに泣きつき、自らの夫が殺人犯になる一歩手前で思いとどまらせる。正気を取り戻したジークは、今度はタナーを殴り殺しそうになっているジョン・パターソンを制止する。やはり彼もパターソンに「汝、殺すなかれ」を思い出させるのだ。

なぜ、この言葉が嘘くさいのか。

これは、1955年のアメリカ南部のコンテクストにもどして見直す必要がある。だが、その前に『無警察地帯』において、正義と法がどのように捉えられているかを見てみよう。

この作品では、タナー一味が関わる犯罪については全く法が機能していないことが徐々に明らかになっていく。オープニングでは、ギャンブルがおおっぴらに営業されていること、そして不満を言った客が血まみれになるまで殴られ道に放り出されること、が描かれる。さらに売春が公然と行われていることも、売春宿の前に列ができていることで明らかになっていく。映画が進むに連れて、タナー一味の残忍さと無法ぶりがよりはっきりとしてくる。歯向かおうとする市民たちを駐車場で殴り、子供を無残に殺し、死体を恐喝の道具に使い、さらに子供をひき逃げしていく。そのあいだ、警察は消極的という言葉が誇張になるほど、何もしない。

この状況を打開しようとして立ち上がろうとする市民たちに対して、ジョン・パターソンは言う。

自警団の時代は終わったんだ。ジョン・パターソン

過去にも自警団のような組織でギャングに立ち向かおうとして失敗していることをアルバートが指摘していた。ジョンはその父の言葉を含んで、怒りに燃えている市民に向かって言うのである。だが、そのジョンでさえ、父の殺害、友人で協力者の女性の殺害、ジーク一家の襲撃を目の当たりにして、自制が効かなくなり、タナーを殺す寸前まで暴走していく。

この映画は最終的には州兵が投入されてギャングの解体が始まるところで終わる。つまり、アラバマ州の法の下に解決が図られるのである。防衛のため、あるいは復讐のための自警団的思想に対して無理解ではないものの、最終的には退けられる。「法を自らの手にとって、正義をはたらく」という思想は、たとえ相手が子供の死体を投げ捨てたあとに、さらに別の子供を轢き殺すような連中でも、発動してはならない。それがこの映画における「法と正義」のあり方である。

1955年3月、アラバマ州モントゴメリーで一人のアフリカン・アメリカンの女性が、バスで「有色人種の席」に関するルールを破り、警察に逮捕される。いわゆるジム・クロウ法を破ったのだ。逮捕されたクローデット・コルヴィンは、当時高校生で、公民権運動に目覚め始めていた。彼女がこの時、現在にまで続く公民権、人権運動の口火を切って落としたといっても間違いないだろう。彼女は「法を自らの手にとって、正義をはたら」いたのである。

モントゴメリーは、フェニックス・シティの西、120キロにある。この事件のとき、フェニックス・シティでは『無警察地帯』の撮影が続いていた。

この年の12月には、同じモントゴメリーでローザ・パークスが、やはりバスでジム・クロウ法を破り、いよいよ人種差別に対する抵抗が本格的に始まる。だが、これらの歴史的なイベントの影に隠れて、実はそれまでもアフリカン・アメリカンによる人種差別への抗議は常にあったこと、特に戦争の後にジム・クロウ法に対する抵抗は様々なかたちで存在していたことを忘れてはいけない。これらの象徴的な事件は、「悪法でも法は法である」という考えに挑戦し、覚醒させようとする試みであった。

当時の南部では、有色人種がバスで席を譲らないことは、「法を無視して正義を行う」こととして道義的に許されない一方で、白人たちは事あるごとに自警団を組織して、「正義のもとに」リンチ、殺害を行っていた。「リンチはレイプや殺人を減らす」というロジックで堂々とリンチを正当化する者たちも多かった。つまり、人種的分断が「法」を境界にして起きていたのである。

このコンテクストのなかに、シドニー・ポワチエの発言を入れてみることは非常に重要である。ただ単にドラマチックな効果が不発に終わった、「悪人を正義の手で裁けない」不完全燃焼のクライマックスに対する不満を述べているのではないだろう。女子高校生がバスで白人に席を譲らなかっただけで逮捕される時代に、自分の娘を白人になぶり殺しにされたアフリカン・アメリカンの父親が復讐を果たさずに「神は私にこのような所業を望まない」などと言うことの意味、しかもそのセリフを白人が書いていること、を考えてみるべきだろう。その白人たちは、普段は西部劇や、それこそフィルム・ノワールのような映画で、さんざんヴィジランティズム(自警団主義)を称揚しているにも関わらず、である。

