FILM

Pickup on South Street (1953)

拾った女
Pickup on South Street

20世紀フォックス配給
1953

『拾った女』を撮ったとき、自分が語る人間たちについては正直であろうと思った。
私が知っている人間たちだからだ
ー サミュエル・フラー

Synopsis

ニューヨークの地下鉄。夏の息苦しい車内で、一人の若い女を二人の男が遠巻きに片時も目を離さずに監視している。その女のそばに一人の男が近寄っていき、新聞を使ってあっという間に女のバッグから財布を掏っていった。女の名はキャンディー(ジーン・ピーターズ)、監視していたのは政府の捜査官たち、盗まれた財布には政府の重要機密のマイクロフィルムが入っていた。キャンディーはそうとは知らずに共産党のスパイ活動の運び屋にされていたのだ。政府の捜査官はNY市警の刑事、タイガー(マーヴィン・ヴァイ)に協力を求め、スリの正体を突き止めようとする。タレコミ屋のモー(テルマ・リッター)の協力で、スリは前科三犯のスキップ・マコイ(リチャード・ウィドマーク)だと判明する。スキップは自分が掏ったのが政府の機密情報で共産党のスパイ事件と絡んでいたなどとは知らなかったのだ。一方でキャンディーも裏社会の伝手からモーに接近していく。

 

 

Quotes

Are you waving a flag at me?
俺に向かって国旗振ってんのか?
― スキップ・マコイ(リチャード・ウィドマーク)

 

 

 

Production

 

この作品が紹介される際に「実話に基づいている」と言われることが多いが、この作品が直接下敷きにしている事件は見当たらない。ウィトカー・チェンバーズ、クラウス・フックスらのスパイ活動については既に知られていたが、マイクロフィルムを使用している点が一致しているくらいで、このようなスリを巻き込んだ事件の記録は少なくとも公表されていない。

元のストーリーはドワイト・テイラーの”Blaze for Glory”、それをハリー・ブラウンが脚本化した。テイラーのストーリー、ブラウンの脚本は宗教的な色彩の強い、裁判ドラマだったようである。ダリル・ザナックとサミュエル・フラーが、ブラウンの脚本をもとに1952年の初頭に製作に入る。

ここでもまた、フラーの脚本をみたザナックが「こんなセコい奴らを主演にするのか?」といったと言われているが、これも後年の誰かによる脚色であろう。20世紀フォックスの製作記録は詳細に保管されており、この作品の製作会議のメモも残されている。1952年3月13日のメモによれば、ザナックはブラウンの脚本に問題があることを指摘し、「アラン・ラッドじゃない、ハンフリー・ボガートっぽいやつ」が欲しいといい、「タフで、ダーティーで、自信満々のリチャード・ウィドマークのような」キャラクターを「ガッツとリアリズムで」活かせと求めている。それに応えるかたちでフラーが5月に提出した第一稿で「プロのスリ」が登場し、彼が生きる犯罪者の世界が描かれるのだ。サミュエル・フラーは、若い頃にニューヨークでタブロイド紙「ニューヨーク・グラフィック」の犯罪専門記者として活躍していた。その時代に知っていた犯罪者や裏社会の人間たちのポートレートを描きだそうとしていたと後年のインタビューで語っている。

第一稿をザナックは気に入ったものの、6月のメモで「スキップのキャラクターが愛国的すぎる」と指摘している。これは、ウッドロー・ウィルソンを尊敬し、第二次大戦に従軍した自他共に認める愛国者ザナックの発言としては驚きだが、その後もザナックのこの姿勢は『拾った女』に関しては一貫している。

PCAはこの作品について強い懸念を示し、最終的に3回も改稿が求められた。「過激な暴力描写とサディスティックな殴打」に対して重ねて修正を求めている。特にジョーイがキャンディを殴るシーンに対しては極めて強く反応し、半裸のキャンディを「殴る、膝蹴りする」代わりに「揺する、押す、首をしめようとする」ように求めている。フラーはキャンディを半裸ではなくバスローブで覆って誤魔化そうとしたが、もちろんPCAは見逃さなかった。だが、最終的に撮影されたのは強烈な暴力描写であった。

