Gilda
コロンビア・ピクチャーズ配給
1946年
Every man I’ve known has fallen in love with Gilda and awakened with me.
Rita Hayworth
Synopsis
第二次世界大戦が終わる頃のブエノス・アイレス。流れ者のギャンブラー、ジョニー・ファレル(グレン・フォード)は、ひょんなことからベイリン・マンスン(ジョージ・マクレディ)の右腕として、カジノで働くようになる。ブエノス・アイレスの裏社会で大きな影響力をもつマンスンのもとで、ジョニーは有能なマネージャーとして頭角を現し始める。ジョニーにカジノを任せて数週間の旅行に出かけていたマンスンは、帰ってくるなり、旅行先で、ある女性と結婚したことをジョニーに告げる。その女性とは、過去にジョニーと関係があったギルダ(リタ・ヘイワース)だった。
Quotes
ジョニー:俺をどんな奴だと思う?
アンクル・ピオ:(ジョニーのくれたチップを見ながら)百姓だね。
Production
コロンビア・ピクチャーズとリタ・ヘイワース
ハリー・コーン率いるコロンビア・ピクチャーズは、1930年代にポヴァティ・ロウから這い出してメジャー映画スタジオ(MGM、パラマウント、ユニバーサル、二十世紀フォックス、RKO)の仲間入りを果たしつつあった。その躍進の推進力は、もちろん『或る夜の出来事(It Happened One Night, 1934)』、『スミス都へ行く(Mr. Smith Goes to Washington, 1939)』などのフランク・キャプラ監督だったが、第二次世界大戦が始まる頃には、スター、スタッフ、配給力などの面で、十分な競争力を持ち始めていた。そのスターのひとりが、リタ・ヘイワースだった。
リタ・ヘイワース(本名:マルガリータ・カルメン・カンシーノ、1918 – 1987)は、1934年頃から「リタ・カンシーノ」の芸名で、フォックスの映画に端役で出演していたが、この女優にはもう芽がないと思ったダリル・ザヌックは、契約を打ち切ってしまう。フリーランスの仕事をしていたところ、ハリー・コーンの目にとまり、1936年にコロンビア・ピクチャーズと7年契約を結んだ。コーンは、それまでの彼女のイメージはあまりにヨーロッパ的(地中海的)だと敬遠し、もっとアメリカ的なイメージに変えようと、芸名を「リタ・ヘイワース」にする。『ニューヨークの天使(Angels over Wings, 1940)』を皮切りにヘイワースの人気は急上昇し始める。特に『晴れて今宵は(You Were Never Lovelier, 1942)』でのフレッド・アステアとの共演は、彼女のダンサーとしての才能を再起させ、観客を魅了した。
1943年、リタ・ヘイワースのプロモーションには更に新しいアプローチが必要だと考えたハリー・コーンは、パラマウントからヴァージニア・ヴァン・アップを引き抜く。これが『ギルダ』の始まりだった。
ヴァージニア・ヴァン・アップ
ハリウッド育ちの映画ビジネスのプロフェッショナルといえば、メジャー・スタジオのトップ・プロデューサーたちを思い浮かべがちだが、そのなかに彼女の名前が挙がることは稀である。しかし、ヴァージニア・ヴァン・アップは、ハリウッド映画史を代表するアイコン、「リタ・ヘイワース」を成功させた、非常に有能な女性プロデューサーとして認知されるべき存在であろう。
ヴァージニア・ヴァン・アップの母、ヘレン・ヴァン・アップはサイレント映画期に「スクリプター」として多くの作品にクレジットされている。スクリプターとは、映画の撮影の内容、状況を記録し、ナラティブの一貫性を担保する役割を担うスタッフである。ヴァージニアはこの母を通して映画の現場を知ったのかもしれない。彼女は子役としてサイレント映画に出演していたが、成人するとハリウッドのキャスティング・エージェンシーで活躍していた。エドワード・スモール(ビリー・ワイルダーの『情婦(Witness for Prosecution, 1957)』などを手がけたプロデューサー)のエージェンシーから反乱を起こして独立、MGMのキャスティングを手がけるなど、若くして血気盛んなところを見せている。その後、パラマウントで脚本家ホレース・ジャクソンの秘書を務めているときに、脚本に関わるようになっていった。ヴァン・アップは、1930年代後半のパラマウントで、脚本、スクリプト・ドクター(脚本の修正)、編集、キャスティング、といった映画製作のあらゆる側面で活躍していた。
1943年、リタ・ヘイワースの主演映画に適した題材はないかと苦労していたハリー・コーンは、ヴァン・アップの噂を聞きつけ、この有能な脚本家をパラマウントから引き抜いた。最初の作品は、リタ・ヘイワースがジーン・ケリーと共演したミュージカル『カバー・ガール(Cover Girl, 1944)』である。ここでヴァン・アップは、脚本を手がけただけでなく、ヘイワースの衣装の選択等にも関わっている。ヴァン・アップの類まれなる才能に感銘を受けたハリー・コーンはヴァン・アップを1945年1月にエグゼクティブ・プロデューサーに任命する。これは、ハリー・コーンのもとで働く男性プロデューサーたちの神経を逆なでしたに違いない。ちなみに、ハリウッドでは、ヴァン・アップの後30年間にわたって女性がスタジオのエグゼクティブの立場についたことはなかったという。
