FILM

The Woman on Pier 13 (1949)

十三號棧橋
The Woman on Pier 13
a.k.a. I Married a Communist

RKOピクチャーズ
1949年

Synopsis

ブラッド・コリンズはサンフランシスコの海運会社の重役で、つい最近ロウリーという女性と結婚したばかりだ。ある日、ヴァニングという男がブラッドのオフィスを訪れる。ヴァニングは地域の共産党のボス、そしてブラッドは過去に共産党員だった。ヴァニングは、共産党の命令に従わないと、過去の殺人事件への関与をバラすとブラッドを脅迫した。ブラッドは、共産党員であったことを妻にも隠しながら、共産党の指示通り労働組合の運動をサボタージュしていく。

 

 

Quotes

Brad Collins: I’m out of the Party, I’ve been out of the Party for years.
Vanning: The Party decides who’s out and when.

ブラッド:もう俺は党を脱退している。もう何年も前に脱退しているんだ。
ヴァニング:誰が、いつ、党を脱退するかは党が決める。

 

 

Production

1948年5月、実業家のハワード・ヒューズがRKOピクチャーズを買収する。ヒューズの映画会社経営は、好意的な表現を使えば「気儘」と言えようが、実際には全く機能不全に陥ることがしばしばであった。気に入らないスタッフの解雇、プロジェクトの放棄などが頻発する一方で、自分が気に入ったプロジェクトへは異常な執着を見せる、というヒューズの戦略性を欠く行動が、RKOというブランドを大きく傷つけてしまった。『十字砲火(Crossfire, 1947)』などの優れた作品を製作したドア・シャーリーは、社会主義的な思想を嫌悪するヒューズとすぐに衝突し、1ヶ月足らずでRKOを離れてしまう。

もともと『十三號棧橋』は、イーグル・ライオンのプロデューサー、オーブリー・シェンクがイーグル・ライオンのために企画したものである。当初の題名は『私は共産党員と結婚した(I Married a Communist)』。ジョージ・スラヴァンとジョージ・W・ジョージが脚本を書き上げたのだが、これが社内で製作承認が通らず、シェンクが脚本を$25,000+興行利益の25%という破格の高価格でハワード・ヒューズに売り飛ばしたのである。

最初の案では、オープニングを「赤いスパイの女王」エリザベス・ベントレーが担当し、随所にHUACの公聴会のフィルムが挿入される予定だった。RKO ではまずアート・コーンとエドワード・グラントに脚本が任されたが、その後ハーマン・マンキウィッツ(『市民ケーン』)が引き継いだ。

『私は共産党員と結婚した』に関しては「共産主義を徹底的に毛嫌いするハワード・ヒューズがこの作品をRKO契約下の監督や脚本家の踏み絵に使った」と言われてきた。つまり、共産主義思想が疑われる監督や脚本家を呼び、この作品を担当しろと命じるのである。そのときに拒否したり、時間稼ぎをするような人間は「共産主義者」「シンパ」とみなし、即刻クビにしたというのである。ジョセフ・ロージーは「この企画を断ろうものなら、共産主義者のレッテルを貼られた」と言い、脚本家のダニエル・メインウェアリングは『私は共産党員と結婚した』の脚本の書き直しを渋ったところ、「それでRKOでのキャリアは終わってしまった」と述懐している。13人にものぼる監督、脚本家がこの踏み絵に参加させられたという。

しかし、この点については疑問点も残る。ジョン・クロムウェルはこの作品の担当から上手く逃れたが、その後もRKOで『脅迫者(The Racket, 1951)』を監督している。最も顕著な例は、ニコラス・レイであろう。彼が左翼思想に染まっていることは業界の常識だったし、彼が過去に共産党員であったことを知る者もいたはずだ。彼は『私は共産党員と結婚した』の監督を断ったが、ハワード・ヒューズと親密な仲となり、ヒューズは彼をクビにするどころか契約を延長、レイのブラックリスト入りを実質的に阻止したと言われている。HUAC に積極的に抗議していたロバート・ライアンが主演男優に起用されているのも不思議な点だ。もっとも当時のRKOで客を呼べる男性俳優はロバート・ライアンとロバート・ミッチャムしか残っておらず、『私は共産党員と結婚した』の配役の際には、ミッチャムはマリファナの違法所持で服役中だったというのが実情のようである。結局『私は共産党員と結婚した』をめぐる「踏み絵」の伝説も、実際のところはヒューズが個人的に毛嫌いする監督や脚本家を追い出すための口実だったのではないかとさえ思える。