『拾った女』では、連邦政府の捜査官は「FBI」と名指しはされていない。しかし、誰の目にもFBIであることは明らかだ。FBI長官のJ・エドガー・フーバーはこの作品に対しての不快感を隠さなかった。サミュエル・フラーによれば、フーバー、ザナック、フラーの3人で2回ミーティングを行っている。場所はビバリーヒルズのロマノフ・レストラン。フーバーはまず「情報屋」の存在に反対し、法務省では情報屋は使っていないと主張した。さらに彼はスキップの「Are you waving a goddamn flag at me?(俺に向かってクソったれな国旗振ってんのか?)」というセリフが気に入らなかった。それに対してザナックは「じゃあ、Are you waving a damn flag at me?にしましょうか」と言ったという。

フーバー:この主人公が共産党員を追っかける理由が、女を殴ったからというのも気に入らない。「アメリカ合衆国のため」であるべきだ。

ザナック:こいつはそういうキャラクターなんですよ。

ただし、この会合の記録はFBIのファイルには残されていない。

後年、サミュエル・フラー自身がインタビューなどを通して語った『拾った女』のコンセプトにおける彼の役割は少なくともかなりの誇張が入っていることは否めない。

主演のリチャード・ウィドマークは、ヘンリー・ハサウェイ監督の『死の接吻(Kiss of Death, 1947)』で映画界デビューし、サディストで異常犯罪者のトミー・ウドーを見事に演じた。サイコパス、犯罪者、ならず者などを数多く演じており、1940年代から60年代のアクション、西部劇、戦争映画、サスペンスには欠かせない俳優である。当時の20世紀フォックスの契約下にある男優で最も観客を呼べると言われていた。

キャンディの配役は難航した。シェリー・ウィンタース、エヴァ・ガードナー、ベティ・グレーブル、マリリン・モンロー、と契約できそうな女優は皆候補に上がったが、「官能的すぎる」「美人すぎる」とイメージと合わない。フォックスのトップ女優だったベティ・グレーブルは役を欲しがったが「ダンスをするシーンがあること」が条件だった。ジーン・ピーターズをサミュエル・フラーが選んだのは「脚がO脚だから」だと言う。フラーによれば「(娼婦として)街を歩き回っていると、ああいう脚になる」から、キャンディの役にピッタリだと言うのだ。ピーターズは1957年に実業家ハワード・ヒューズと結婚、引退するが、もうこの作品の撮影のときには、ヒューズ自身が彼女を車で送迎していたという。

モー役のテルマ・リッターは、ジョセフ・マンキヴィッツの『イヴのすべて(All about Eve, 1951)』、ヒッチコックの『裏窓(Rear window, 1954)』などでも有名な、一級の脇役女優である。フラーは特にこのモーのキャラクターに思い入れがあったと述べている。

モーみたいな人間をたくさん知っていた。あれは、私が知っていた、色んなタレコミ屋の男女が合成されたキャラクターなんだ。サミュエル・フラー

テルマ・リッターもこのモーの役を気に入っていて、特に最後にジョーイに殺されるシーンが好きだったという。

キャンディがスキップを突き止めようと探し回っているときに登場する、ライトニング・ルイも忘れられないキャラクターだ。中華料理店で、だらしなく飯を箸でかきこみながらキャンディに金を要求する。彼女が放り出したクシャクシャになった札を箸でつかんでポケットにいれる。実に不快で汚れた感じがいい。これを演じたのはシカゴ出身のマジシャン、ヴィクター・ペリー。彼のショーでは観客の財布を掏る、「スリ」という出し物が有名だった。今では箸を上手に使えるアメリカ人は珍しくないが、当時はほとんどいなかった。フラーは手先が器用で箸を使って札をつかむことができる人間を探しており、ペリーが起用された。

