記憶の代償

20世紀フォックス配給
1946

過去は現在に存在している。
ジョセフ・L・マンキーウィッツ

Synopsis

戦闘中の負傷で、記憶を失ってしまった男(ジョン・ホディアック)。名前はジョージ・テイラーらしいのだが、その名前にも覚えがない。除隊後、以前住んでいたらしいロサンゼルスを訪れた彼は、「ラリー・クラヴェット」という男が自分の秘密を握っているらしいと知る。だが、そのクラヴェットという男について嗅ぎ回っているうちに、怪しい人物たちが次々と現れ、テイラーを脅かすようになる。

Quotes

クリスティ:口の中はどんな感じ?
テイラー:まるで生のハンバーガーを頬張ってるみたいだ。
クリスティ:見た目もそんな感じよ。

Production

20世紀フォックスは、マーヴィン・ボロウスキー(1907- 1969)の未発表の小説「ロンリー・ジャーニー」とその脚色の映画化権を$11,000で手に入れた。1944年の12月のことである。ボロウスキーは脚本のプロフェッショナルとしてハリウッドのスタジオでは重宝された人材だ。1930年代にブロードウェイの劇場で、照明コンサルタント、シアター・ギルドの台本読み、エルマー・ライスやシアター・ギルドの舞台マネージャーなど様々な職についていたが、いつまで経っても脚本家としてのキャリアが軌道に乗らないので嫌気が差してしまう。ハリウッドに移って、映画の脚本家、特にスクリプト・ドクターとしてMGMを皮切りにメジャー・スタジオを渡り歩いた。多くの脚本家が行き詰まると、ボロウスキーのオフィスに相談しに行ったという。しかし、彼自身の名前がクレジットされている作品は少なく、『記憶の代償』を含めて数作品しかない。

プロデューサーのアンダーソン・ロウラーは、かつて俳優としてブロードウェイで舞台に立っていたが、親友のジョージ・キューカーとロサンジェルスに移ってきた。ロウラーは、映画会社の重役たちが多忙なときに、その妻が退屈しないように相手をする役目を負っていたと言われる。ザナック夫人の夜遊びのお供をした褒美として、この『記憶の代償』のプロデューサーに就任した。

面白いことに、プロデューサーとしてロウラーはなかなか良かったんだ ジョセフ・マンキーウィッツ

「ロンリー・ジャーニー」のストーリーをいかに脚本にするか、20世紀フォックスでは幾度か会議が開かれている。1945年の7月にはジョージ・キューカーの自宅でロウラー、マンキーウィッツ、リー・ストラスバーグらが集まって脚本会議を開いた。この会議には、『月と六ペンス』や『人間の絆』で有名な小説家、サマセット・モームも参加している。モームは第二次世界大戦中、ナチス政権下のフランス・リヴィエラを逃れてハリウッドで過ごしていた。1944年には、この地で書き上げた「剃刀の刃(Razor’s Edge)」を出版している。20世紀フォックスは、この「剃刀の刃」をキューカー監督、モーム自身が脚本の担当で映画化を進めようとしていた。しかし、映画化の話は戦後まで引き伸ばされ、結局、監督エドモンド・グールディング、脚本ラマー・トロッティで映画化されることになった。このとき、ザナックはモームに支払いをする代わりに、マティスの絵画を送ったと言われている。『記憶の代償』の脚本で、どこまでモームが寄与したかは定かではない。

ジョセフ・マンキーウィッツ(1909 – 1993)は、後年『三人の妻への手紙(A Letter to Three Wives, 1950)』『イヴの総て(All About Eve, 1951)』で二年連続でアカデミー監督賞を受賞するなど、華々しい経歴を歩む監督だが、この『記憶の代償』は監督に転向して間もない頃の作品だ。1920年代からパラマウントやMGMで、脚本家、プロデューサーをつとめてきたが、監督としてのデビューは比較的遅く、37歳のときだった。その監督第一作の『呪われた城(Dragonwyck, 1946)』は、当初エルンスト・ルビッチが監督をする予定だったのだが、ルビッチが「スーパーバイザー」となって、マンキーウィッツが監督術を「学ぶ」という話が持ち上がった。マンキーウィッツはこんな機会に恵まれることはないだろうと、脚本が気に入らないにも関わらず、監督を引き受ける。ところが、いざ製作に入ると、ルビッチの執拗な干渉に耐えきれなくなり、二人の関係はマンキーウィッツがルビッチのセットへの立入禁止を要請するまでに悪化した。この経験に懲りたマンキーウィッツは、創作のプロセスに干渉しない、放任主義のプロデューサーを探すようになる。「ロンリー・ジャーニー」の映画化で人を探していたロウラーに応えて、このスリラーの脚本執筆と監督を担当する。1945年の初夏には、マンキーウィッツ監督、ジョン・ホディアック主演で映画化が発表された。