撮影までの道のり
1944年11月にコロンビアは、プロダクション・コード・アドミニストレーション(PCA)に、「ギルダ」のあらすじを提出する。ジョセフ・ブリーンは「不倫関係が描かれている」ことを理由に、映画化は許可できないと通達してきた。この数週間後にヴァン・アップがプロジェクトに参加、リタ・ヘイワースを売り物にする作品として、脚本の書き直しを始める。『カサブランカ(Casablanca, 1943)』の成功の残り香がまだ漂っている当時のハリウッドでは、「ギルダ」のようにエキゾチックな外国の賭博場が舞台となれば、主役候補にはハンフリー・ボガートが真っ先に挙がる。しかし、原稿を読んだボガートは、女優にフォーカスが当たることを察知したのだろう、にべもなく断った。ボガートを念頭に置く必要がなくなったヴァン・アップは、個性的な「女性映画」として脚本のテコ入れをし、1945年8月に撮影用台本を仕上げている。この段階では、ヴァン・アップが脚本担当として記名されていた。
配役は順調に進んでいった。ベイリン・マンスンの役には、ジョージ・マクレディが抜擢された。ブロードウェイの舞台で1926年から活躍していたが、ハリウッドで映画に出演したのは1942年。右頬の傷が印象的で(自動車事故で負傷した)、様々な悪役や凶悪なキャラクターに配役されることが多かった。いつもは悪役が多いジョセフ・カレイアは、この映画で誠実な刑事を演じている。アンクル・ピオはハンガリー生まれのスティーブン・ジェレイである。
問題は主演男優だった。撮影が開始された1945年9月初頭の段階でも、ジョニー・ファレルの役は決まっていなかった。最終的に配役されたグレン・フォードはこの年にベティ・デイヴィスと共演した『盗まれた青春(The Stolen Life, 1946)』と、この『ギルダ』でハリウッド俳優としてブレイクする。グレン・フォードがリタ・ヘイワースと共演するのはこれが初めてではない。同じくチャールズ・ヴィダー監督の『The Lady in Question (1940)』で、殺人の嫌疑をかけられているヘイワースに恋する男を演じている。フォードは後年、『ギルダ』の主演に抜擢された理由として、この『The Lady in Question』のときのことをチャールズ・ヴィダー監督か、あるいはコロンビアの誰かが覚えていて、ヘイワースの相手役として適任だと推薦してくれたからではないか、と述べている。
監督のチャールズ・ヴィダーはハンガリーのブタペスト出身のユダヤ人である。第一次世界大戦でドイツ軍に従軍、終戦後にウーファ(UFA)で編集や助監督を務める。『フレデリック大帝(Fridericus Rex, 1921-22)』で助監督を務めた後、ドイツを離れてニューヨークに向かった。しかし、映画の職を得ることができず、3年間、ワーグナーのオペラ歌手として舞台に立っていたという。1929年に短編映画『橋(The Bridge, 1929)』を自費で監督・製作した。アンブローズ・ビアスの短編小説「アウル・クリーク橋の一事件」を忠実に映像化したこの作品は、その幻想的な主題にもかかわらず、リアリズムに根ざしたアプローチで撮影されており、この作品の好評がきっかけとなってMGMと契約を結ぶ。しかし、1930年代の彼は低調で、失敗作も多い。ヴィダーが手がけた作品がヒットして注目を集め始めるのは、1939年、コロンビア・ピクチャーズに移籍してからである。前述の『The Lady in Question』や『カバー・ガール(Cover Girl、1944)』の成功によって、チャールズ・ヴィダーは守備範囲の広い監督として人気を博すようになる。
順調なキャリアに見えたが、チャールズ・ヴィダーは『ギルダ』の撮影中に、コロンビア・ピクチャーズのトップ、ハリー・コーンと険悪になってしまう。ヴィダーはこのあと、長い期間にわたってコロンビア・ピクチャーズと契約上の問題で係争を続け、『ギルダ』撮影後には、裁判にまで事態は発展してしまう。『ギルダ』の撮影現場では、ヴィダーの罵詈雑言がエスカレートしていた。スティーブン・ジェレイは同じハンガリー出身だが、ヴィダーはジェレイをハンガリー語で罵倒していたりしていたようだ。その時の態度はその後の法廷闘争でヴィダーにとって不利な証拠して挙げられてしまう。