撮影監督のジョセフ(ジョー)・マクドナルドは、メキシコ系アメリカ人で、1940年代から20世紀フォックスで活躍した。この作品のあと『百万長者と結婚する方法(How to Marry a Millionaire, 1954)』のシネマスコープ撮影を担当している。『疑惑(Call Northside 777, 1948)』『情無用の街(The Street with No Name, 1948)』などのセミドキュメンタリー・スタイルの作品で見事なロケーション撮影をみせている。この作品では、一転ロサンジェルスのスタジオでニューヨークの雰囲気を醸し出すことに成功している。

そのセットをデザインしたのはライル・ウィーラー。デイヴィッド・O・セルツニック、アレキサンダー・コルダの美術監督を長くつとめ、『風と共に去りぬ(Gone with the Wind, 1939)』『アンナとシャム王(Anna and the King of Sham, 1946)』『アンネの日記(The Diary of Anne Frank, 1959)』など、アカデミー賞を5回も受賞している。生涯で400本もの映画の美術を担当したが、それ以外にもビバリー・ヒルズの郵便局、ホーソン小学校の設計にもたずさわっている。引退後、経済的苦境に陥って、5つのオスカー像を含むほとんど全ての財産を手放した。ウィーラーが亡くなる1年前、病院の経営者が『アンネの日記』のオスカー像を買い戻し、ウィーラーに返還したという話がある。

モーがジョーイに殺害されるシーンで、レコードから流れる曲は「マムゼル」。これはエドモンド・グールディング監督の『剃刀の刃(The Razor’s Edge, 1946)』の挿入歌で、グールディング監督自身の作曲によるものである。てっきりフランスの曲だと思っていたフラーは、アルフレッド・ニューマンに権利について尋ねに行き、「それはゴールディングの曲だよ!」と爆笑されたという。

製作時のタイトルは「Blaze of Glory」であったが、戦争映画と誤解される可能性があるという指摘から、一旦「Cannon(大砲)」と改題された。これは劇中でもモーが「スリ」のことをこう呼んでいる。しかし、これでも戦争映画と誤解されそうだと判断し(フラーは『鬼軍曹ザック(The Steel Helmet, 1951)』、『折れた銃剣(Fixed Bayonets!, 1951)』などの戦争映画で認められはじめていたところだった)フラーの思い入れがあるニューヨークのサウス・ストリートを題名にもりこんで「Pickup on South Street」とした。

製作費は$780,000。

 

 

 

Reception

公開当時の批評は賛否入り混じっていた。

優れた、パンチの効いたメロドラマ、大いに興行が期待できる Film Bulletin

波止場の見事な撮影のおかげで、作品により一層雰囲気が出ている Motion Picture Daily

ボズリー・クロウサーは辛口だ。

このヤクザが愛国主義に目覚め、スパイを一網打尽にするどころか自分の前科までもきれいにしてしまったあたりからナンセンスも崩壊する。こんなでっちあげは、スピレインだって怒るだろう。 New York Times

興行成績は190万ドルと悪くないが、「愛国反共映画」のレッテルがついてまわった。

1953年のヴェネツィア国際映画祭で上映され銅獅子賞を受賞したが(同じくエントリーしていた『ローマの休日(Roman Holiday, 1953)』は無冠)、その年は金獅子賞に該当作品がなかった年でもある。フラーは「審査委員長のルキノ・ヴィスコンティは共産主義の信奉者だったため、『拾った女』への授与に反対した」と自伝で述べているが、この年の審査委員にヴィスコンティの名前はない。フランスではレットル・フランセーズ紙を中心に左翼映画批評を繰り広げていたジョルジュ・サドゥールにこき下ろされてしまう。サドゥールはサミュエル・フラーを「映画界のマッカーシー」とまで呼んだ。当時、フランスでは共産党が主力政党のひとつだったこともあり、『拾った女』の反共メッセージの不人気を怖れたフランスの配給会社が内容を改変、マイクロフィルムはヘロインに置き換えられ、単なる麻薬取引の作品にされて、フランス国内で配給された。