さらに、この時にジークが制止するのはジョン・パターソンであることも考慮すべきだ。実在のジョン・パターソンはその後人種差別の撤廃に反対し、KKKの支持を受けてアラバマ州知事になった人物である。にわかには信じられないが、彼は「人種別の学校を撤廃して、白人が黒人と一緒に学校に通うようにするなど、ありえない。そんな学校は閉鎖する」とまで宣言しているのだ。この映画がクライマックスで描く人種間のテンションが、あまりに都合の良いフィクションであることが分かるだろう。余談だが、ジョン・パターソンが1958年に州知事選挙で、人種政策でよりリベラルだったジョージ・ウォーレスを打ち負かして州知事になった。その際、ウォーレスは「負けたのは、パターソンが私よりもoutniggerした(より人種差別を推進した)からだ」と側近に漏らしたという。4年後の州知事選挙では、ウォーレスは一転、パターソンよりもより強硬な人種差別政策を有権者に示して、州知事選に勝った。そういった時代、そういった土地である。

この脚本を書いた、ダニエル・メインウェリングは『ボディ・スナッチャー/恐怖の街』で、ドン・シーゲル、そしてサム・ペキンパーと関わることになる(メインウェリングによれば、『ボディ・スナッチャー』でペキンパーが書いたセリフは一つだけだが最終的に作品に残っているという)。『ダーティ・ハリー』という警察なのにほぼ一人自警団というキャラクターを作り上げたシーゲルと『ワイルド・バンチ』『わらの犬』といったヴィジランティズムを爆発させた作品を叩き出したペキンパー。その二人が描いた「白人の男が自らの手で正義をなす」という神話の源流に、ポワチエが「ペテン」と呼んだ、この作品のクライマックスが解決しなかった問いがあるように思える。

映画評論家のジョナサン・ローゼンバウムは『無警察地帯』について見事なエッセイを書いているが、そのなかで、彼の祖父がアラバマで経営していた映画館で公開当時にこの映画を観た記憶を綴っている。ジークの娘の死体がパターソン家の前庭に放り出され、パターソン夫婦がパニックに陥るシーン、ジョン・パターソンが警察に電話をかけて緊急を呼びかけるのだが、警察の反応が「黒人の子供が殺されて放り出されててるそうだ、誰か見てこい」という消極的でやる気のないもの。その警察の反応に観客が「なんてひどい」と唸ってしまうのだが、バルコニー2階席、「有色人種席」は無反応だった。彼らにとってそれは「ひどい」ことではなく、それが常日頃起きていることだからである。

1955年のリアリズム

1977年のフィルム・ノワール批評「Dreams and Dead Ends」のなかで、ジャック・シャドイアンは、『無警察地帯』のリアリズムを批判的に解剖し、そのフィクションがたどる道を意識した分析を行なっている。

私達はリアリティを見せられているのではない。私達はドラマの再現に襲撃されているのだ。ジャック・シャドイアン

むしろ、その物語によって、私たちが無視しようとしている(あるいは無視している)状況が暴露されている、と述べている。映画の冒頭、パターソン達が家にたどり着いた時に、アルバートはみんなに「十四番街は遠くはなれていて」、ここは「安全だ」と宣言する。ところが、その安全な領域にもタナー達が現れ始め、無視していたものが自分たちを脅かし始める。いくらパターソンがヴィジランティズムを否定し、法を強調しようとも、そこには動かしがたい犠牲がある。そして、私たち観客は「そんなことを言っていたジョン・パターソンが人を殴り始めると」ようやく安心する、というのだ。

冷戦下のアメリカが無意識に抱えていた恐怖がメタファーとしてひそんでいるとも言えよう。「郊外」という仕組みがアメリカ全土にわたって、中流階級を吸い込み、社会に存在する種々の歪をその階級の意識から消し去った。「遠くはなれて」「安全な」場所としての郊外、だが一旦そこを脅かされると、とたんに超法規的な復讐や成敗にまで一足飛びにたどりついてしまう。このフィクションとしての側面こそ、この作品が力をもっている部分であって、この映画について話題にされる「リアリティ」の側面ではない、とシャリオダンは述べている。彼は導入部の13分にわたるニュース形式のフィルムについて、「その後に続く本編が始まるとほっとする」とさえ言っている。

これについて異論を述べているのは、ジョナサン・ローゼンバウムだ。彼は、この冒頭に登場する人物たちは「ハリウッドふうではない」だけであるし、この映画のリアリティがいかに侵食的であるかを議論している。興味深いことに、その議論は、彼自身が、公開当時に南部の映画館でこの映画を観た時の原始的な体験に基づいている。例えば、オープニングのインタビューで、保安官代理のクイニー・ケリーが答えている最中に、映画館では笑い声が起きたという。

クリート:拳銃を携帯していますか?
クイニー:ああ、してるよ。
クリート:使い方を知っていますか?
クイニー:ああ、知ってるよ。
クリート:使いますか?
クイニー:ああ、使うよ。

