On Dangerous Ground
RKOピクチャーズ
1951
あの無能なジョン・ハウスマンは、最初にストーリーを考えた作家じゃなくて、
あのクソ監督の言うことを聞いたんだ
― A・I・ベゼリデス
ベゼリデスはいい作家なんだが、あの映画には戸惑いを隠さなかった。
いや、私もそうなんだが
― ジョン・ハウスマン
Synopsis
刑事ジム・ウィルソン(ロバート・ライアン)は、他の二人のベテラン刑事、”パパ”・デイリー(チャールズ・ケンパー)とピート・サントス(アンソニー・ロス)とチームを組み、夜毎、街の犯罪を取り締まるためにパトロール・カーを走らせる。デイリーとサントスは、ウィルソンの行き過ぎた捜査行動が気になっていた。ウィルソンは、容疑者や現行犯に対して暴力を振るいはじめると抑制が効かなくなる傾向があるのだ。ある夜、警官殺しの情報をタレこんだ女性が暴行を受けているところへ駆けつけ、暴行犯を追い詰める。しかし、ウィルソンが過度の暴力を振るいはじめてしまった。この出来事がきっかけとなって、ウィルソンは街の担当から外され、雪に覆われた山間の小さな町の殺人事件の捜査を担当させられる。だが、それには厄介なパートナーがいた。殺された子供の父親(ワード・ボンド)が復讐を誓い、ショットガンをもって雪のなか犯人を追い回していたのだ。二人は雪に覆われた土地を足跡を頼りに犯人を追う。やがて、人里離れた家にたどりつく。
Quotes
Sometimes people who are never alone are the loneliest.
時には、いつも誰かといる人のほうが最も孤独だったりするのよ
メアリー・マルデン(アイダ・ルピノ)
Production
ジェラルド・バトラー原作の小説「Mad with Much Heart」にニコラス・レイが興味を示したのは、小説が出版されてから三年後の1949年だという。レイは、プロデューサーのシド・ロジェルに本を渡して映画化の検討をうながした。ロジェルはジョン・ハウスマンに映画化の話を持ち込む。ハウスマンはRKOの脚本部やレイモンド・チャンドラーに意見を求めたが、いずれも芳しくなかった。チャンドラーは「面白くないし、この刑事のキャラクターは馬鹿げている」とハウスマンに伝えている。それにも関わらず、ハウスマンは、ロバート・ライアン主演で映画化を考え始めていた。
ニコラス・レイは脚本にA・I・ベゼリデスを呼んだ。西海岸の都市部の街角に潜む暴力と闘争を容赦ない言語で綴ることのできる数少ない脚本家だ。脚本のための調査として、ベゼリデスはロサンジェルス警察、レイは東海岸のボストン警察を訪ねて警察の日々の業務を観察したという。レイは、ボストンで出会った警官に強い印象を受けた。このアイルランド系の警官は、弟を大学に通わせるために警官になったのだが、弟が大学を卒業して立派な牧師になった頃には、免職処分スレスレの暴力警官になっていたという。レイはこの人物を大いに参考しにしたと語っている。また、レイはニューヨークでシドニー・キングスレー原作の「Detective Story」の舞台を見ている。この作品もやはり暴力に訴える刑事を題材としていた。
1950年に入っても、脚本は幾つものバージョンが存在し、キャラクター、コンティニュイティなどあらゆる点で難航していた。とは言え、雪が溶け始める前に撮影は始めなければならない。ニコラス・レイは3月にコロラド州に移ってロケの準備に取り掛かった。信じられないことに、この時点ではまだロバート・ライアン以外の配役が決まっていなかったのである。
殺された少女の父親役には、リー・コッブ、ハワード・ダ・シルヴァ、ワード・ボンド、アルバート・デッカー、ライス・ウィリアムス、ジェームズ・ベルが挙がっていた(ワード・ボンドが演じる)。同僚刑事の「パパ」デイリーには、ウォーレス・フォード、ワード・ボンド、レイ・コリンズ、ジェイ・フリッペンの名前が挙がっていたが、チャールズ・ケンパーが抜擢された。問題は盲目のメアリーの役である。ハワード・ヒューズの指示もあり、ジェーン・ワイマン、スーザン・ヘイワード、オリビア・デ・ハビランドらの名前が挙げられていた。ハウスマンのメモには、その他にアイダ・ルピノ、デボラ・カー、ジャネット・リー、ワンダ・ヘンドリックス、ローレン・バコール、テレサ・ライト、マーガレット・サリバン、フェイス・ドマーグ、マーガレット・フィリップスの名前が挙がっている。このなかでシド・ロジェルが「OK」としたのはアイダ・ルピノとローレン・バコールだけだった。マーガレット・フィリップスはハウスマンとレイの一押しだったが、結局映画界にデビューすることはなかったようである。