しかし、その後フランスのヌーベル・ヴァーグの映画作家達が、サミュエル・フラーを彼らのインスピレーションとして賞賛し、その過程で『拾った女』の再評価も高まっていく。

この映画はサミュエル・フラーのタッチがよく表れている。すなわち、激しい反共のメッセージ、サイコパスの主人公、フィルム・ノワールの感覚、そして流動する、アスレチックなカメラワークといった特徴だ。Film Noir Encyclopedia

ポール・シュレーダーは、サミュエル・フラーをフィルム・ノワールの時代から新しい犯罪映画への過渡期の映画監督と位置づけていた。ウィドマークとピーターズの波止場でのシーンは「フィルム・ノワールの典型」と考えているものの、後半のスピードとダイナミズムに溢れた暴力のシーンを「50年代中盤から後半にかけての犯罪映画に特徴的な」演出だと述べている。

現在では、サミュエル・フラーの代表作として挙げられ、1953年当時、赤狩りとブラックリストの時代のダイナミズムに対するコメンタリーとして解釈されるようになってきた。情報屋という登場人物を、HUACの公聴会で証言をした者たちのイメージと重ねて、エリア・カザンの『波止場(On Waterfront, 1954)』と比較する批評も多い。一方で、スリの身体性の分解と映像的解釈という見地から、ロベール・ブレッソンの『スリ(Pickpocket, 1959)』との比較も見られる。

 

 

Analysis

愛国の映像

「俺に向かって国旗振ってんのか?」というセリフは底知れない破壊力を持っている。私も最初にこの作品を見たとき、耳を疑った。今の我々から見ると、ハリウッドの映画人に対するHUACの公聴会が再開した直後の1953年にそんなセリフを入れるなど正気の沙汰ではないと思われるし、だからこそそんなセリフを放り込んだサミュエル・フラーの「男意気」、「愛国ごっこ」に対する反骨精神を買ってしまう人も多いだろう。

しかし、スキップを「反愛国的に」描くように幾度も脚本を書き直させたのはダリル・F・ザナックである。「この男はタフで非情なだけでなく、ひどく愛国心に欠ける必要があり、朝鮮がどこにあるかも知らないような人間で、観客の心のなかでは、こいつが犠牲など払うわけがないだろうと思う、そういうキャラクターでなければいけない」と最初から主張していた。これは非常に興味深い。

1952年は大統領選の年だった。ハリウッドのスタジオのトップ達は民主党政権にほとほと嫌気がさしていた。HUACの公聴会やブラックリストでワシントンが干渉してくることなど大した問題ではない。パラマウントの訴訟の一件で、大手のスタジオは実質的にブロックブッキングができなくなり、ビジネス的に大きな痛手を負っていた。さらにTVの放送規制を緩和し、映画の放映権をTV局側に委ねる案が出ていた。このままトルーマンの民主党に任せていたら、ハリウッドのビジネスは干上がり、TVに食い物にされてしまう。ジャック・ワーナー、サミュエル・ゴールドウィン、ダリル・F・ザナックはアイゼンハワーを共和党大統領候補として推す運動に明け暮れる。しかし、共和党の古株の支持者からすれば、アイゼンハワーはよそ者で、ロバート・タフトこそ正統な共和党候補だという思いがあった。ザナック達は1952年のかなりの部分をアイゼンハワーの大統領選挙運動に費やし、彼がいかに愛国主義、アメリカ主義を体現しているかを説いてまわっていた。