この題材は自分から進んでやる気になったものではなかったし、題材から考えても、私が適任だなんてならなかっただろう ジョセフ・マンキーウィッツ

マンキーウィッツは、まだ監督の技術を学んでいる最中だったといってよいだろう。この作品でクリスティを演じたナンシー・ギルドによれば、この新人監督は編集のジェームス・クラークを毎日セットに呼んで、「脳みそを借りて」いたという。「ジョーは自分が編集について何も知らない、ということがわかっていた」とギルドは語っている。そのナンシー・ギルド自身も映画初出演だった。ギルドはアリゾナ大学在学中に「ライフ」誌のカメラマンに「発見」され、キャンパス・ファッションの特集記事に写真が掲載された。この写真をみたフランク・ボザージ監督がリパブリックで計画中の映画「コンチェルト」(製作されず)の主役にピッタリだと興奮してハリウッドに呼び寄せた。しかし、20世紀フォックスが僅差でギルドとの契約を獲得した。マンキーウィッツは、彼女の素人くさい演技を隠蔽する方法を練る必要があった。ほぼ毎日ギルドと昼食をともにして彼女の身の上話を聞き出し、難しいシーンの撮影の時の切り札を用意していた。

一方で、主演のジョン・ホディアクは、ギルドと息が合わず、マンキーウィッツの演技指導でも「ボガートとバコール」のような化学反応は生まれなかった。ホディアクはウクライナ系移民の両親のもと、ミシガン州で育った。子供の頃から舞台に興味を示し、教区での劇に出演していたという。高校卒業後にデトロイトのラジオ局に職を求めるが、このときは「発音が悪い」と落とされてしまう。その後、たまたま就職した自動車会社でついた職が、数字を大きな声で読み上げるという仕事だったため、自然と発音が良くなった.。数年後に再度ラジオ局に求職に行くと、端役ではあるがラジオドラマの役を得る。ラジオドラマを中心に活躍していたところを、ハリウッドにスカウトされる。契約したMGMが名前を変えるようにと命令すると、これを拒否。「ホディアク」はウクライナの姓であり、彼は自らの出自に誇りをもっていたからである。この反抗がきっかけなのか、それとも彼の風貌がMGMの豪奢な雰囲気に合わないからなのか、ホディアクは、他社への貸し出しやクレジットなしの役などばかりを与えられていた。その風向きが変わったのが、アルフレッド・ヒッチコックの『救命艇(Lifeboat, 1944)』への出演である。前述のMGMとの契約の際に、ホディアクはカナダ・リーと二人でスクリーン・テストを受けていた。カナダ・リーを配役しようと考えていたヒッチコックがスクリーン・テストを確認、一緒に映っていたホディアクが気に入って、ナチス嫌いのコヴァックの役に抜擢した。『記憶の代償』は、ホディアクの人気が最頂点に達していた頃の作品である。

マンキーウィッツは、以前からドイツ出身の監督や俳優のコミュニティにに並々ならぬ関心を抱いていた(妻のローズ・ストラドナーはドイツ出身の女優でハリウッドで活躍していた)。特にナチスが政権を掌握したのち、ヨーロッパから亡命してきたユダヤ人映画関係者との交流は、彼自身の自らのエスニシティに対する関心を高めるきっかけにもなったようだ。『記憶の代償』で、詐欺占い師アンゼルモを演じたフリッツ・コルトナーも、ドイツ・サイレント映画期から活躍していたユダヤ人俳優である。コルトナーはいわゆるドイツ表現主義時代に活躍、例えば、G・W・パブスト監督の『パンドラの箱(Die Büchse der Pandora, 1929)』のシェーン教授などの役で世界的にも有名だった。ここでも、ドイツ・サイレント映画に特徴的な、陰湿で粘着的な表情と、抑制と破裂の双極的な演技で、滑らかな口調のサディストを演じている。

『記憶の代償』フリッツ・コルトナー

脚本はマンキーウィッツが最終稿を仕上げた。

当時、フォックスに在籍していたベテラン俳優たちが手堅い演技を見せている。ロイド・ノーランは法の執行人を演じさせると右に出る者がいないが、ここでも気さくで有能なケンドール刑事を演じている。ギャングの世界にも繋がりのあるナイトクラブのオーナー、フィリップスを演じたのは、リチャード・コンテである。

撮影は『死の接吻(Kiss of Death, 1947)』や『深夜復讐便(Thieves’ Highway, 1949)』など、フォックスのフィルム・ノワールには欠かせないノーバート・ブロディンである。また、PCAのトップ、ジョセフ・I・ブリーンの息子、ジェームズ・ブリーンがテクニカル・アドバイザーとして参加している。