撮影監督にはやはりハンガリー出身のルドルフ・マテが選ばれている。マテは、1920年代に、カール・テオドア・ドライヤー監督の作品、『裁かるるジャンヌ(La Passion de Jeanne d’Arc, 1928)』、『吸血鬼(Vampyr, 1930)』などで頭角をあらわし、1930年代にハリウッドに移る。ここでもグレッグ・トーランドと並び称されるほど、撮影技術の革新や視覚的な実験に貢献していく。1940年代には、コロンビア・ピクチャーズで、特にリタ・ヘイワース主演の作品(『カヴァー・ガール(Cover Girl, 1944)』、『今宵よ永遠に(Tonight or Every Night, 1945)』)などのテクニカラーのミュージカル作品で、手堅い撮影を見せている。当時のテクニカラーは、テクニカラー社の指示のもと、画面全体に行き渡る十分な照明が必要とされ、ハイキー、低コントラストの映像に調整されていた。それに対して白黒映画の『ギルダ』では、リタ・ヘイワースの身体を背景から浮かび上がらせるような照明を随所に用い、シーンごとにコントラストの選択やフィルライトの加減が緻密に設計されている。
注目すべきアートディレクションはステファン・グーソンとヴァン・ネスト・ポルグレイズが担当している。ステファン・グーソンは1931年にコロンビア・ピクチャーズの美術監督主任となり、以後多くの作品で美術を担当している。フランク・キャプラ監督の意欲作『失はれた地平線(The Lost Horizon, 1937)』では、そのアール・デコ/流線型デザインのセットでアカデミー賞を受賞している。ポルグレイズは、RKOで美術部門のトップとして活躍、アステア/ロジャーズのミュージカルのセットに代表されるような、極限まで様式的なアール・デコの美術を浸透させた。『市民ケーン(Citizen Kane, 1941)』にもクレジットされているが、アルコール依存症のためにRKOから職を追われる。グーソンがコロンビアに呼んで1940年代に数作品担当している。
『ギルダ』の各セットは、ナラティブ内での位置づけに呼応して機能し、物語の推進に寄与するようにデザインされている。カジノと階上のオフィスの関係、ベイリン・マンスンの部屋とギルダの部屋の対比、アンクル・ピオが働く(男性用)化粧室、すべて物語において重要な役割を果たしている。
音楽はヒューゴ・フリードホーファー。フォックスで演奏家として働いていたが、その後、ワーナー・ブラザーズでオーケストラ用編曲を手がけるようになり、マックス・スタイナーやエーリッヒ・ウルフガング・コーンゴルドの下で編曲を担当していた。『ギルダ』と同じ1946年に『我が人生最良の年(The Best Years of Our Lives, 1946)』でアカデミー賞を受賞している。
ジャン・ルイが衣装を担当。1907年パリに生まれ、ドレコールのアトリエでスケッチ・アーティストとしてキャリアをスタート、その後、ニューヨークでハッティー・カーネギーのもとで働いている。ルイはコロンビア・ピクチャーズで1944年から衣装デザインを担当している。マリリン・モンローが、ケネディ大統領の誕生日に「ハッピー・バースデイ」を歌うときに着ていたガウンは、彼がデザインしたものである。
原作はE・A・エリントンの短編、ジョー・アイジンガー、マリオン・パーソネットらが脚本に名を連ねているが、実際にはヴァン・アップが最終稿を仕上げたと言われている。脚本は、撮影が始まったときには未完成、撮影と並行して書き上げられていった。『ギルダ』製作の過程では、ヴァン・アップのプロデューサー兼脚本家としての力量が極めて重要な位置を占める。同時進行で進められる脚本執筆と、ヴァン・アップとPCAとのあいだの壮絶なやりとりが、『ギルダ』における「コード」の幾重にもわたる無効化につながったからだ。
PCAとの攻防
あらすじの段階から警告を出していたPCAだが、実際の脚本が提出されると、「いかがわしさを徹底的に排除する」執着に一層の拍車がかかる。細部に至るまで、細かい修正要求が毎日のように出されていた。例えば、ジョニーがギルダを車に乗せて連れて帰るシーンで、ヘイワースの右脚が露わになるが、PCAのブリーンはこれを「ストッキング事件」と呼んで、問題視した。これに対し、ヴァン・アップはブリーンと直接談判したようで、ブリーンはその後「ヴァン・アップ女史が電話で確約してくれたように、ギルダがジョニーをからかっているということであれば、ヘイワースの脚が見えることは特に問題ではない」と引き下がっている。その他にも、ギルダがネグリジェを着ているシーンがセックスを連想させると反応したり、アンクル・ピオが殺人を犯したことへの決着がついていないこと(PCAのコードでは、殺人などの重犯罪を犯したものは、必ず法の裁きを受ける必要があった)や、ギルダのダンスが「ストリップ」と観客がとらえることを問題視し、脚本の変更を要求していた。
このPCAの執拗な介入は、ギルダが歌う「Put the Blame on Mame」や「Amado Mio」の歌詞にまで及んだ。ブリーンは「Put the Blame on Mame」中の
Mame did a dance and she dropped her fan.