アイゼンハワーの副大統領候補はHUACで活躍しているカリフォルニア州選出の議員、リチャード・ニクソンだった。ニクソンはアルジャー・ヒスのスパイ活動を執拗に追及した反共勢力の急先鋒である。アイゼンハワー自身はニクソンほど過激な反共活動をしている人物を自らの副大統領候補とすることには躊躇していたと言われる。そこへ、ニクソンに選挙資金の不正使用の疑惑がもち上がったのである。アイゼンハワーはいつでもニクソンを切る覚悟でいた。ニクソンが挽回できるチャンスは一回限り、1952年9月23日東部時間で午後6時半にTVで弁明し、信用の回復を目論んだ。有名な「チェッカー・スピーチ」である。

この30分近くにわたる弁明、―――ニクソンはその間、ノンストップで話している――― で彼はいかに自分が愛国者であり、誠実な政治家であり、むしろ地味な生活を送る一市民であるかを語る。確かに贈り物はもらったことがある。それは娘たちが犬を欲しがっていると聞いたテキサスの支持者が送ってきてくれたコッカー・スパニエルの「チェッカー」だと言う。この犬はどう言われようとも返すつもりはない、とニクソンは断言する。そして、おもむろに立ち上がると、民主党の政策に対して一方的な攻撃を始める。

リチャード・ニクソン「チェッカーズ・スピーチ(1952)」

この生放送の番組のあいだ、ニクソンはカメラに向かって直接話しかけている。カメラはまるで催眠術にかかったようにニクソンに焦点をあてたまま動かない。二度ほど別のアングルのカメラのショットが入る。なんと同じ部屋にリチャード・ニクソンの妻のパットがいたのだ。彼女が誇らしそうに夫を眺めているシーンが挿入される。

ニクソンは番組の前半ではデスクから直接呼びかけるのだが、彼の視線はカメラに釘付けになっており、見る側も彼の目に絡め取られて動くことができなくなってしまう。ニクソンは言いよどみもせず、ひたすら自分の愛国心と謙虚さをアピールする。そして自分の個人的な家族の話をする。直接カメラに向かって話す、その話し方はまるで告白を聞いているようで、視聴者は彼と親密な関係になったような錯覚を覚える。このカメラに向かって直接語りかける手法(ダイレクト・アドレス)は過去にもニュース映画や広報映画であったものの、TVという新しいメディウムで、しかも30分にわたり自分の個人的な生活の細部を語りつつ政治的な主張をする、というのは恐らく視聴者にとって初めての経験だったのではないだろうか。

リチャード・ニクソン『チェッカーズ・スピーチ(1952)』

しかし、ニクソンを凝視していると、時折彼は画面の外に視線をそらすことがある。その時、視聴者は画面の外の空間 ―――TVスタジオのスタッフたち――― の存在を意識する。これは、すべてリアリティであるが、同時に作為的なものである、ということが割れ目から湧き出る瞬間でもある。

当時、アメリカのTV番組では、政治討論番組の人気が上昇していた。最も人気のあった番組に「Meet the Press (1947 ~ NBCで放映)」「American Forum on the Air (1947~1957 NBCで放映)」などがある。これらの番組はジョセフ・マッカーシーのような物議を醸している政治家とジャーナリストが討議するには格好の場だった。ラジオ番組から生まれたこれらのTV討論番組は「市民への鼻薬(トーマス・ドハーティ)」という性格が強く、世論を形成する種類のものではなかった。しかし、ニクソンの「チェッカー・スピーチ」は一晩にして世論を変えたと言われている。贈収賄疑惑で政治生命が終わったと思われていたニクソンは、英雄として蘇り、アイゼンハワー政権の強力な副大統領候補となった。

ニクソンは更にTVを活用して選挙運動を続ける。ロサンジェルスの映画プロデューサー達はそのお膳立てをしている。ニクソンは各地を訪問して、有名人とTVに登場し演説をするというフォーマットの選挙公報運動を行なったが、これは、ダリル・F・ザナックが提案したものだった。

