Caught
魅せられて

MGM配給
1949年

レールがいらないショットなんて
マックスには耐えられない
ドリーと離れ離れになって
憂鬱に包まれて動けない
みんなが彼からクレーンを取り上げたときなんて
マックスはもう二度と微笑まないかと思ったよ

ジェームズ・メイソンがマックス・オフュルスについて詠んだ詩

Synopsis

金持ちの男性との出会いを求めていたレオノーラ(バーバラ・ベル・ゲデス)は、パーティーで実業家スミス・オーリグ(ロバート・ライアン)と知り合う。レオノーラはスミスと結婚するが、彼女が求めていた結婚生活とはかけ離れたものだった。スミスは仕事に没頭し、彼女を顧みず、愛情も注がない。それどころか、レオノーラのことは世間体の一部としか考えていない。そんなスミスに嫌気がさしたレオノーラはロサンジェルスで一人暮らしを始めるようになり、小さな診療所で受付の仕事を始めた。レオノーラは、診療所のラリー・キナダ医師(ジェームズ・メイソン)と懇意になっていく。

Quotes

お前も知ってるだろ、俺は負けるのが嫌いなんだ。優しい人間が負けるんだ。お前は優しい人間だからね。スミス・オーリグ

Production

亡命映画監督として

マックス・オフュルス(1902 – 1957)が、ナチスによるユダヤ人排斥運動の兆しを感じてドイツを脱出してフランスに移ったのが、1933年だった。彼はフランスを中心に、イタリア、オランダでも映画製作を続けていたが、1937年にフランスの市民権を獲得する。その後、1939年に徴兵され、フランス軍兵士として訓練を受けたあと、宣伝省のラジオ部門でプロパガンダ活動に従事、ドイツ語で反ナチスのラジオ番組を製作していた。そのなかでも特に人気があったのは、不眠症のヒトラーに、殺した人間の数を数えれば眠れるぞ、と呼びかける番組だった。ユダヤ人であることはもとより、このようなプロパガンダ活動をしていたオフュルスは、ドイツがフランスを占領したあかつきには、当然処刑される身だった。ナチス・ドイツによるフランス占領、ヴィシー政権樹立の際には、オフュルス一族はスイスへ退避していた。その後、ヨーロッパから脱出してジャージー・シティに到着したのは1941年の8月のことだった。

この時期の「亡命映画監督」―――フリッツ・ラング、ロバート・シオドマク、フレッド・ジンネマン、ビリー・ワイルダーら―――は、ハリウッドで傑出した才能として活躍し、多大な影響を後世に残したと論じられることが多い。ラングやワイルダーのハリウッドでの軌跡を追ってみると、非常に早い時期からスタジオシステムの仕組みに順応し、精力的に作品を発表している。だが、米国に亡命した映画監督でも順調なスタートが切れた者ばかりではない。言語の壁、映画製作の慣習の相違、目指す方向の食い違い、それらすべてが活動にブレーキをかけ、思い通りのキャリアを描けずに頓挫していく者も数多くいた。例えば、サイレント期のドイツで大作を数多く手がけていたベテラン、ヨーエ・マイは1933年、いち早くハリウッドに到着して、エーリッヒ・ポマーのもとで娯楽作品を任されていたが、ハリウッドの目指す娯楽の概念を咀嚼しきれずに少しずつ表舞台から消えていってしまった。G・W・パプストは渡米後第一作『今日の男性(A Modern Hero, 1934)』で大失敗し、ハリウッドでのキャリアが初作で終わってしまう。彼は最終的にナチスの支配するドイツに帰国して、『パラケスス(Paracelsus, 1943))』のようなどっちつかずの作品を監督して誰からも評価されなくなってしまう。1950年代にハリウッドで活躍したダグラス・サークでさえ、渡米当初は機会に恵まれていない。彼はワーナー・ブラザーズの契約を当てにして渡米してきたものの、あっさり契約を破棄されてしまう。頭にきたサークはカリフォルニアで養鶏とアルファルファの栽培を始める。

オフュルスは、映画界から離れることはなかったが、B級映画には関わらないという強い信念から長いあいだ実質的に失業状態だった。彼に新しいプロジェクトを持ってくるプロデューサーやエージェントは少なからずいたにも関わらず、そのどれも作品に結実することはなかった。似たような境遇にある映画関係者―――ヨーロッパからの亡命下、ハリウッドで生き延びようとしている者たち―――からオファーがあり、オフュルスも当初は乗り気なのだが、途中から消極的になってしまう。この頃にオフュルスに打診をした者たちの中には、同じくドイツから移住してきたプロデューサー、エーリッヒ・ポマーやコンラート・ファイトの妻でエージェントのリリー・ファイトなどがいる。しかし、オフュルスが見ていたのは、かつてはヨーロッパの映画界で高い評価を受けながらも、ハリウッドで業界に食い込むためにB級映画を引き受けて、そこから抜け出せなくなってしまった者たちの姿だった。ジョン・ブラーム、スティーブ・セクリー、ウィリアム・ティール、エドガー・ウルマー、そしてロバート・シオドマクの名前を挙げても良いかもしれない。シオドマクにしても1944年の『幻の女(Phantom Lady, 1944)』まではめぼしい評価を得られていないのだ。