アイダ・ルピノは、前年にフィルメーカーズ(Filmakers)を設立、RKOが製作費の一部を出資していた。フィルメーカーズではルピノは製作、監督をつとめていたが、RKOのマーケティング力や配給網を当てにしていたのである。それが仇となった。ハワード・ヒューズはサンフランシスコ、ニューヨークなどの大都市でフィルメーカーズの公開作品の大々的なプロモーションを展開し、盛大なパーティーを開いた。ところが、この青天井のパーティの請求書はフィルメーカーズにまわってきた。さらにルピノはエージェントに大金を借金しており、それを返済する必要もあった。足元をみたRKOは、比較的好条件で『危険な場所で』のルピノの出演を取り付けたようである。
少女を殺害した犯人、まだ未成年で、メアリーの弟のダニーの役はサムナー・ウィリアムスが演じた。彼はニコラス・レイの甥で、『暗黒への転落(Knock on Any Door, 1949)』『大砂塵(Johnny Guitar, 1954)』にも出演している。
雪に覆われた土地でのロケ撮影は、コロラド州のグランビーで行われた。標高2,419メートル、人口500人足らず(1950年当時)のこの町は、デンバーから137km離れた山間部にある。当初はデンバーで面接した劇団員を町の人間として呼ぶ予定であったが、レイがグランビー在住の一般人を使うことに決めた。
(自働的演技[involuntary performance]について)『理由なき反抗』のサル・ミネオの演技は全部そうだね。・・・『危険な場所で』のコロラドの農民たちの何人かの演技もそうだ。 ニコラス・レイ
1950年の3月末から4月初旬までコロラドに滞在し撮影した。照明などの機材が十分でなく、昼間にフィルターを使用して夜の場面を撮影する「Day For Night」も行わざるを得なかった。こういった一般人の演技と最小限の照明がつくる映像、例えばダニーの追跡のために住民の乗用車を徴用するシーンなどは、60年代以降のインディペンデント映画を先取りした感触をもたらしている。
この作品でアイダ・ルピノが一部シーンを監督したという話がある。バーナード・アイゼンシッツによるニコラス・レイの伝記によれば、製作時の記録にそのような事実は記されておらず、ルピノ自身も「監督」したとは言っていない。ラストシーンの変更についての話に尾鰭がついたのではないか。元々、ラストシーンではコリンズがメアリーと別れ、メアリーが一人階段で泣くというシーンで終わるはずだった。ところがルピノはその暗い結末が気に入らず、ルピノとライアンの二人が結末をその場で彼らが思うとおりにやったという。J・R・ジョーンズのロバート・ライアンの伝記では、ニコラス・レイ自身が二人に好きなようにやらせたと記されている。
この作品は1950年の5月にクランクアップしているにも関わらず、1年以上公開まで時間がかかっている。これには様々な理由がある。シド・ロジェルがハワード・ヒューズと険悪になりRKOを辞めたこと、ジョン・ハウスマンが周囲の反対を押し切ってバーナード・ハーマンを音楽担当に起用したこと、コンティニュイティに問題があり、幾度も編集を重ねていること、ロジェルの代わりにRKOに入ってきたジェリー・ワルドとルイス・ラクミルがコンティニュイティを「修正しようと」様々な案を提案して編集作業をさらに悪化させたこと、などが原因である。
コンティニュイティの問題は、幾つかの要因が絡まっているようである。一つにはベゼリデスの脚本(主に前半の街のシーン)にレイのアイディア(二つの対比される場所と人間関係の構造)が放り込まれたために元々辻褄が合いにくかったこと、ロケ撮影のときに当初はルピノ抜きで撮影を進めていたこと、さらにその部分のコンティニュイティ・スクリプトの一部を紛失してしまったこと、後から参加したプロデューサー達が変更を要求したこと(例えば、女が通りで暴行を受けているシーンをオープニングに持ってこようとしたり、あるいはウィルソンが街に戻ってきてからの出来事として挿入しようとしたりしていた)、さらにはウィルソンが暴力的になった理由が父親にあることを明らかにする挿話を入れることも提案された。