という歌詞が「ひどく扇情的(offensively sex suggestive)」であるとして変更を求めた(最終的には「Mame did a dance called the hitchy-coo 」となった)。「Amado Mio」内の「begin tonight」という表現にも敏感に反応し、「セックスが過度に示唆されている」と削除を求めた。
このように、ギルダにまつわる「あけっぴろげな性表現」と想像できるものについてはPCAは過度に反応し、執拗に変更を要求してきた。一方で、後述するが、ベイリーとジョニーのあいだの同性愛を示唆する表現については、PCAは何もコメントしていない。PCAのこの態度は、ヴァン・アップが描こうとしていた性の三角関係の描写にとって、結果的にはプラスに働いた。
ハリー・コーン、リタ・ヘイワース、チャールズ・ヴィダー、オーソン・ウェルズ
撮影に入る前の原稿では、ギルダが歌を歌ったり、踊ったりするシーンはなかったと言われている。ところが、ハリー・コーンとヴァン・アップは、リタ・ヘイワースのファンは彼女が歌ったり踊ったりするのを見に来るのだ、という点を考え、歌と踊りのシーンを入れる。さらにハリー・コーンは、リタ・ヘイワースの歌声は不十分だと言って、歌の吹き替えを要求する。アニタ・エリスが吹き替えを担当することになったが、ヘイワースはずっと不満に思っていたようだ。ただし、ギルダがギターを弾きながらアンクル・ピオに歌うシーンは、ヘイワースの声が使われているという。
『ギルダ』の撮影が進行しているあいだに、主要人物たちのあいだの人間関係が大きく変化していく。ひとつはハリー・コーンとチャールズ・ヴィダーの間の関係が悪くなったことである。ヴィダーはハリー・ワーナーの娘と結婚しており、これが引き金となった。ヴィダーはコロンビアに契約の解除を求める訴訟を起こし、コーンはあらゆる手を使ってそれを阻止しようとした。この関係悪化は、ヴィダーの撮影現場での態度に影響したようだ。
更に、リタ・ヘイワースの個人的な問題が起きてしまう。『ギルダ』の撮影中、オーソン・ウェルズの浮気性がきっかけとなって、ヘイワースとウェルズは別離することになったのだ。しかし、現場のスタッフの証言では、ヘイワースは、この事情で一日休んだだけで、次の日にはセットに戻っていたという。もう一つの問題は『ギルダ』の撮影に続けて、オーソン・ウェルズが『上海から来た女(The Lady from Shanghai, 1948)』に入ったことである。ハリー・コーンはウェルズのやり方すべてが気に入らなかった。ウェルズのヴィジョンは凄まじいものかもしれないが、コロンビアきってのスター女優、リタ・ヘイワースを「どう売り出すか」という点において、『上海から来た女』はすべてがちぐはぐだったのだ。それは取りも直さず、コロンビアが(ハリー・コーンが)、リタ・ヘイワースを「どう売り出すか」決めあぐねていた、ということにほかならない。ヴァン・アップの試みは『ギルダ』で終わってしまい、その後が続かなかった。これは『ギルダ』のプロモーションにも影を落とすことになった。
Reception
公開当時の業界誌でのレビューは、好調な興行を予想しつつも内容的には絶賛というわけにはいかなかった。
豪華な造り、優れた職人芸、チャールズ・ヴィダーの風格ある演出といった組み合わせのおかげで、観客には受けが良いだろうが、主要人物たちは共感を呼びにくいタイプのキャラクターばかりで、とってつけたようなハッピーエンドはいささか受け入れがたい。Motion Picture Herald
リタ・ヘイワースが見どころであることは誰もが認めるところだ。
ストーリーの面白みに欠けるところは、リタ・ヘイワースが肩を見せて、これ見よがしのクローズアップで髪を振り上げ、セルロイドを色っぽく行ったり来たりしてくれている。Variety
ヴァン・アップの実力に言及しているレビューは少なく、このMotion Picture Dailyくらいだ。
女性方が何を見たいか知り抜いているヴァージニア・ヴァン・アップが、派手な舞台を映画に持ち込み、彼女が魅せるヘイワースの衣装はフラットブッシュでは羨望の眼差しで、ブルックリンでは不満をもたらすに違いない。Motion Picture Daily
興行成績はVarietyによれば$3,750,000、1946年の20位であった。しかし、リタ・ヘイワースは1946年の興行成績トップ30の映画スターにはリストされていない。
一方で、リタ・ヘイワースは第二次世界大戦中から冷戦に突入するまで、米国外の基地に駐留していた兵士たちには非常に人気があった。皮肉にも、その人気がゆえに、ビキニ環礁で実施された原爆実験の爆弾は「ギルダ」と名付けられ、リタ・ヘイワースの写真が貼られていた。