最終的に監督の役を託されたのは、デヴィッド・O・セルズニックの配下のロバート・スティーブンソンだった。イギリス出身のスティーブンソンは『ソロモン王の秘宝(King Solomon’s Mines, 1937)』などのヒット作品をイギリスで監督した後、1940年にハリウッドに渡ってきた。彼の作品のなかでは1960~70年代にディズニー・スタジオで監督した実写映画『うっかり博士の大発明 フラバァ(The Absent-Minded Professor, 1961)』『メアリー・ポピンズ(Mary Poppins, 1964)』などが有名である。

脚本としてクレジットされているのは、チャールズ・グレイソンとロバート・ハーディ・アンドリュースである。アンドリュースに至っては、共産党のボスの名前を「ニクソン」にしてスタジオ全体を凍りつかせてしまった。後にアメリカ大統領となるリチャード・ニクソンは、当時カリフォルニア州選出の下院議員、HUAC 委員会のメンバーとして活躍していた。議会の報告書ではアンドリュースは共産党員として報告されており、これは意図的なものだったのかもしれない。

この作品がフィルム・ノワールとして機能しているとすれば、その最大の理由はニコラス・ムスラカの撮影であろう。特に港湾地帯の夜の風景を背景にとらえながら、逃げ道のない、絶望的な状況を見事に表現している。

1949年の10月、ロサンジェルス、サンフランシスコで『私は共産党員と結婚した』のプレビュー上映が行われたが散々な結果に終わった。ハワード・ヒューズはとりあえず映画の公開を延期し、対策を練るように社内に指示を出した。題名の変更案が出たのは、この時である。

そんなの馬鹿げてる。実際、私は(『私は共産党員と結婚した』)というタイトルがこの映画の最も大事な財産の一つだと思っているのだが。 ハワード・ヒューズ

結局、”I Married a Communist”は、”The Woman on Pier 13″という意味不明の題名にすげ替えられた。

当時、RKO はもう一つ厄介なプロジェクトを抱えていた。ロベルト・ロッセリーニ監督、イングリット・バーグマン主演の『ストロンボリ(Stromboli, 1950)』の製作費をRKOが出資していたのだが、撮影のさなかにバーグマンがロッセリーニの子を妊娠したのである。バーグマンもロッセリーニもそれぞれ既婚であり、不倫によって出来た子をどうするかでゴシップ誌は大騒ぎになる一方、国内のカトリック教会や保守系の団体は「淫らな人物たちの」映画の上映中止を呼びかけていた。ハワード・ヒューズは、このスキャンダルをむしろ利用してセンセーショナルに宣伝する。結果は失敗に終わっている。

こういったところが、ハワード・ヒューズの「反共思想」と、例えばウォルト・ディズニーのそれと大きく異なる点であろう。ディズニーは彼のスタジオの作品においても、家族を中心とした保守的な社会像を理想としていた。その一側面として、また一経営者として、共産主義に対する恐怖と侮蔑を感じ、反共のスタンスであることを明言していた。一方で、ヒューズは選挙に投票にさえ行かないような人物であり、(仮に保守的な思想の持ち主だとしても)スキャンダルやセンセーショナリズムのほうに強い関心を示した。『ストロンボリ』はせいぜい不倫の私生児が売りの作品くらいにしか考えておらず、『私は共産党員と結婚した』が反共のスタンス表明にふさわしいタイトルだと思ったに過ぎないのであろう。

RKOはこの後も共産党員を悪者として描く作品を出しているが、どれもこのヒューズの態度を反映した、生煮えのような作品にとどまっている。

 

 

Reception

『十三號棧橋』は興行がまったく振るわず、$650,000の損失を出したと言われている。

共産党員が、この映画に出てくる同士達のように不注意で馬鹿だとしたら、この国は心配する必要はない。Modern Screen

ルイ・ブデンツやウィテカー・チェンバーズが党を脱退できるのなら、この映画の主人公も撃ち合いをして最後殺されるようなことをせずに脱退できるんじゃないか、と誰でも思うだろう。New York Times