バーナード・ハーマンは今では「ヒッチコック映画の音楽担当」として有名だが、『危険な場所で』製作当時には1930年代にオーソン・ウェルズ/マーキュリー・シアターとラジオ番組で実験的な音楽を作曲していた人物として、そして『悪魔の金(Devil and Daniel Webster, 1941)』『市民ケーン(Citizen Kane, 1941)』の音楽で知られる、「変わり者」の作曲家だった。彼は、自分が作曲した映画音楽をコンサート用に組曲形式に編曲しており、レオポルド・ストコフスキーなどがコンサートでとり上げていた。『危険な場所で』のハーマンの音楽が「しっくりこない」「うるさい」という意見が多く見られるが、実際には鍵になるシーンでは音楽が全くなく、映像に語らせる場面も多く、メリハリの効いた演出になっている。面白いところでは、メアリーのテーマとしてヴィオラ・ダ・モーレ(主に18世紀、バロック時代に使用されたバイオリン族の楽器)によるソロを採用している。
撮影はジョージ・ディスカント。彼は手持ちカメラや最小限の照明での撮影など、リスクだらけの撮影に果敢に挑んだ。特に手持ちカメラの撮影は物語に圧倒的な臨場感をもたらしている。
「エンディングはハワード・ヒューズが気にいらず撮り直しとなったが、レイは怒って従わなかった」という逸話が紹介されることが多い。しかし、実際はどうだろう。1952年7月11日、恐らくこれが公開前最後となる試写にはジェリー・ワルド、ウィリアム・ファディアン、ルイス・ワクミル、ニコラス・レイ、ジム・ウィルキンソン(ハワード・ヒューズの代理人)らが参加している。その後、主に全体的なリズムの引き締めや冗長な部分のカットが行われた。ラストシーンでメアリーとジムにキスをさせてエンドマークにすることをハワード・ヒューズが要求したが、これはニコラス・レイらによって拒否された。RKOにおけるハワード・ヒューズの傍若無人ぶりの逸話が多く残っているが、『危険な場所で』のエンディングも含め、実際の製作メモや記録によれば、彼の意見が採用されていないケースも多く見られるようだ。
Reception
公開当初からニコラス・レイの演出は高く評価されている。
監督のニコラス・レイは休みなくキビキビとアクションを演出し、暗い陰気な街角、安酒場、雪に覆われた平原といった場所の雰囲気も上手く醸し出している。Motion Picture Daily
しかし、脚本の不備を指摘する批評が目立つ。MPDも「あまりにもご都合主義」とその物語の展開に難色を示し、New York Timesのボズリー・クローサーは脚本を「薄っぺらい」と批判している。
ジェラルド・バトラー原作の「Mad With Much Heart」からA・I・ベゼリデスが脚本化したストーリーは浅くてバランスが悪い。(ウィルソンの)サディズムは表面的にしか説明されず、かれの幸福な復活は、安易な恋物語にすぎない New York Times
興行的には失敗、$425,000の損失だった。
もちろん、ニコラス・レイを1950年代後半に「発見」したのは、ジャン=リュック・ゴダールをはじめとする「カイエ・デュ・シネマ」の若い映画評論家達、ヌーベル・ヴァーグを牽引した映画作家たちである。1957年のカイエ・デュ・シネマ誌上のニコラス・レイへのインタビューでも、シャルル・ビッチが熱心にレイのフィルモグラフィーに分け入りながら、レイの映像へのアプローチ、演出法について様々な角度から質問を投げかけている。
ニコラス・レイのフィルム・ノワール作品としては、『夜の人々(They Live By Night, 1949)』『孤独な場所で(In a Lonely Place, 1950)』と比較され、決して評価が高い方ではない。だが、ロバート・ライアンが演じたジム・ウィルソンは、レイ特有の「内側に爆発寸前の何かを秘めた人物」の造形の例として際立っており、『孤独な場所で』から『理由なき反抗(Rebel Without a Cause, 1955)』への系譜のなかで位置づけられている。
Analysis
スモール・タウン, U. S. A.