『ギルダ』はアメリカ国外でフィルム・ノワールが認知されていく過程において極めて重要な役割を果たした作品である。1946年のカンヌ映画祭で上映され、フランス国内では1947年5月に公開された。アメリカの豊かさとデカダンスを象徴する作品としてヨーロッパではとらえられていたに違いない。イタリアン・ネオリアリスモの代表作、ヴィットリオ・デ・シーカ監督の『自転車泥棒(Ladri di Biciclette, 1948)』では、主人公の父親が街角に貼るポスターとして『ギルダ』が登場する。ジョルジュ・サドゥールはアメリカの堕落した資本主義の見本として『ギルダ』を攻撃し、フランス映画へ悪影響(具体的にはクロード・オータン=ララの『青い麦(le Ble en herbe, 1954)』)を与えていると非難した。1955年のボード/ショーモンのフィルム・ノワール評論で、はじめて重要な位置を占める作品として挙げられた。
1970年代にフィルム・ノワールの分析的批評が登場するようになったが、その際、『ギルダ』は最も焦点が当てられた作品のひとつであった。特にフェミニズム批評の論点から、格好の題材として取り上げられた。アン・キャプランが編集した「フィルム・ノワールの女たち(Women in Film Noir)」でも、『ギルダ』批評は中心的な位置を占めている。
だが、そのような分析的な批評をよそに、現在映画ファン一般に流通している『ギルダ』、ひいてはリタ・ヘイワースのイメージを決定的に固定してしまったのは、『ショーシャンクの空に(The Shawshank Redemption, 1994)』であろう。この映画で、『ギルダ』が上映されるシーンへの男たちの反応が、受容のあり方を既成事実にしてしまい、リタ・ヘイワースのポスターが脱獄経路の隠蔽に使用されていたことが、『ギルダ』について言及されるたびについてまとわりつくことになる。すなわち『ショーシャンクの空に』のおかげで(ヘテロセクシャルな)セックス・シンボルとしてのギルダ/リタ・ヘイワースが固定化されてしまった。『ギルダ』をまともに論じるようとすると、その固定を一旦緩める必要が生じてしまったのである。
Analysis
ホモセクシャリティとヘテロセクシャリティの拮抗
リタ・ヘイワース演じるギルダは、フィルム・ノワールに登場するファム・ファタールの典型的なイメージとして理解されていることが多い。黒いドレスに長いブロンドの髪を自在に振って、甘い声で歌を歌う。開放的で蠱惑的な仕草やポーズにつられた男たちが、周囲に寄ってきても、警戒などすることない。ジョニーはギルダの前では精神的なバランスを失い、その様子を見てギルダは楽しんでいる。しかし、そう思ってこの作品を見ると、妙なズレがあることが見えてくる。
本当にギルダはファム・ファタールなのであろうか。そのことを考えるうえで、この作品の底流を形作っている、ホモセクシャリティとヘテロセクシャリティの三角関係に目を向けてみることは重要だ。
1970年代にグレン・フォードはインタビューで「ジョージ・マクレディと私は、役の上で(ジョニーとベイリンが)ホモセクシャルであることを知ったうえで演技していた」と述べている。一方で、チャールズ・ヴィダーは、そのことについて質問されると「(あの役が)そういう関係だっだのは知らなかったな」と笑いながら答えたという。
ジョニーとベイリンの最初の遭遇でも、示唆的な会話が交わされる。
ジョニー:(ベイリンの杖に仕込まれたナイフを指して)それがあなたのいう「友達」なのかい?
ベイリン:そうだよ、友達だ。
ジョニー:ずいぶんと楽しい(gay)人生を送っているんだね。
1940年代に「ゲイ(gay)」という言葉がホモセクシャリティの隠語として使用されていたか否かについては、議論があるところだが(リチャード・ダイヤーはホモセクシャリティの意味で比較的広範に使用されていたと主張している)、「性的に奔放な生活を送っている」という意味では使用されていた。注目すべきは、この会話が煙草のやりとりのなかで交わされていることだろう。1940年代のハリウッド映画では、煙草のやりとりはセックスの隠喩として使用されることが頻繁にあった。最も有名な例は『情熱の航路(Now, Voyager, 1942)』のベティ・デイヴィスとポール・ヘンリードの間での煙草のやり取りだ。「gay」という単語と煙草のやりとりが重ね合わされることによって、相互作用的に働き、ジョニーとベイリンの間の性的関係を示唆するのに十分なサブテキストを形成しているとはいえないだろうか。
その後、ジョニーがベイリンのカシノに現れ、ベイリンの右腕となる過程で、彼らのあいだで交わされる会話(「俺は忠実で従順な友達になれるぜ」「ビジネスに女を持ち込むな」)の与える重層的な意味や、ベイリンとジョニーの視線の交換、声のトーン、身体の接触は、当時のハリウッド映画が描く男性同士の友情とは異質の、もっと性的なものを示唆していることは間違いない。最もそれが明らかな表現として現れるのは、ベイリンが旅行から帰ってきたところであろう。ベイリンに会うことを心待ちにしているジョニー、そのジョニーを階段の上で迎えるベイリンの笑顔、そしてベイリンはジョニーの腕をとって組み、この映画最大のヤマ場 ―――ギルダの登場シーン――― に向かう。