『拾った女』の撮影は、この最中に行われている。「チェッカー・スピーチ」の直前に脚本の最終稿が上がり、撮影はアイゼンハワー大統領選の騒ぎのなかで進んでいる。TVは愛国精神の正当化と政治家の汚職暴露の応酬にあふれていた。ザナックは一方で愛国プロパガンダを積極的に企画し、TVを活用することを厭わなかった。その一方で「ひどく愛国心に欠け」、「朝鮮がどこにあるかも知らないような人間」が主人公の作品を自ら推していた。実に興味深いが、なぜだろうか。

 

ザナックの手

大都市で売れている日刊紙の一面トップを飾るような、そういうパンチと破壊力をもった題材じゃないとダメだ。 ダリル・F・ザナック

これはザナックが1932年、ワーナー・ブラザーズの製作主任を担当していた頃、ハリウッド・レポーター紙のインタビューに答えたものだ。ザナックは、サイレント期の「名犬リンチンチン」シリーズの脚本を担当した頃からワーナー・ブラザーズにとって売れる映画を作るインスピレーションそのものだった。そしてトーキー移行後、『犯罪王リコ(Little Caesar, 1931)』『民衆の敵(The Public Enemy, 1931)』などのギャング映画の大ヒットが彼のハリウッドでの名声を確固たるものにした。これらのギャング映画の主人公たちは、彼ら自身が決めたモラルコードはあるものの、一般社会のそれとは大きくかけ離れている。過激な暴力を使用することを厭わず、やられたら何十倍にもしてやり返す。リコにしてもトム・パワーズにしても最後は破滅するが、それは正義が達成されたというよりは、別のボスに取って代わられたというだけにすぎない。ワーナー・ブラザーズの「社会派映画」は「私達が解決しなければならない問題だ」とうたうものの、果たして何を解決するべきなのかは全く不明瞭だ。これは、タブロイド紙を賑わせている残虐なギャング抗争の裏側を見てみたいという、安全な位置からの好奇心をくすぐる仕掛けにすぎない。

だが、この「一般社会からかけ離れた、自身だけのモラルコード」という点において、『拾った女』のスキップは1950年代に蘇ったザナックのキャラクターだと言えよう。彼は、スパイの盗んだ情報がアメリカにとってどれだけ重要か、といったことには全く興味がない。ひたすら金を強請りとることだけを考えている。一方で、彼はキャンディがジョーイによって重傷を負わされたと聞いて、ジョーイを半殺しにすると決心する。目的はフィルムの行方を探ることではない。

スキップの愛国心の欠如は、物語を進める動機を簡単に与えないようにするためだろう。この男は最後いつになったら立ち上がるのか。しかし、その立ち上がる理由も愛国心に目覚めるからではない。ザナックは、街のゴロツキがそんな簡単に愛国心に目覚める話など誰も買わないことを知っていたのだ。ある段階の脚本では、刑務所に放り込まれたスキップが弁護士と会うラストシーンがあったそうだが、そこでもスキップが愛国心のかけらでもあるところを見せてはいけないと考えていたようだ。ザナックは、スキップのようなキャラクターは最後まで自らのモラルコードを貫くべきだと考えていたのだ。そしてその設定によってのみ、物語が解決する方法を模索していたのだろう。

地下鉄の駅でスキップがジョーイを殴り続けるシーンは、恐ろしいまでの暴力描写の連続だ。出血や骨折の具体的な表現が許されていなかっただけで、階段を引き摺り下ろし、線路の暗闇に追い詰めてひたすら殴り続ける暴力表現は当時としては常軌を逸している。

同時に、そのような厳しい世界の中のセンチメンタリズムもザナックが求めたものかもしれない。『拾った女』のモーの最期、曲を終えて回り続けるレコードを見て、『民衆の敵』のラストを思い浮かべる人も多いだろう。もちろん演出をしたのは、サミュエル・フラーだし、ウィリアム・ウェルマンだが、そういった「タッチ」をザナックが作品に求めたのではないか、という推測はザナックのフィルモグラフィを見ていると自然と湧き上がってきてしまう。