製作費は915,000ドル。当時の20世紀フォックスの白黒作品の製作費と比較すると、かなりの低予算作品であっったことがわかる。

Reception

公開当時の評は大きく割れている。フィルム・デイリー誌は手放しで絶賛している。

『記憶の代償』は、強い決断力と熱意があれば、メロドラマの映画化でも非常に優れたものになりうることを示す好例だと言えよう。高い質のエンターテイメントとして太鼓判を押しても良い。映画の作りがしっかりしていて、こういった映画が好きな客以外の客でも十分に魅力を感じることができる作品だ。Film Daily

興行の業界紙では、110分という、二本立てを組むには微妙な長さが評価の分かれ目になった。

すべての役、どんな端役でも、配役がみごとで、演技もうまい。もともと素晴らしいストーリーで、110分以下にはなりようがない。Showmen’s Trade Review

 

このフィルムは、記憶喪失というテーマについて新しい角度から取り組んだアイディアがいっぱいに詰まっている。2時間近くあるものの、観客はずっと映画の虜になっているだろう。Variety

 

これは記憶を失った海兵隊員が、自分について探り出そうとする話なのだが、そのやり方が、危険を通り越して馬鹿げているし、それにしても110分の上映時間は、この人物のジレンマを解くに必要な時間としては長すぎる。Motion Picture Herald

ニューヨーク・タイムズのボズリー・クローザーは映画が終わったあとも混乱したままだったようだ。

誰が誰で、誰が撃たれたんだ? New York Times

興行は国内での収入が1,500,000ドルと、まずまずだったようである。

フィルム・ノワール作品として評価されるようになってきたのは比較的最近のことである。ジョセフ・マンキーウィッツがフィルム・ノワールの作家として捉えられることがあまりなかったことがその一因でもあろう。また、フィルム・ノワールの特徴と言われるようなファム・ファタールの存在や、常軌を逸した暴力、あるいは魅力的な陰影のある映像なども取り立てて見られないことも手伝っていたに違いない。

『記憶の代償』ナンシー・ギルド

Analysis

アムネジア・ノワール

映画にサスペンス要素を持ち込む手法として、登場人物の記憶喪失(アムネジア)は多用されてきた。人物のアイデンティティーに危機的な状況を作り出すとともに、過去に関する謎を軸にダイナミックな物語を作ることが可能だからだ。フィルム・ノワールでも、記憶喪失はサスペンスを作り出す仕掛けとして頻繁に使用されていた。

フィルム・ノワールにおける記憶喪失というギミックの使用について、二つの論点で分析したい。ひとつは、実際に登場人物が記憶喪失を患っている設定について、もうひとつは、フィルム・ノワールに特徴的に見られる「戦争の記憶の喪失」について、である。『記憶の代償』はこの二つの側面をいずれも含んでいる。

まず、登場人物が実際に記憶喪失になってしまうフィルム・ノワール ── これをアムネジア・ノワールと呼ぶことにする ── をみてみよう。この種類の作品では、記憶を失った主人公が「自分は犯罪者なのか」という問の答えを見つけるために暗黒社会に足を踏み入れていく、という筋書きが多い。不思議なことに、主人公は、自分が記憶を失っていることを周囲にはひた隠しにする。やがて、彼のことを信じてくれる女性が現れ、彼が過去の自分とそれを取り巻く悪に対峙する際の救世主になる、という仕掛けも定番である。この種の作品の嚆矢として、『ストリート・オブ・チャンス(Street of Chance, 1942)』と『十字路(Crossroads, 1942)』を挙げてみたい。いずれも1942年、フィルム・ノワールのサイクルとしては非常に早い時期の作品として位置づけてよいだろう。

『ストリート・オブ・チャンス』はパラマウント映画、ジャック・ハイヴリー監督、バージェス・メレディス、クレア・トレヴァー主演の低予算映画である。主人公のフランクは、妻のヴァージニアと暮らしていたのだが、記憶喪失になってその生活を忘れてしまう。それから一年間、彼はダニーと言う名前で、ディートリッヒ家の使用人として働いていた。ところが、そこで殺人の容疑をかけられてしまう。警察の捜査から身を隠しているときに、ダニーは道端でビルからの落下物で頭を打ち、ダニーとしての一年間を記憶喪失してしまう一方で以前のフランクに戻り、ヴァージニアに会いに行く。実は映画は、この時点から始まる。ここからフランクが「殺人犯ダニー」を追いかける刑事から逃れながら、ダニー時代の愛人として現れたルースと殺人の真相に迫ろうとする物語が展開するのだ。