大都会の路地裏と、地方の小さなコミュニティ。大都会で人間は孤独になり、モラルを喪失し、暴力に甘んじ、コミュニティを失い、家族が崩壊する。一方で都会から離れた小さな町では、人間同士が助け合い、信じるものを尊び、コミュニティを維持し、家族が幸せを求める。アメリカの映画やメディアは繰り返し「スモール・タウン, U. S. A.」を様々なかたちで可視化しようとしてきた。フランク・キャプラは『スミス都へ行く(Mr. Smith Goes to Washington, 1939)』で、アメリカが守るべき良心と誠実を地方の小さな町のボーイスカウトのリーダーに託している。人気TV番組『ビーバーちゃん(Leave It To Beaver, 1957 – 1963)』で、中産階級が何の悩みもなく子供を育てる環境は、小さな町の平均的なコミュニティだ。マイケル・J・フォックスが主演した『ドク・ハリウッド(Doc Hollywood, 1991)』は、この「スモール・タウン, U. S. A.」神話を1990年代に移植した作品である。80年代のレーガノミクス以降、経済的な成功で浮足立っている人間が、「アメリカの本当の姿」に触れる場所として、サウスカロライナの小さな町が登場する。しかし、アメリカの小さな町の神話を映像に焼きつけた最も有名な作品は、やはりフランク・キャプラの『素晴らしき哉、人生(It’s a Wonderful Life, 1946)』だろう。ここでもジェームズ・スチュワート演じる「平均的アメリカ人」ジョージ・ベイリーが、その存在と行為によって、小さなコミュニティにいかに大きな影響を与え、多くの人々に希望と生命を与えたかをお伽噺のように描いてみせている。
一方で、「スモール・タウン, U. S. A.」の神話を突き崩し、暴いてみせる作品ももちろんある。デヴィッド・リンチの『ブルー・ヴェルヴェット』『ツイン・ピークス』、コーエン兄弟の『ファーゴ』などはその代表的な例であろう。リンチは工業的な色彩と土地の色を組み合わせて、アメリカの色彩、そして環境を再定義し、その有毒な環境によって正常と異常というダイコトミーが成立しない世界を描いた。コーエン兄弟は、人間が生きる場所とアメリカの風景との乖離を認めつつ、その接点として、ノース・ダコタの雪原の中に赤い血を配した。だが、この「スモール・タウン, U. S. A.」の神話は、1980年代まで無批判に受け入れられていたかというと、そうではない。むしろ『イージー・ライダー』のように偏見と暴力の源泉としてえぐり出すものもある。更にコミュニティとしての機能そのものに疑問を投げかける『裸のキッス(The Naked Kiss, 1964)』、人種差別の温床としてのコミュニティとして描き出す『夜の大捜査線(In the Heat of Night, 1967)』など、アメリカの社会を分断する澱が都会よりもはるかに分厚く堆積した場所としてとりあげられてきているのだ。実は『素晴らしき哉、人生!』も、そのコミュニティは決して完璧なものとして描かれていない。アルコール依存症、未成年に対する暴力、言葉の暴力、そして大恐慌の爪痕は、オブラートに包まれているものの、まぎれもなく存在するものとして描かれている。ジョージ・ベイリーが存在しない世界では、それらが拡大し、より可視化されたに過ぎない。
『危険な場所で』に登場するコロラドの小さな町(設定ではボストンの郊外の町なのかもしれないが)は、殺人事件が起きると住民たちが総出でライフルをもって容疑者を探し回る世界である。住民たちは彼ら自身の手に「法」があると信じており、その「法」に照らせば、彼らにとって「復讐」は許される当然の権利なのだ。ジム・ウィルソンは、独自の「法」に支配されている世界に明らかに困惑している。自らの手に「法」があるという、西部開拓時代のコードがここでは活きている。映画の冒頭、「パパ」デイリーの子どもたちはTVという箱で西部劇を見ていた。都市部では映画のスクリーンやTVの箱に閉じ込められているコードが、この「スモール・タウン」ではまだ外で暴れている、という対照が鮮やかだ。
雪の帳のその向こう