このクイニーの抑揚のない話し方は、その発言の内容の深刻さとはあまりに不釣り合いである。当時のアラバマという土地が、スクリーンと観客で地続きでつながって、観客たちが反応したのだろう。

ローゼンバウムの指摘のなかでも特に興味深いのは、アラバマの歴史研究家、マーガレット・アン・バーンズがフェニックス・シティの現代史を綴った著書「The Tragedy and Triumph of Phenix City, Alabama」のなかで、この一連の事件について詳細に記述しているにも関わらず、映画『無警察地帯』について一言も言及していない、という点である。私もこの本を参照しようとしたのだが、『無警察地帯』については全く言及がないのだ。しかし、ローゼンバウムが指摘するように、この本に引用されている写真では、映画のなかで演じているジョン・マッキンタイアのスチールが使用され、しかも「アルバート・ロバートソン」とキャプションがついている。歴史研究家の調査不足といえばそれまでだが、フィクションが「リアリティ」を簡単に侵食してしまう一例だと言えないだろうか。ローゼンバウム自身、アラバマ州知事をつとめていたジョン・パターソンの顔を思い出そうとすると、リチャード・ケリーを思い出していた、という。

リアリズムというものは、その人が立っている位置で如何ようにもなってしまう、不定形のものなのだ。

ローゼンバウムは、さらに印象深いシーンとして、病院の受付の女性の演技について言及している。彼はこの女性の発音がアラバマ特有のイントネーションをもっており、おそらく俳優ではない、地元の人間が選ばれて演じているのだろう、と推測している。アマチュア特有の棒読みに近いような発話が、むしろこの場面において「そういったことを毎日言っているに違いない」というニュアンスを生み出しているとまでコメントしている。この観察は、私たちのように、1950年代のアラバマから遠く離れた人間には、全く響かないが、だが、おそらく私たちにひどく近いものが生む効果には似たようなものがあるのだろう。

特に冒頭のインタビューの部分で、どこか緊張しつつ、どこか弛緩した人々が、南部特有のなまりで話す場面をみていると、こういった「地元の人間が登場する」フィルムを、当時のアラバマの人々はどれだけ観たことがあったのだろうか、と思う。ハリウッド映画というものは、オハイオ出身やイギリス出身の俳優が南部訛りを真似て演じるのが普通であったし、いまでもそうだ。たとえ南部出身でも、南部なまりであることが「特徴である」ように演じる。そこには注意深く選択された「誇張」と「抑制」がある。必然的に、「そのようにしか話せない人々」とは違うのだ。クイニー・ケリーを観た時に、観客の間に起こった笑い声、それはそういった「そのようにしか話せない人々」に対する生理的な反応だったのではないか。鏡に映る自分たちのような、自分と地続きにつながっていることが容易に見て取れる人間が、そこに映っていることに対する、無意識の反応だ。それはリアリズムとは実は関係ないのかもしれないが、観客にリアリティが存在するという幻想を起動するきっかけにはなりうるだろう。

シャドイアンにとっては退屈だったかもしれないが、この冒頭の13分は、現在のリアリティTVやSNSがよって立つメディアの戦略の萌芽ともとらえることができるだろう。

Links

ジョナサン・ローゼンバウムのエッセイは、この作品に対する批評のなかでも群を抜いてすばらしい。特に当時の南部というコンテクストを理解をすることがいかに重要かを気づかせてくれる。

Senses of Cinemaのフィル・カーソンに関するエッセイは非常に網羅的でかつ示唆に富んでいる。

「Kings of the B’s」に掲載されたフィル・カールソンのインタビューはここで読める。

Data

アライド・ピクチャーズ配給 7/19/1955公開
B&W, 1.85:1
100分

製作サミュエル・ビスコフ
Samuel Bischoff
出演ジョン・マッキンタイア
John McIntire
製作デヴィッド・ダイアモンド
David Diamond
リチャード・カイリー
Richard Kiley
監督フィル・カールソン
Phil Karlson
キャスリン・グラント
Kathryn Grant
脚本クレイン・ウィルバー
Crane Wilbur
エドワード・アンドリュース
Edward Andrews
脚本デヴィッド・メインウェリング
David Mainwaring
レンカ・ピートソン
Lenka Peteson
脚本チャールズ・ベネット
Charles Bennett
ビフ・マクガイア
Biff McGuire
撮影ハリー・ニューマン
Harry Neumann
ジェームズ・エドワーズ
James Edwards
音楽ハリー・スクマン
Harry Sukman
トルーマン・スミス
Truman Smith
編集ジョージ・ホワイト
George White
ジーン・カーソン
Jean Carson

 

References

[1] P. Loukides and L. K. Fuller, Beyond the Stars: Locales in American popular film. Popular Press, 1990.
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