ちなみに同じワーナー・ブラザーズで初めてのオール・トーキー作品『紐育の灯(Light of New York, 1928)』を監督したのは、イーグル・ライオンで数多くのフィルム・ノワールの製作を手掛けたブライアン・フォイである。初期のギャング映画のパイオニア達が、1940~50年代に様々なかたちでフィルム・ノワールの製作に関わっているという事実は、もっと考察されても良いだろう。

 

フラーのクローズアップ

(『地獄への挑戦(I Shot Jesse James, 1949)』のオープニングのクローズアップについて)私は銀行とか、銀行にいる人間には興味がないんだ。私は撃たれる窓口の男と、彼を撃つ男に興味があるんだ。 サミュエル・フラー

前述のポール・シュレーダーが「50年代中盤から後半にかけての犯罪映画に特徴的」と指摘したスタイルの一つにクローズアップが挙げられる。彼はTVの影響として全体的に明るい照明とクローズアップを挙げており、それが「ドイツ的な」フィルム・ノワールのルックを駆逐したと述べている。

フィルム・ノワール的なルックが何か、という定義の問題よりも、サミュエル・フラーのクローズアップがそれまでのスタイルとどう違うのかという問題の方に興味がある。そして、実際に彼のこの時代の作品に登場するクローズアップはタイトで息苦しいような独特の構図が見られる。

例えば、『拾った女』で、スキップがタイガーに呼び出されて尋問を受ける場面は、クローズアップの切り返しの応酬だ。スリを働いたことを問いただしてもスキップは決してひるまず、タイガーが今にも爆発しそうになる。それをスキップは面白がって更に焚き付ける。

こういった強烈な尋問のやり取りを、同時代の他の監督はどのように撮っているだろうか。例としてニコラス・レイ監督の『暗黒への転落(Knock on Any Door, 1949)』の裁判所での尋問の場面を見てみよう。ジョージ・マクレディ演じる検事が、被告のジョン・デレクを問い詰めるシーンはこの作品のクライマックスとなる、激しい尋問のシーンだ。マクレディは画面の左側からデレクを問い詰めていく。切り返しで映るデレクは右側に位置している。詰問の強度が上がっていって、クローズアップがタイトになっていってもマクレディは常に左側に位置している。つまり、マクレディの身体の中心線は画面の左側なのだ。最後にデレクの目のクローズアップになって強度が最高潮に達する。

暗黒への転落
暗黒への転落
暗黒への転落
暗黒への転落

これに対して、サミュエル・フラーのクローズアップでは、人物は常に画面の中心にすえられる。たとえ、対話する人物の位置関係において左右のコンヴェンションが守られているとしても、位置は画面の中心だ。

これをシュレーダーはTVから影響を受けた技法ととらえているようだが、果たしてそれはどうだろうか。当時のTVはそのほとんどが生放送であり、複数台のカメラでセット内を流れるように取り続けることが要求された。特にドラマの放映においては、ハリウッドのコンヴェンションである「ショットー切り返しショット(Shot / Reverse shot)」を使うことは限りなく困難だったようだ。そのため初期のTVドラマでは現場での必要性から様々な構図が試みられている。横にならべて会話をさせる、画面奥と手前でどちらもカメラに向いた位置関係で会話をさせる、一人だけ映して画面外から声で会話をさせる、と言った具合だ。しかし、『拾った女』に登場するような、人物を中心にすえた構図でのショット/リバースショットは、やはり映画のような製作環境でなければ現れないスタイルではないだろうか。シュレーダーは「チェッカー・スピーチ」に見られるようなダイレクト・アドレスの構図を言っているのかもしれないが、果たしてそれが劇映画に影響を与えただろうか。