物語全体を通して、ジョニーとベイリンのホモセクシャルな関係は示唆はされているかもしれないが、もちろん明白なかたちで表現されているわけではない。PCAのコードは、同性愛(「性の倒錯(sex perversion)」と分類されていた)のスクリーン上での表現を厳しく禁じている。コロンビアの『ギルダ』製作とPCAのやり取りのなかで、ホモセクシャリティが問題として提起された形跡はなく、このような暗示的な表現の範疇に収まっている限り、PCAはその暗示するものに気づかないか、気づいていても指摘しないという姿勢をとっていたようだ。
この視点から、ジョニーとギルダのヘテロセクシャルな関係を見直すと、「ギルダ = ファム・ファタール」に破滅させられそうになる「ジョニー = 脅かされる男」という図式が、本当に成立しているのか怪しく思えてくる。むしろギルダの行動は、ベイリンと「倒錯した」性関係にあるジョニーの気を引き、「正常な」ヘテロセクシャルな関係を修復し直すための一種の儀式とも考えられる。
ギルダと(『ローラ殺人事件』の)ローラは、個人として認識されているにすぎないのだが(ギルダは、彼女の本当の恋人、ジョニーの偏執狂的な幻想を満たしていたにすぎない[中略])、彼女たちが見せる性的なパワーのイメージは、物語上の「説明」よりも強烈なのだ。ジェニー・プレイス
一方で、ベイリンとジョニーの性的関係が、「倒錯した」「異常な」ものとして否定的に描かれているかというと、それも必ずしもそうではない。例えば、アルフレッド・ヒッチコック監督の『ロープ(Rope, 1948)』に登場するフィリップとブランドンの関係や、ジョセフ・H・ルイス監督の『ビッグ・コンボ(The Big Combo, 1955)』の殺し屋、ミンゴとファンティの関係の描写と比べてみると良いかもしれない。これらの作品の描写では、ホモセクシャリティを一種の「病」としてとらえているのが浮き出てくる。特にいずれも、暴力、しかも無軌道な暴力をホモセクシャリティの前景として描いている。しかし、『ギルダ』におけるベイリンとジョニーの関係は、そういった描写に比べると、むしろニュートラルに描かれている。ベイリンの暴力性は、杖に仕込まれたナイフという秘匿性と用心深さを兼ね備えたものであって、極めて巧妙に制御されている。『ギルダ』で浮かび上がってくるのは、ベイリンを「支配的」ポジションにおき、ジョニーとギルダの「被支配」ポジションにおいた、バイセクシャルな三角関係である。
ここには倒錯した対称性を見いだせるかもしれない。ジョニーは明らかに(ベイリンから)金をもらって働いており、おそらく(ベイリンの)愛人だろう。ギルダは明らかに(ベイリンに)妻として獲得されたが、愛人として使われているかどうかはわからない。リチャード・ダイヤー
ここで、再確認しておきたいのは、ギルダは少なくともフィルム・ノワールで定義されているようなファム・ファタールではない、ということである。
ファム・ファタールで踊りを披露した者は他にいない。 リチャード・ダイヤー
ここで起きているのは映画という大衆エンターテーメントが必然的に起動してしまう、ミゼンセーヌの不整合や作品の外部のコンテクストの流入による誤読である。
ギルダそのものは、数多くの映画内の、あるいは映画外の装置によってファム・ファタールにされたのだ。ジョニーのボイスオーバー・ナレーション、リタ・ヘイワースの衣装や照明、ヘイワースの以前の作品での誘惑者/愛人としての役どころ、そういったものが組み合わさって、ギルダをファム・ファタールにしたのだ。メルヴィン・ストークス
カサブランカの影
『ギルダ』の物語の設定は、『カサブランカ』を強く想起させる。エキゾチックな異国の違法カジノで繰り広げられるアメリカ人の物語であり、過去の女が「世界中にごまんとある飲み屋で」わざわざ自分がいるところに登場して心乱されるという話である。ファシズムの毒気が全体を覆っている点も似ているし、主人公の男が、女の好きな歌を聞かされてブチ切れるところも、フロア全体で国家を歌うところ、洞察力に富んだ刑事が主人公の「知恵」となるところも、『カサブランカ』を彷彿とさせる。当初、ジョニー役にハンフリー・ボガートが打診されたというのも、興行的な効果を最大限に狙ってのことであろう。
『カサブランカ』のリックとイルザ、ヴィクトルの三角関係は、リックとヴィクトルの間に直接的な軋轢が生じず、イルザにとってリックは過去の男になってしまっていることもあり、結果としてはリックの独り相撲の様相を示してしまう。物語は(できあがってしまえば)予定調和的で、時代が求めるモラルへの挑戦は最小限に抑えられている。現在進行形で愛憎入り乱れる『ギルダ』とはずいぶんと違う印象だ。