典型的な「主人公は犯罪を犯したのか」という謎をさらに複雑にしているのが、「記憶喪失を二回経験して、二人の人格ができてしまう」という設定である。この設定を見事に使った作品として、同年公開のメロドラマ『心の旅路(Random Harvest, 1942)』が有名だ。二回の記憶喪失による二つの人生という設定はそれ自体で荒唐無稽である。それを作り物臭くしないためには、マーヴィン・ルロイのような超絶的な技巧が必須になるのだが、残念ながら、『ストリート・オブ・チャンス』には、そのような演出の巧みさはない。

その重大な欠点に目をつむれば、視覚的な見どころは多い。映画全体が暗い闇のなかに沈んでおり、フランクが「ダニー」の世界に深く分け入るほど、闇がより深くなっていく。シェルドン・レオナード演じる刑事がタクシーに乗って逃亡を図るフランクを追いかけてくるシーンは、ディープ・フォーカスと持続した演出によって加速度的な恐怖が生まれてくる。闇に包まれたディートリッヒ邸は、ジェームズ・ホエール監督のホラー映画の名作『魔の家(The Old Dark House, 1932)』を彷彿とさせる。奇怪と妖気の舞台として非常に魅力的であり、撮影監督のセオドア・スパークルは、最小限の光源で闇を造形している。スパークルは無声映画の時代にドイツで活躍した長い経歴の持ち主である。

一方のジャック・コンウェイ監督『十字路』は、MGMのトップ・スター、ウィリアム・パウエルが主演のテンポの良いミステリである。舞台は1935年のフランス。デイヴィッドは十六年前に列車事故で記憶喪失になったものの、その後有能な外交官として順風満帆の人生を送っている。だが、詐欺師たちが彼の記憶喪失を利用して大金を強請ろうとしてくる。デイヴィッドは記憶を失う前はペレティエという犯罪者で強盗殺人を犯したというのだ。

これも、記憶を失う前に犯罪を犯したかどうかという点が物語の鍵となる。この映画が特徴的なのは、記憶喪失が彼のアイデンティティに危機をもたらしてはいないことだ。デイヴィッドは、記憶を失ってから別の人生を歩み始め、そこで成功している。彼は、他のアムネジア・ノワールの主人公のように記憶喪失をひた隠しにすることはしない。十六年前の列車事故以前にどのような人生を送っていたのかも、もはや知りようがないと諦めてさえいる。さらにウィリアム・パウエルの涼し気な演技が、記憶がないという重々しい事実をさらりと流していて、ノワールと呼ぶには物足りないかもしれない。だが、この作品には忘れがたいシーンがある。デイヴィッドが「ペレティエの母親」を訪ねるシーンである。薄暗い部屋で一人暮らしをする貧しい老婆の姿に、デイヴィッドも一瞬信念が揺らぐ。老婆の部屋をあとにして、夜の雨に濡れたパリの舗道を彷徨い、セーヌにかかる橋で川面を見つめるが、何も見えてこない。映画のクライマックスで、この「母親」は、実は詐欺師たちが仕掛けた巧妙な罠だったことが明かされる。それまでのハリウッドが描いてきた「献身的な母親」像に、過去のない男が簡単に騙されてしまう、という若干シニカルな姿勢が見え隠れするようでもある。

このノワール初期の二作品に共通しているのは、主人公の過去への探索を助けてくれる女性の存在がいないことであろう。『ストリート・オブ・チャンス』のクレア・トレヴァーは、助けの手を差し伸べているように見えて実は真犯人だったし、『十字路』のヘディ・ラマーは、ほとんど蚊帳の外に置かれていた。

アンソニー・マン監督の『二時の勇気(Two O’clock Courage, 1945)』は、ノワールというよりも、一九三〇年代のミステリ映画に近いような作品だ。記憶を失って心身喪失している主人公(トム・コンウェイ)をタクシー運転手のパティ(アン・ラザフォード)が積極的に世話を焼いて殺人の容疑を晴らす、という物語である。霧深い夜の港で、コンウェイが頭部から血を流しながら登場する導入部は極めて興味深いが、その後の展開はラザフォードの大仰な世話焼きガールフレンドぶりを楽しむ展開となる。

ここまでの作品では、主人公の記憶喪失は事件や不慮の事故で引き起こされたものばかりである。ところが、第二次大戦の末期から戦争で受けた傷がもとで記憶喪失になる主人公の物語が現れてくる。戦時中に製作・公開されたリチャード・アーレン主演の『知られざる男(Identity Unknown, 1945)』は、戦場で記憶を失った男が帰還して自分が何者か突き止める物語である。この作品が興味深いのは、そのアイデンティティーの探索が、死者を排除していくことで生存した自分を確認するという、生々しいプロセスを踏んでいる点だ。戦場での爆撃で死亡した三人と生き残った一人、この生き残りが記憶喪失になってしまう。だが、死亡した三人も生存した一人も認識票が吹っ飛んでしまっていて、誰が誰だか分からない。そこで、生き残った男は帰国し、四人の実家をひとつひとつ訪問する。自分が帰って、家族が「生きていたのね」と喜んでくれれば、そこで自分が何者か判明するのだ。これは、戦争と記憶喪失が、ひとつの物語で直接つながっている稀有な例である。その後の記憶喪失の兵士たちが登場する映画は、戦争そのものを扱うのではなく、戦争の前の自分や、戦後帰還してからの記憶障害と戦うようになるからである。『記憶の代償』はその良い例だ。