この「町」の設定は非常に興味深い。最初にウィルソンが到着して、殺された少女の父親、ブレント(ワード・ボンド)と会う場面は、恐らく町の中心部という設定だろう。ブレントだけでなく、多くの捜索隊のメンバーがライフルを持ち、雪のなか、容疑者を探し回っている。ここから、ウィルソンとブレントは、さらに雪深い道をたどりながら容疑者を追跡していく。途中で容疑者が車を奪って逃走、それをウィルソンらは住民の車をなかば奪うようにして更に追跡する。雪の道の行程はディゾルブによって、何度も重ねられ、さらに車は事故を起こしてしまって、そこから徒歩で森を抜けていく。その抜けた所に盲目のメアリーの住む家がある。
この土地の人間であるはずのブレントにとっても、ここは、幾重もの境界を超えた先の未知の土地なのだ。ましてや、ウィルソンにとっては、雪に埋もれた小さな町の、その向こうにある、さらに隔てられた異郷である。ウィルソンは、その異郷の雪のなかに、盲目の女性が弟への愛情だけを頼りに生きているのを発見する。ウィルソンが魂の彷徨の末に彼がいるべき世界を発見すると同時に、その生贄/犠牲を岩山の上で捧げるという「巡礼」を描くことを、ニコラス・レイは目論んでいたのだろうか。
奇妙なことに、ウィルソンはブレントに対して意見を言わない。彼の「復讐」の念を抑制するようにも言わないし、警官として「法」について説教もしない。ウィルソン自身が、街の刑事のときには犯罪者や容疑者に対して容赦をしなかったことが下敷きにあるからブレントの行為を黙認していたのか、それとも自分の娘を殺された親の気持ちを理解したからか。そのいずれでもないかもしれない。夜の街でのウィルソンの行動は、「復讐」や「正義感」が根にあるからではなく、彼自身に問題が根ざしている。彼の部屋には大学時代の彼のスポーツマンとしての業績を称えるトロフィーが飾られており、その横に十字架が置かれている。彼は一人で食事をするときも前科者達のファイルを見ている。彼は、マジメに生き、努力をしてなにかを成し遂げることが、人生だと感じているのは明らかだ。だが、彼がいくらマジメにやっても、チンピラはいなくならないし、通りで意味もなく殴られる女性も減りはしない。
イエスは言われた。「見えなかったのであれば、罪はなかったであろう。しかし、今、『見える』とあなたたちは言っている。だから、あなたたちの罪は残る。」ヨハネ9章41節
この作品が「盲目」を題材にしているのは明白だ。しかし、盲目と言ってもメアリーの盲目のことだけではない。これはウィルソンの盲目についての話でもある。ウィルソンは「俺たちが見ると言ったら(All we ever see)、悪人、殺人犯、飲んだくれ、タレコミ屋・・・」と言う。敬虔なカトリックであるウィルソンが、いざ自分の仕事で人間に出会うと、人間のもつ様々な次元を見失なっているのだ。だが、彼は、ブレントと殺人犯の追跡を続けるなかで「見えていない」ことについて少しずつ気づいていく。あるいは、観客として見ている我々が、気付かされていく。最も衝撃的なのは、ダニーが岩山の上から落下して死亡してしまったとき、はじめてブレントがダニーを「見て」気付くのである。「なんだ、まだ子供じゃないか」と。そんなことも気づかなかったのか、と見ている観客は思うかもしれない。だが、自分の娘を殺されたブレントの立場に立ったとき、私達は同じように「見える」だろうか。
この『危険な場所で』のロケ地となったコロラド州グランビーは、2004年に恐ろしい事件に見舞われる。改造が加えられ、装甲化したコマツのブルドーザーが、グランビーの町を襲い、次々とビルディングを破壊していった。死者は出なかったものの、警察署を含む町の重要施設が破壊された。ブルドーザーを1年半かけて改造し、運転して、最後に自殺したのは、マーヴィン・ヒーメイヤーという男性。彼は自分の修理工場のそばにコンクリート処理施設が建設されるのを反対していたのが、聞き入れてもらえず、裁判にも負けてしまったことに腹を立てたのである。ブルドーザーで破壊する建物には、自分の主張を聞いてくれなかった側の者たちのものを慎重に選んであったという。この事件を元に、2014年、ロシアの映画監督アンドレイ・ズビャギンツェフが『裁かれるは善人のみ』を監督した。ここで題材にされているのは、旧約聖書の「ナボテのぶどう畑」である。