当初、単なる反共プロパガンダ映画としてフィルム・ノワールのコンテクストでは語られることがあまりなかった。しかし、マイケル・ウォーカーらが1990年代にフィルム・ノワールの地図を再構築し始めたときに、『十三號棧橋』の持つ様々な特徴が分析されていく。なかでも『過去を逃れて(Out of the Past, 1947)』との共通項の指摘は興味深い。更に興味深い分析は、フランク・クルトニックのハリウッド左翼のノワール世界内でのイメージについてのものである。クルトニックはメキシコの画家、ディエゴ・リベラの「花を運ぶ人(1935)」がノワール作品に繰り返し登場することを指摘し、ハリウッド左翼の政治的なスタンスとリベラの作品の共通項がミゼンセーヌとして機能させられていたと述べている。そして『十三號棧橋』がその最も顕著な例として挙げられている。他の4作品は『Bury Me Dead(1947)』『Where There’s Life(1947)』『不審者(The Prowler, 1950)』『孤独な場所で(In a Lonely Place, 1950)』である。

 

 

Analysis

反共プロパガンダの仮面

ハリウッドが共産主義に対して脅威を感じ、反共のメッセージを強く打ち出した作品を数多く公開したのは1940年代後半から50年代の赤狩りの時代が最初ではない。ロシア革命の後、ソビエト連邦が樹立された1919年以降10年間ほど共産党、社会主義運動、労働争議を悪とする映画が比較的多く製作されている。トーマス・ディクソンが原作の『Bolshevism On Trial (1919)』、トーマス・インス監督の『Dangerous Hours (1920)』、ノルマ・タルマッジ主演の『The New Moon(1919)』など、中には当時としては意欲作として宣伝されたものもある。多くの作品は、共産主義に共感を覚えた主人公がその堕落したモラルに気づき唖然とする、あるいは、労働組合に潜入した共産主義者達がストライキを暴力的で無統制なものにしてしまう、といった具合にメロドラマティックに脚色されたストーリーが多い。中にはただ単に共産主義者は凶悪犯罪者だというものもある。

1940年代後半、冷戦に向かって世界が突き進み、アメリカの保守派は民衆に対して共産主義への反感を扇動する。そのなか、ハリウッドで反共映画(Red Scare Movies、あるいは Red Menace Movies と呼ばれている)が再び製作されるようになる。この『十三號棧橋』の前年にリパブリック・ピクチャーズは『Red Menace(1949)』を公開している。RKOピクチャーズは、『十三號棧橋』『FBI暗黒街に潜入せよ(I am a Communist for the FBI, 1951)』『私は見た!(The Whip Hand, 1951)』と立て続けに反共映画を手掛けた。これらは時々「反共プロパガンダ映画」と呼ばれることがあるが、果たしてプロパガンダと呼べるかどうかは疑わしい。あくまで商業映画の枠組みのなかで製作・配給されており、政府や特定の団体の政治活動に寄与するために意図的に製作されたものではないからだ。特にRKOの作品は、ハワード・ヒューズの個人的な思想(思想があればの話だが)とセンセーショナリズムの産物である。多くの批評が指摘するように、共産主義についての何らかの理解や知識の上に作られたものではなく、「共産主義者とは善人の生活を破壊するソ連の手先」というステレオタイプを利用した娯楽映画と考えるのが妥当であろう。

しかし、ステレオタイプに基づく偏見や恐怖心を煽る種類の「政治性」を利用する娯楽作品は他にも数多くあり、それらの中には優れた興行成績を残したものも数多くある。『駅馬車』『ガンガ・ディン』、挙げればキリがない。ナチスを映像の上でステレオタイプ化することは、今でも非常に効果的である。にも関わらず、なぜこれらの反共映画が人気がなかったのか。人気・不人気の理由を考えるのは不毛であるが、少なくともRKOの反共映画『十三號棧橋』『FBI暗黒街に潜入せよ』がフィルム・ノワールとして一定の評価を得ていることを踏まえて考え直してみるのは意義があると思う。

『十三號棧橋』に登場する共産党員達は、多くの批評が指摘するように、単なるギャングでしかない。この映画から「共産党」という単語を抜いて、ギャングが港湾労働者のストライキを混乱させようとしている、という筋立てにしても何ら齟齬無くストーリーが成立してしまう。ハイライトとなるシーン、例えば裏切り者への制裁や、ラストの倉庫内での銃撃戦などは、ギャング映画として見れば非常にエキサイティングなものに仕上がっている。FBIへ情報を売ったと疑われたラルストンが手足を縛られて海に放り込まれるシーンは、これがデビューとなるウィリアム・タルマンの冷酷極まる演技に圧倒されてしまう。