『高い壁(High Wall, 1947)』も、従軍中に脳に損傷を受けた元空軍パイロットが退役後に殺人事件に巻き込まれるストーリーである。ロバート・テイラー演じるケネットは、脳の損傷が原因で記憶に障害がある。しかし、その彼には殺人の嫌疑がかかっている。ここでも、記憶障害の主人公はアン・ローリソン医師(オードリー・トッター)の手助けを借りながら、警察の捜査網をかいくぐって、殺人の真相を突き止める。この作品が興味深いのは、ポール・C・ヴォーゲルのカメラワークだ。主人公が非常に強烈なストレスを受ける場面で、いわゆるPOVショット(カメラが登場人物の視点に置き換わるショット)に切り替わる。ヴォーゲルは前作『湖中の女(Lady in the Lake, 1947)』でロバート・モントゴメリ監督のもと、全編フィリップ・マーロウの視点から全編撮影するという試みをしている。『湖中の女』は、その実験が必ずしも成功したとは言えないが、『高い壁』では、POVショットが効果的にはさみこまれて、新しい映像文法として確立している。

『高い壁』POVショット

『記憶の代償』がほぼ確立した、戦争で傷を負って記憶に障害を持った男が、女性の手を借りて過去の真相を突き止める、というフォーミュラは、ロバート・フローリー監督の『銃弾都市(The Crooked Way, 1947)』で、ほぼ完璧なまでに踏襲される。ジョン・ペインという低予算フィルム・ノワールの雄が主演、ジョン・オルトンが撮影監督だ。オルトンの署名が刻まれた映像が作品全編を埋め尽くしている。

『銃弾都市』ロバート・フローリー監督、ジョン・オルトン撮影

最も興味深いことは、記憶喪失によって実在的な問いが暗示されることであろう。記憶を失った人物は、おのずと自らの失われたアイデンティティーを探さなければならなくなる。それに伴って、失われた過去において自分がどんな過失を犯したかを見極めなければならなくなる。その過失が、今現在の自分が起こしたものでもなければ、それをどうすることもできないにも関わず。トーマス・C・レンツィ

これらの映画に共通しているもう一つのポイントは、すべてフラッシュバックを用いていないことである。

フラッシュバックの基本的な目的は、物語内の出来事を時系列の順番ではなく見せることだ。この出来事を通して、なぜ、どうやって何が起きたかを知ることができる。デイヴィッド・ボードウェル

マンキーウィッツは『三人の妻への手紙』で、フラッシュバックを巧みに使い分けながら、中流家庭の女性たちが直面し始めた結婚と自分自身の距離の問題を多彩に描き出した。しかし、『記憶の代償』では、過去の事件がプロットの中心にすえられているにも関わらず、フラッシュバックを用いていない。この作品の最も重要な謎、三年前の港の波止場での殺人事件と消えた二百万ドルについても、一切フラッシュバックを用いて解決しない。「なぜ、どうやって起きたか」を視覚的に見せるのではなく、その結果としての現在を見せることを優先している。ボードウェルは「フラッシュバックは必ずしも登場人物の記憶を表しているわけではない」と述べているが、記憶喪失の人物が主人公の作品において、フラッシュバックを用いることは、記憶喪失が解かれて「思い出した」と観客に思わせかねない。

別のフラッシュバックの手法として、他の人物の回想として挿入することも可能である。例えば、殺人の真犯人だったフィリップスに起きた事件の真相を語らせることも可能だったはずだ。だが、この手法は過去の主人公を外部から見せることになり、すでにもろくなっている主人公のアイデンティティーを打ち壊しかねない。観客は「現在の」ジョージ・テイラーに感情移入し、信じている。戦争に行く前に二百万ドルを横取りしようとうろついていた「過去の」クラヴェットには違和感を感じてしまうだろう。これは、例えば『銃撃都市』でも同じだ。主人公のエディの現在には多くの観客が同情を寄せるだろうが、昔の彼には一切同情しないであろう。

この時代の記憶喪失を扱った映画が、現在のあり方を見せて過去の問題にケリをつけようとしている、という点は、戦争の記憶との関係を考えることでより鮮明に浮き彫りになってくる。