『ギルダ』の三角関係は、同性/異性愛と支配/被支配の重層的なダイナミズムに支えられている。リチャード・ダイヤーはローラ・マルベイの論を引きながら、「動き」と「性的対象化」の相関関係の解き明かしを試みている。すなわち、女性の身体の「動かないこと」、あるいは「緩慢に動くこと」は、欲望の対象を固定化し制御して、鑑賞者の眼差しを快楽に導くが、「動くこと」は、このような制御を回避するという。例えば、バズビー・バークレーのミュージカルにおける多数の女性を使った緩やかなコリオグラフィーやジーグフェルドのステージにおけるコーラスなどは前者に当たるだろう。一方で、MGMのエリナー・パウエルのミュージカルなどは、圧倒的な身体運動によって、「性的対象化」のための制御とは違う次元で作用するのだ。1970年代のフェミニズム映画批評を代表するマージョリー・ローゼンは、髪を振り上げ、踊るギルダは、男性の視線のために制御されているのではなく、自分の身体の悦びを表現していると宣言している。
この機が熟した率直さは、戦後の観客の要求とマッチした。そして、初めて、ヒロインが言ったのだ。「これはわたしの身体。美しいし、悦びを与えてくれる。私はこの身体で悦びを味わう。あなたと同じように。」マージョリー・ローゼン
しかし、ダイヤーは、ここまで議論を引っ張ることには難があるとして、『ギルダ』そのものは、ヘテロセクシャルなハッピーエンドといった慣習的なナラティブに最終的には回収されてしまっている点を指摘している。
身体の「静/動」と性的対象化の制御の議論は興味深い。特に『カサブランカ』と『ギルダ』は、この議論を軸に比較してみると、『カサブランカ』のイルザの「動かない」ことと、ギルダの「動く」ことの差異が見えてくる。イルザ自身の「悦び」を私達は目撃することがない。彼女の悦びは、リックなり、ヴィクトルなり、男性の存在が確認されて、はじめてその反射のごとく存在するようになる。ギルダの「悦び」は、ジョニーやベイリンの存在とは別の次元で存在する。もちろん、彼女のジョニーへの想いがその「悦び」の存在の触媒になっているが、ジョニーの存在の反映として、あるいはそのような関係性を望む鑑賞者の欲望の投影として、存在するわけではない。彼女は一個人として独立して存在しているのだ。
『ギルダ』の誤読は、この身体の動き ―――具体的には、ギルダが髪を振り上げて登場するシーン、あるいは「Put the Blame on Meme」のナンバーを歌い、踊るシーン――― は、ジョニー/観客を悦ばすためのものだと感じることから起こる。『ギルダ』といえば、あのダンスのシーンのリタ・ヘイワースだけが切り出され、彼女が髪をかきあげる仕草が繰り返し複製される。それは、同性愛/異性愛と支配/被支配の重層的なサブテクストを無視して、切り出された単なる動作にすぎない。『ショーシャンクの空に』でリタ・ヘイワースを見るレットの視線は、まさしくその動作を制御しようとするヘテロセクシャルのものである。
リタ・ヘイワースのポーズは、幾度も繰り返され、その度に映画そのもののサブテクストではなく、ヘテロセクシャルな男たちが思い描くファンタジーとして切断されていく。今度はそのイメージこそが『ギルダ』という映画だという、ずれた再生産が始まる。いささか厄介な受容のかたちであるといえよう。
映画スターの人気を計る
『ギルダ』は、コロンビア・ピクチャーズにとって失敗ではなかったが、期待どおりの興行成績や人気をもたらしたわけでもなかった。特にリタ・ヘイワースの集客力をブーストしたいと考えていたものの、決定打とはならなかった。これはスクリーン・ペルソナとしての「ギルダ」あるいはリタ・ヘイワースの人気として語られるところとは、ずいぶん違うように感じられる。
私がペンドルトン基地にいたとき、海兵隊の兵隊がみんな、ロッカーや壁にリタ・ヘイワースのピンアップを貼っていたのを覚えている。グレン・フォード
ピンアップ写真の人気では、リタ・ヘイワースは、あのベティ・グレーブルと張り合ったくらいだと言われているが、ピンアップ写真の人気と映画の興行成績は必ずしも連動しているわけではない。Variety誌が報じた1946年の興行成績に貢献した映画スターのトップ5は、ビング・クロスビー、イングリッド・バーグマン、フレッド・アステア、ドロシー・ラムーア、グレゴリー・ペックである。リタ・ヘイワースは30位以内にも登場しない。これは出演映画1本あたりの興行成績に換算しているため、出演したどの映画もそれなりの興行成績を残さないと順位が低くなってしまう。コロンビア・ピクチャーズの配給力とも関係してくるが、主要都市部から周辺地域まで、上映館のネットワークをおさえているパラマウントやMGMには所詮かなわないし、そういったメジャー・スタジオ所属の映画スターたちの集客力とも自ずと差が出てしまう。
1940年代には、興行成績だけでなく、別の統計的手法も興行や人気を計るために導入され始めた。そのひとつは、ギャラップによる調査である。これがハリウッドのマーケティング部門によって参照されるようになった。当時のギャラップの「観客研究所(Audience Research Institute)」が採用していたのは、電話や訪問による聞き取り調査で、定量的な指数だけでなく、定性的な指標も集計していた。ギャラップの調査では、ヘイワースの人気は『ギルダ』の公開後、1946年12月には「ハリウッドのトップ10スター」に追いつく勢いだった。しかし、やはりトップ10ではなかったのである。