暴力と犯罪の世界に属していた人間が足を洗って(記憶を失って、過去を隠して)人生を出直そうとしているさなかに、その過去が再び現れて暴力と犯罪の世界に引き戻されていく、という設定は、『記憶の代償(Somewhere in the Night, 1946)』『過去から逃れて(Out of the Past, 1948)』『土曜日正午に襲え(Crime Wave, 1954)』など、フィルム・ノワールの作品では繰り返し現れるものだ。また、過去の女がその没落への触媒となって、主人公は気がつくともはや後戻りできないところまで悪夢に浸かってしまっている、というのも非常に典型的な構造である。そういった、ギャング、犯罪組織の作品で定番の設定を共産党にスライドさせたのが『十三號棧橋』なのだが、それにいささか無理を感じるのはなぜだろうか。

問題は、ロバート・ライアン演じる主人公、ブラッド・コリンズが、「没落」の過程においては「何もしない」ように命じられることにあるのだと思う。彼は「労使交渉が決裂するように消極的な姿勢でいろ」と言われるだけなのだ。我々は、事態が悪化していくなか、ロバート・ライアンがニヤついたような不可解な表情を浮かべているのをじっと見ているだけなのである。あたかもその無為無策な状況を補うために、ブラッドの義理の弟が共産党の餌食になっていくプロットが挿入されるが、それも不完全燃焼のまま片付けられてしまう。つまりギャング映画として見たときに、主人公のフラストレーションが蓄積していく過程、逃げられない罠に徐々に締め付けられていく過程の描写が適切に処理されていないのだ。これは、残念ながらロバート・ライアンを配役したことに起因しているのかもしれない。彼がサイコパスとして演技する際には、彼の表情の「読みにくさ」は見事に機能するのだが、こういった運命の陥穽に落ちていく役の場合にはむしろマイナスかもしれない。

だが、『十三號棧橋』は視覚的には非常に贅沢な作品である。撮影監督はニコラス・ムスラカ。鉄骨や鋼板に囲まれた港湾とその周辺の背景が、ブラッドが働くオフィスと対照的に立ち現れる。ブラッドという男が出世しても結局引き戻されてしまう世界、クレーンやホイストが立ちはだかる世界が、陰鬱に映し出されている。当時のサンフランシスコ港には、13号という番号のついた桟橋は存在しなかったそうだが、むしろそういった悪夢と絶望に満ちた想像上の場所として上手く機能している。

反米活動に従事し平和な社会の転覆を密かに準備している者たちの集まりとして共産党を描くことが、スクリーン上のフィクションの「悪者」として機能しないことは、『FBI暗黒街に潜入せよ』でも同様だ。FBIの捜査官が共産党に潜入し、その活動を最後告発する、という筋書きは、実在のFBI情報提供者、マット・チェトヴィックの報告に基づくものなのだが、どこか作りものの感が拭えない(実際のチェトヴィックは矛盾した証言を幾度も繰り返し、1955年頃には「信憑性が低い」として証言者の価値がなくなっていた)。だがらこそ、この作品で遭遇する最も衝撃的な映像は、途中で挿入されるニュース映画のクリップなのだ。これは1950年の「労働者の日(Labor Day)」にニューヨーク市内で行われた共産党のデモの様子を撮影したものだが、途中で見物人から卵が投げ込まれたことから小競り合いが始まり、警察が介入する様子が映し出されている。なかでも、警官が暴れる男たちを取り押さえようとする瞬間が手持ちのカメラで撮影されているシーンは、ここに挙げている Pathe のニュース映画クリップに含まれていない映像も含め、見事に編集されており、とても1950年の映像とは思えない。まるでヌーベル・ヴァーグを経験した1960年代か70年代の映像のようなスピード感と親近感がある。その映像に続いて、デモの小競り合いを再現した作りもののフィクションに繋げられるのだが、その落差に「作りもの」の問題が如実に現れている。作りものは、民衆の分断、共産党への批判が言葉(理性)によって説明されるのだが、ニュース映画に現れているのは、もっとプリミティブな嫌悪や侮蔑が人々を行動に走らせている様子である。『FBI暗黒街に潜入せよ』というどこか歪んだフィクションの隙間から流れ出し、フィクションが取り繕うとしていることを見事に裏切っている。

 