戦争の記憶喪失

アメリカでは帰還兵の社会復帰がしばしば問題になる。それでも、ベトナム戦争やイラク戦争に比べて、第二次世界大戦後の帰還兵の社会復帰は問題がそれほどなかった、と信じられてきた。「グレート・ジェネレーション」と呼ばれ、一九五〇年代、一九六〇年代の経済成長を牽引し、ベビー・ブーマーを育て上げた、そういう勤勉で頼りがいのある人たち、と言われ続けてきた。

戦争が終わったとき、それまで軍人として、あるいは民間人として、戦争に何らかの形で関わってきた男性、女性、ともにひとときの喜びを味わった後、すぐに自分たちの生活と望んでいた世界の再建に励み始めた。彼らは実際の年齢よりも遥かに成熟し、戦争の経験によって人格が形成され、軍の訓練や犠牲によって鍛えられた人たちだ。結婚したカップルの数は記録を破り、彼らが育てた子どもたちは「ベービー・ブーマー」と呼ばれる、これまた特有の世代となった。彼らは、個人の責任、義務、名誉、そして信念といった価値に最も忠実な人たちだった。トム・ブロコウ「グレイテスト・ジェネレーション」

アメリカの三大ネットワークのひとつ、NBCのトップ・ジャーナリストだったトム・ブロコウは、ノルマンディー上陸の四十周年記念番組の製作で現地を訪れたときに、第二次世界大戦に参加した世代の偉大さに触れ、このベストセラーを執筆したという。しかし、この世代観はいささか単純で、過剰に自画自賛気味、あるいは悪い意味で修正主義的な見方だろう。

「話してくれよ」みんな言うんだ。でも、僕が話そうとしていることになんか、彼らははじめから興味はなかったんだ。わからせることなんかできっこない。みんな僕が見たものを見たことがないんだ。彼らには関係がないんだ。帰還した海兵隊兵士

 

(戦場から帰ってくる夫やボーイフレンドが見てきた)世界を、あなたは知りようがないのです。(妻の、女性の仕事は)彼との間にできた距離を知ること、あなたには手の届かないことが、あまりにたくさん、手に負えないほどあるということを知ることです。そこから始めるのです。そこから、この世界の果てから来た見知らぬ人と友だちになるのです。「ヴォーグ」誌に掲載されたドロシー・パーカーのエッセイ

戦争が終わった翌年の一九四六年のアメリカの社会問題のひとつに、男性用の白いシャツが足りないというものがあった。あまりに多くの帰還兵がいちどに社会復帰したため、「民間人」が着る白いシャツが足りなくなってしまったのである。

ヨーロッパや日本、アジア各地の戦場となった土地と違って、アメリカ国内は戦争を直接経験していない。物資難や職業難は、あくまで帰還兵に起きることであって、戦場になった国々のように、市民全員に起きることではないかった。また、国内の市民はニュース映画などで戦場の様子を見たことがあるものの、「経験」をしているわけでもない。空爆を受けたり、市街戦を経験した他の第二次世界大戦の参戦国とは比べものにならないほど無傷である。

この一般市民の「知りようのなさ」は、戦後のハリウッド映画には「描けなさ」として現れてくる。それは、戦争と戦後が地続きにならなかったアメリカ国内で、帰還兵が感じた「所在なさ」と表裏一体であった。戦時中の国威発揚の戦争映画でさえ、帰還兵たちには別世界のものだった。

マイケルは、他の退役軍人のように頑固に戦争映画を見ないようにするなどということもしなかった。海兵隊員のジョン・ウェインが硫黄島で戦うのも、グレゴリー・ペックが爆撃機のパイロットであっても、クラーク・ゲーブルが「戦略司令」か何かをやっていても一向に構わなかった。特に面白いとも思わなかった。面白いはずもないだろう。Soldiers from War Returning

彼らが唯一目を見はった映画は、ウィリアム・ワイラー監督の『我等の生涯の最良の年(The Best Years of our Lives, 1946)』であった。この映画は絶賛され、メディアでも取り上げられ、アカデミー賞も受賞した。しかし、その熱もあっという間に消えていってしまう。こういった世間のあからさまな刹那的な受容は二重の意味で苦痛であったに違いない。映画のタイトルも、帰還兵のあいだで言われていた「自分たちの生涯の最良の年月を戦争に奪われた」という否定的な表現を基にしている。映画のなかでも、それは正確に表現されている。

僕は自分の人生の最良のときを諦めたんだ。君はどうだったんだ?