ただし、グレン・フォードの証言にもあるように、兵士たちの間でリタ・ヘイワースは非常に人気があった。軍の基地での映画上映は「Non-theatrical」の区分に入り、興行成績のほんの一部を占めるに過ぎない(多くの場合、低いレンタル料で配給されている)。軍の基地や刑務所といった、主に男性ばかりの環境における女性スターの人気を計る手段は、少なくともこの時代にはなかった。見方を変えると、コロンビアが生み出したリタ・ヘイワースのイメージは、独身男性ばかりいるような興行環境には向いていたかもしれないが、集客力を計る必要がある一般興行市場には、影響力に乏しかった、とも言える。ジョン・コバルによれば、リタ・ヘイワースは従軍兵士にとって「故郷にいる恋人や妻を怒らせることがない」セックス・シンボルだった。あまりに日常とかけ離れた、謎と不思議に満ちた美女であり、女性たちのあいだでも人気があったという。この観察がどこまで信憑性があるかは疑問符がつくとしても、『ショーシャンクの空に』の後景に見える「人気」の仕組みを考える際には参考になるだろう。
一方で、ジョニーを演じたグレン・フォードも『ギルダ』によって、若い女性の間で人気が急上昇している。一万人近いティーンエージャーの女性が会員の「ボビー・ソクサー・オブ・アメリカ」というファン組織が選んだ1946年のスターは、フランク・シナトラやヴァン・ジョンソンをおさえて、グレン・フォードが一位だった。戦前から映画に出演し、すでに30歳になっていたフォードが、ティーンエージャーのアイドルになったというのも不思議な現象ではあるが、『ギルダ』以前は目立った配役もなく、戦争中は自ら志願して海兵隊に従軍していた彼は、ある意味、新鮮なキャラクターだったに違いない。実際、『ギルダ』に映っているフォードを観察すると、メーキャップから照明まで、実に丁寧にグルーミングされており、このあとフリッツ・ラングの作品で演じることになる「フィルム・ノワールのタフガイ」の風貌が与える印象とは随分異なっている。ルドルフ・マテの撮影は、特にフォードの肌や髪に細心の注意を払い、フォーカスを柔らかくしつつ、魅力を最大限に引き出すことに成功している。特にホモセクシャリティを意識した演出に、ヴァン・アップの意識が反映されたのは間違いないだろう。『ギルダ』ではリタ・ヘイワースばかりに関心が行きがちだが、グレン・フォードのスター性を引き出したという点でも、この撮影は重要な役割を果たしたのだ。
この後、グレン・フォードとリタ・ヘイワースは、コロンビアの看板として何度か組んで出演しているが、『ギルダ』ほどの話題を生むことはなかった。『醜聞殺人事件(Affair in Trinidad, 1952)』では、再びヴァージニア・ヴァン・アップが脚本を担当したが、酒浸りになっていたヴァン・アップの筆は鈍ってしまっていた。興行的には伸びたものの、結局『ギルダ』のような映画史に長く残響する印象を残すものにはならなかった。
Links
TCMのサイトには、『ギルダ』に関する詳細な論評が掲載されている。
クライテリオンのサイトにはシーラ・オマリーが『ギルダ』のインパクトについてレビューを寄せている。
Data
コロンビア・ピクチャーズ配給 3/14/1946公開
B&W 1.37:1
110 min
製作 | ヴァージニア・ヴァン・アップ Virginia Van Upp | 出演 | リタ・ヘイワース Rita Hayworth |
監督 | チャールズ・ヴィダー Charles Vidor | グレン・フォード Glenn Ford |
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脚本 | ジョー・アイジンガー Jo Eisinger | ジョージ・マクレディ George Macready |
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脚本 | マリオン・パーソネット Marion Parsonnet | ジョセフ・カレイア Joseph Calleia |
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原作 | E・A・エリントン E.A. Ellington | スティーブン・ジェレイ Steven Geray |
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撮影 | ルドルフ・マテ Rudolph Maté | ||
編集 | チャールズ・ネルソン Charles Nelson | ||
音楽 | ヒューゴ・フリードホファー Hugo Friedhofer | ||
美術 | ステフェン・グーソン Stephen Goosson | ||
美術 | ヴァン・ネスト・ポルグレーズ Van Nest Polglase |