『十三號棧橋』では前面に出てきていないが、『FBI暗黒街に潜入せよ』で取り上げられているのは人種の問題だ。映画のなかで共産党はユダヤ系、アフリカ系アメリカ人を差別しつつも、表面では利用して自分たちのボイコットやサボタージュの手先としている。事実、映画のなかでの共産党員は「nigger」という言葉を発するのだ。

実際には、当時の共産党は公民権議会という団体を通じて、有色人種、特にアフリカ系アメリカ人に対する差別的制度の撤廃運動を行なっていた。一方で当時の保守層の者たちのなかには差別的な構造に疑問を思っていない者も多く、公民権運動と保守派の衝突は反共のコンテクストのなかで発生することもあった。その衝突の例としてポール・ロブソンのコンサートで起きたピークスキル暴動(1949)が挙げられる。

共産党が1950年代を通じて党員を失い、最終的にはFBI情報提供者の巣窟になってしまったのには、複数の理由があるが、40年代後半から始まった赤狩りが功を奏したことは事実である。同時にニキータ・フルシチョフのスターリン批判によって、大きな打撃を受けた。だが、これらの反共映画がそこに果たした役割は興行成績や当時の評判からも非常に小さいだろう。

FBI暗黒街に潜入せよ(I Was a Communist for FBI, 1951)

 

実際の政治は決して白黒では語ることはできない。1956年の大統領選で30%以上のアフリカ系アメリカ人がアイゼンハワーに投票しており、共和党からの選出大統領のなかでも非常に高い。公民権運動といえば、J・F・ケネディ大統領を思い浮かべる人も多いかもしれないが、赤狩りのときに走り回っていたリチャード・ニクソンが大統領時代に、教育制度における人種差別撤廃やアファーマティブ・アクションを発動しているのである。これらの政策、特に教育制度における政策は意外にも後世への影響が大きいのが特徴だ。

前述のピークスキル暴動でポール・ロブソンと共演したウッディ・ガスリーは翌年ニューヨークのアパートを借りる。管理人が白人至上主義者で、有色人種を国営・私営関わらず蹴り出していた人物であることを契約したあとになって知る。公然と人種差別が行われ、白人だけのアパートになってしまっていることを知ったガスリーは激怒し「住む家がない(I Ain’t Got No Home)」の詞を書き換えたものを残している。ガスリーが「違う、違う、老いぼれのトランプ」と呼びかけるのは白人至上主義者、不動産屋フレッド・トランプ。その息子のドナルドは「私はすべてを父から学んだ」という。彼は大統領選挙中に「アフリカ系アメリカ人のみんなの面倒をみてやる」と言ったのだが、いまだにその意味が分かる人はいないようだ。

 

 

Links

ワシントン大学のサイトは、この『十三號棧橋』の元となったと言われる1948年の港湾労働者らのストライキについて詳しく説明している。

Film Noir of the Week では「ノワールの必須作品ではないが、RKOのノワールとしてはかなり良い」と高評価を与えている。

TCM のサイトでは、「過去に破滅される男」のモチーフを取り上げ「真のノワール作品」として評価している。

 

 

Data

RKO・ピクチャーズ配給 1949/10/7 プレビュー公開
B&W 1.37:1
73分

製作ジャック・J・グロス
Jack J. Gross
出演ロレイン・デイ
Laraine Day
監督ロバート・スティーブンソン
Robert Stevenson
ロバート・ライアン
Robert Ryan
原作ジョージ・W・ジョージ
George W. George
ジョン・アガー
John Agar
原作ジョージ・F・スラヴァン
George F. Slavin
トーマス・ゴメス
Thomas Gomez
脚本ロバート・ハーディ・アンドリュース
Robert Hardy Andrews
サム・レヴィーン
Sam Levene
脚本チャールズ・グレイソン
Charles Grayson
ジャニス・カーター
Janis Carter
撮影ニコラス・ムスラカ
Nicholus Musuraka
リチャード・ローバー
Richard Rober
音楽リー・ハーライン
Leigh Harline
ウィリアム・タルマン
William Talman

 

 

References

[1] F. Knutnik, “‘ A Living Part of the Class Struggle’: Diego Rivera’s The Flower Carrier and the Hollywood Left,” in “Un-American” Hollywood: Politics and Film in the Blacklist Era, P. Stanfield, F. Krutnik, B. Neve, and S. Neale, Eds. Rutgers University Press, 2007.
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[11] J. R. Jones, The Lives of Robert Ryan. Wesleyan University Press, 2015.
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