しかし、映画の広告では、あたかも登場人物たちが「最良の年」、素晴らしい年月を経験したかのごとく、言い換えられている。こういった、帰還兵、ひいては戦争に対するタブー視が国内に薄く広く広がっていた。

戦中・戦後のハリウッド作品、特にフィルム・ノワールと呼ばれる作品を、この忌避感を透かして見ると、通常の解釈には現れてこない、少し異質のものが見えてくる。例えば『深夜の告白(Double Indemnity, 1944)』はいったいいつの設定なのか。戦時中のロサンジェルス風景、にも関わらず戦争の影はどこにも見えない。シオドマクの『殺人者(The Killers, 1946)』や『裏切りの街角(Criss Cross, 1949)』、フリッツ・ラングの『スカーレット・ストリート(Scarlett Street, 1945)』や『飾窓の女(The Woman in the Window, 1946)』にしても、同時代を舞台にした作品のように見えながら、まったく戦争の影が見えてこない。『郵便配達は二度ベルを鳴らす(The Postman Always Rings Twice, 1946)』、『過去を逃れて(Out of the Past, 1947)』、『悪の力(Force of Evil, 1947)』、『拳銃魔(Gun Crazy, 1949)』も同様だ。これらの映画は、戦争をなんらかの形で回避しようとしている。『青い戦慄(The Blue Dahlia, 1946)』のように帰還兵の問題(離婚、障害)を取り上げつつも、問題の複雑さを回避して、消化しやすい倫理の問題に挿げ替えてしまうこともしばしばである。

これは、ハリウッドの作家や監督の多くが従軍経験がなく、戦争について「知りようがなく」、描こうとすると「描けなさ」と対峙することになってしまうからではないだろうか。

『記憶の代償』でも、ジョージ・テイラーが従軍し、戦場にいた時期のことはまったく話題に上がらない。彼の三年間は(都合よく)完全な白紙状態で、戦後の社会に馴染めないのは「アイデンティティーを失ったから」であり、その壁を「女性の手を借りて」乗り越えようとしている様子が描かれる。

ジョージ・テイラーは、当初軍服を来ているあいだは、他人から親切にされる。ホテルのプロントでも、無理を言って帳簿を調べてもらえるし、手荷物預かり所の老人はフレンドリーでさえある。しかし、彼が仕立て屋(テイラー)で、民間人の服装になった直後、銀行で怪しい人物として扱われる。それからあと、彼が出会う人物はすべからく彼のことを胡散臭い男だと言わんばかりの目つきで見る。もちろん、彼が「ラリー・クラヴェット」という男について聞いてまわるのが直接の理由なのだが、帰還兵が民間人になった瞬間に社会から爪弾きにされていく、そのさまを見ているようでさえある。

テイラーが、アンゼルモの一味に袋叩きにあったあと、クリスティと交わす会話が実に興味深い。彼は自分が記憶喪失になっていることを打ち明ける。そして、その孤独がどんなものか、ひょっとすると自分のことを憎んでいる人間もいるかもしれないのに、自分はそれさえも分からない、という不安を語る。そこに「ラリー・クラヴェット」を名乗る男から、「君の唯一の友人だ」という手紙を受け取ったことを明かす。

考えてもみなかった。自分に友人がいるなんて。ジョージ・テイラー

映画の結末で、ラリー・クラヴェットはテイラー本人だったことが明かされるが、帰還兵にとって「過去の自分が唯一の友人」という示唆は、かなり衝撃的なものがある。引用した海兵隊員の言葉、「僕が話そうとしていることになんか、彼らははじめから興味はなかった」の裏返しとして透かしてみればわかるだろう。あたかも帰還兵と社会の断絶を暗黙のものとしてとらえているかのようだ。しかし、その唯一の友人を探し始めると街中が憎悪と暴力を彼に向けてくる。

テイラー:他の街に逃げることだってできる。
クリスティ:逃げて隠れるってこと?
テイラー:それのどこがいけない?
クリスティ:そう、どこがいけない?

この「他の街に逃げる」という発想も、当時の帰還兵が選択肢としてしばしば考えたことだった。過去の自分を知っている人たち、家族、恋人、近所、友人たちが、変化を感じ取って反応していることに耐えられない者が多くいた。ほかにも、PTSDに悩まされ、親しい者たちとの溝が深まる者たちもいた。

『記憶の代償』で、このテイラーを「こちら側の世界」に引き止めるのは誰か。女性である。クリスティは、テイラーを「見知らぬ男」として知り、その距離を知り、知らない世界があることを認める。テイラーの告白に対して、クリスティの返答は、何も示唆もせず、アドバイスもしない。彼女はテイラーの言葉の意図を繰り返すだけなのだ。まるで、カウンセラーのような態度だ。テイラーが「僕はどうしたらいい?」と尋ねるまで、クリスティは聞き役に徹している。これは、ドロシー・パーカーが唱えた、帰還兵に対する女性の役割そのもののようにさえ思える。