Rabbit (1951) 生放送のTVドラマ
Rabbit (1951) 生放送のTVドラマ

ある映画や映画監督のスタイルや技法の「影響」の源泉を見つけるのは、簡単なことではない。それは点と点をつなぐものではなく、むしろ面、さらには立体の融合のようなものだからだ。ニクソンの愛国スピーチは、愛国のかけらもないスキップの構図に影響を与えたかもしれないし、そうでないかもしれない。むしろ、「チェッカー・スピーチ」と「俺に向かって旗を振っているのか」が、そんなに近親的な位置にありながら、全く没交渉の2つの世界を我々に見せていること、一方はTVが支配しつつある中流家庭へのメッセージ、もう一方はTVなど1台も見当たらない都市の底辺の物語、同時代性とともに乖離した社会をそれぞれ映し出す、そういった立体的なメディアのあり方をとらえることが、明快な作家主義よりも興味深くはないだろうか。

 

 

Links

クライテリオンのサイトでは、Luc Santeが記事を寄せている。「安っぽい犯罪とは、グツグツと湧き上がる無意識が外部に表出しているにすぎない、とするジャンルがフィルム・ノワールならば、『拾った女』はまさしくノワールだ」

New Yorkerのサイトでは、リチャード・ブローディの『拾った女』ビデオエッセイを見ることができる。

SFGateでは、サミュエル・フラーの未亡人と娘によるレトロスペクティブや活動が紹介されている。未亡人のクリスタは、1960年代の終り、当時22歳のスティーブン・スピルバーグがフラーの『地獄と高潮(Hell and the High Water, 1954)』のコピーを持ち歩いていたと語っている。

 

Data

20世紀フォックス配給 6/17/1953公開
B&W 1.37:1
80分

製作ジュールズ・シャーマー
Jules Schermer
出演リチャード・ウィドマーク
Richard Widmark
監督サミュエル・フラー
Samuel Fuller
ジーン・ピーターズ
Jean Peters
原作ドゥワイト・テイラー
Dwight Taylor
テルマ・リッター
Thelma Ritter
脚本サミュエル・フラー
Samuel Fuller
マーヴィン・ヴァイ
Murvyn Vye
撮影ジョセフ・マクドナルド
Joseph McDonald
リチャード・カイリー
Richard Kiley
音楽リー・ハーライン
Leigh Harline
ヴィック・ペリー
Vic Perry
編集ニック・デマギオ
Nick DeMaggio
ウィリス・ボウチェイ
Willis Bouchey
美術ジョージ・パトリック
George Patrick
美術ライル・ウィーラー
Lyle Wheeler

 

 

 

References

[1] S. Fuller, C. L. Fuller, and J. H. Rudes, A Third Face: My Tale of Writing, Fighting and Filmmaking. New York; Milwaukee, WI: Applause Theatre & Cinema Books, 2004.
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[3] J. Smith, Film Criticism, the Cold War, and the Blacklist: Reading the Hollywood Reds. Univ of California Press, 2014.
[4] B. K. Grant, Film Genre Reader IV. University of Texas Press, 2012.
[5] “Lyle Wheeler, Who Won 5 Oscars for Art Direction, Dies at 84 – latimes.” [Online]. Available: http://articles.latimes.com/1990-01-12/local/me-232_1_lyle-wheeler.
[6] T. Burr, “Pickup on South Street,” in The B List: The National Society of Film Critics on the Low-Budget Beauties, Genre-Bending Mavericks, and Cult, D. Sterritt and J. C. Anderson, Eds. Da Capo Press, 2008.
[7] S. Fuller, Samuel Fuller: Interviews. Univ. Press of Mississippi, 2012.
[8] J. Monaco, The Encyclopedia of Film. Perigee Books, 1991.
[9] L. Dombrowski, The Films of Samuel Fuller: If You Die, I’ll Kill You. Wesleyan University Press, 2015.