この小さな町では、なぜか聖書の物語が似合ってしまうようだ。
Links
TCMのサイトでは、ポール・タタラがジョン・ハウスマンの仕事に焦点を当てて作品を紹介している。
A・I・ベゼリデスは、ハリウッドでウィリアム・フォークナーと親交が深かった。その当時の状況をインタビューで語っている。
Data
RKO ピクチャーズ配給 12/17/1951公開
B&W 1.37:1
製作 | ジョン・ハウスマン John Houseman | 出演 | ロバート・ライアン Robert Ryan |
監督 | ニコラス・レイ Nicholas Ray | アイダ・ルピノ Ida Lupino |
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脚本 | A・I・ベゼリデス A. I. Bezzerides | ワード・ボンド Ward Bond |
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脚本 | ニコラス・レイ Nicholas Ray | チャールズ・ケンパー Charles Kemper |
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原作 | ジェラルド・バトラー Gerald Butler | アンソニー・ロス Anthony Ross |
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撮影 | ジョージ・E・ディスカント George E. Diskant | エド・べグリー Ed Begley |
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音楽 | バーナード・ハーマン Bernard Hermann | サムナー・ウィリアムズ Sumner Williams |
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編集 | ローランド・グロス Roland Gross | イアン・ウルフ Ian Wolfe |
References
[1] S. C. Smith, A Heart at Fire’s Center: The Life and Music of Bernard Herrmann. University of California Press, 2002.
[2] J. Hillier, Cahiers Du Cinema. Psychology Press, 1985.
[3] W. Donati, Ida Lupino: A Biography. University Press of Kentucky, 2013.
[4] N. Ray, I Was Interrupted: Nicholas Ray on Making Movies. University of California Press, 1993.
[5] S. Rybin and W. Scheibel, Lonely Places, Dangerous Ground: Nicholas Ray in American Cinema. SUNY Press, 2014.
[6] B. Eisenschitz, Nicholas Ray: An American Journey. University of Minnesota Press, 2011.
[7] P. McGilligan, Nicholas Ray: The Glorious Failure of an American Director. Harper Collins, 2011.
[8] J. R. Jones, The Lives of Robert Ryan. Wesleyan University Press, 2015.