これは、記憶喪失の話を装ってはいるが、帰還兵に対する、当時の社会の見方を正確に描いたものといってもよいだろう。しかし、その物語は戦争と地続きの帰還兵たちの世界からではなく、帰還兵たちが見たものには興味のない男たちが見ている世界である。この作品をストーリーを手掛けた男たち(マンキーウィッツ、ボロウスキーら)のなかには従軍経験者はいない。彼らが、頼りにできる「男性」をたったの一人も描かず、「気難しい帰還兵の問題は女性の手に」とばかりに、ほぼ無力なナイトクラブの歌手に押し付けてしまうのは、ある意味清々しくさえある。

どのような時代でも、どこの地域でも、悲劇は起こりうる。当事者と当事者でない者のあいだには、その出来事の「知りようのなさ」の深い溝が存在してしまう。戦後のハリウッド映画もその溝を感じていないわけではなかった。第二次世界大戦の戦勝国でありながら、一人残らず多幸感に浸っていたわけではないことは分かっていた。しかし、映画製作者たちの「描けなさ」への挑戦は、やはりプロットの道具の域を出るものではなかった。それはフィルム・ノワールのように社会の影の部分を扱った作品群にも言えることである。多くのフィルム・ノワールは、この「描けなさ」に立ち向かうことなく、記憶喪失を装いながら「描かない」で済ませている。戦争が終わったあとに人々が抱えた問題を、「帰還兵」「障害」「孤独」といった枠組みだけ借りて、プロットの道具にし、戦時中と戦後の地続きを「描かない」で済ませたのである。

描かれなかった記憶、語られなかった物語、友を見つけられなかった者たちは、いつしか忘れられ、「グレイテスト・ジェネレーション」という賛辞が額に入れられて飾られた。いまも繰り返しスクリーンで語られる第二次世界大戦の「名もなき英雄」の物語の向こうに、語られていない物語がある。

『記憶の代償』ジョン・ホディアク、リチャード・コンテ

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Film Noir of the Weekのサイトでは、まわりをかためている俳優たちのおかげでプロットの展開が格段に良くなっていると評価している。まったく同感だ。また、途中で登場するジョセフィン・ハッチンソンのシーンについても言及している。このシーンは、孤独な人間の心理を鋭く描いた極めて印象深いシーンだ。

日本でも正規版のDVDが出ているが、画質からみるとフランス版のブルーレイがおすすめ。

Data

二十世紀フォックス 配給 5/30/1946公開
B&W 1.37:1
110 min.

製作アンダーソン・ラウラー
Anderson Lawler
出演ジョン・ホディアク
John Hodiak
監督ジョセフ・L・マンキーウィッツ
Joseph L. Mankiewicz
ナンシー・ギルド
Nancy Guild
脚本ハワード・ディムズデール
Howard Dimsdale
ロイド・ノーラン
Lloyd Nolan
脚本ジョセフ・L・マンキーウィッツ
Joseph L. Mankiewicz
リチャード・コンテ
Richard Conte
原作マーヴィン・ボロウスキー
Marvin Borowsky
ジョセフィン・ハッチソン
Josephine Hutchson
撮影ノーバート・ブロディン
Norbert Brodine
フリッツ・コルトナー
Fritz Kortner
編集ジェームズ・B・クラーク
James B. Clark
マーゴ・ウッド
Margo Woode
音楽デイヴィッド・ブドルフ
David Buddolph

Reference

[1] T. C. Renzi, Cornell Woolrich from Pulp Noir to Film Noir. McFarland, 2015.
[2] P. McGilligan, George Cukor: A Double Life. U of Minnesota Press, 2013.
[3] B. Dauth, Joseph L. Mankiewicz: Interviews. Jackson: Univ Pr of Mississippi, 2008.
[4] K. L. Geist, Pictures Will Talk : The Life and Films of Joseph L. Mankiewicz. New York : Scribner, 1978.
[5] T. Childers, Soldier From the War Returning. Houghton Mifflin Harcourt, 2009.
[6] A. Curtis, Somerset Maugham. New York : Macmillan, 1977.
[7] classicfilmaficionados, “Somewhere in the Night, a Tightly Knit Suffocating Noir,” Classic Film Aficionados, 04-Sep-2016. .
[8] T. Brokaw, The Greatest Generation. New York : Random House, 2005.
[9] B. Crowther, “THE SCREEN; ‘Somewhere in the Night,’ a Fox Melodrama Introducing Nancy Guild Opposite John Hodiak, Is New Attraction at the Roxy,” The New York Times, 13-Jun-1946.
[10] A. Solomon, Twentieth Century-Fox: A Corporate and Financial History. Rowman & Littlefield, 2002.
[11] “University of California: In Memoriam, December 1970.” [Online]. Available: http://texts.cdlib.org/view?docId=hb629006wb&brand=calisphere&chunk.id=meta.