一度でもB級映画を引き受けてしまうと、そこからは抜けるのが難しくなってしまう。タイプキャストされるんだ。そこから抜け出すには、よっぽど運に恵まれるか、若くないとだめだ。 マックス・オフュルス

1944年、オフュルスはプレストン・スタージェスから誘われて、カリフォルニア・ピクチャーズで再起を目指すが、トップのハワード・ヒューズの衝動的で独断専行な経営に振り回されて何も成すことなく離脱してしまう。1946年の暮れ、ヨーロッパに戻るにも経済的に行き詰まっていたオフュルスを、ダグラス・フェアバンクス・Jrが拾い上げて、『風雲児(The Exile, 1947)』で監督として起用した時から、ようやくオフュルスの(短い)ハリウッド時代が始まる。

 

沈没船 エンタープライズ・スタジオ

『風雲児』の興行は思わしくなく、つづく『忘れじの面影(Letter from An Unknown Woman, 1948)』も決して成功とは言いがたかった。オフュルスは「気難しい監督」というレッテルを貼られ、彼の作った映画は「勿体ぶっていてのろい」という批判にさらされてしまう。そんな彼に目をつけたのは、やはりヨーロッパでのオフュルスの評判を知っているウォルフガング・ラインハルトだった。ヴァイマール期のドイツ演劇、ドイツ映画の中心人物だったプロデューサー、マックス・ラインハルトの息子である。当時ラインハルトが在籍していたエンタープライズ・スタジオは、無軌道に予算を食い尽くして破綻したルイス・マイルストーン監督、イングリッド・バーグマン主演の『凱旋門(Arch of Triumph, 1948)』の後始末に苦慮していた。200万ドルの損失、そしてバンク・オブ・アメリカの最大融資額1000万ドルの融資の期限が迫り、『ボディ・アンド・ソウル(Body and Soul, 1946)』の成功など吹き飛んでしまっていた。融資の期限延長は認められたものの、『悪の力(Force of Evil, 1948)』など製作途中の3本分のみに限定される。その3本のうちの1本が「Wild Calendar」という作品で、まだ脚本の段階だった。

「Wild Calendar」はリビー・ブロック原作の小説で、ジンジャー・ロジャースの主演用にとエンタープライズが1946年に権利を獲得していたものだった。最初の脚本はキャサリン・スコラが手がけたが、ロジャーズが気に入らず、エイブラハム・ポロンスキーが書き直しに駆り出される。しかし、これもロジャーズがあちこちと修正を要求し、ポール・ジャリコやルイス・ピアソンまで投入されたが、暗礁に乗り上げ、ロジャーズはこの映画化からは降りることになった。この時点で脚本に75,000ドルが費やされていたにもかかわらず、エンタープライズはオフュルスを呼び、三度目の脚本化にとりかかる。オフュルスと共同で脚本化にのぞんだのはポール・トリヴァース。オフュルスは、実業家スミス・オーリグのキャラクターに、ハワード・ヒューズとプレストン・スタージェスを重ねて、実際におきた出来事も挿入した。数週間の缶詰執筆で、ようやく撮影可能な脚本が出来上がった。

ところが、ラインハルトは、オフュルスとトリヴァースが仕上げた脚本にも不満を示し、アーサー・ローレンツを呼んで再度の書き直しを指示する。ローレンツはヒッチコックの『ロープ(Rope, 1947)』の脚本で注目を浴びてている新人だった。この頃、前作『忘れじの面影』が公開され、興行的に惨めな結果が毎日のように報告され、フェアバンクスとの契約も打ち切られてしまったオフュルスは、病に倒れてしまう。銀行の融資に頭を悩ませていたエンタープライズの首脳陣、デヴィッド・L・ロウとチャールズ・アインフェルドは、オフュルスとの契約を打ち切り、オフュルスの2倍以上の給料でジョン・ベリーに監督を依頼する。ペリーはオーソン・ウェルズのマーキュリーシアター出身で、『悪の罠』のプロデューサーでもあるボブ・ロバーツなどが注目していた。この人選は後々までエンタープライズ関係者の人間関係に軋みを残してしまう。

この迷走も、日々の経済的な余裕がほとんどなく、自転車操業でスタジオをやりくりしていたことが原因だった。ベリーに倍の給料を払うのは一見矛盾しているように見えるが、とにかくカメラを回して始めてしまえ、という焦りだけが、重役たちをこのような行動に走らせていたのだ。スタジオのトップやプロデューサーが、日々帳簿に書き加えらていく経費のことばかり考えていて、見えている未来が数週間先までで止まっていた。この作品をいったいどんな観客層にアピールする作品にするのかさえもろくに考えず、ジョン・ベリーのような監督を投入してしまっていた。

ここまで泥沼化してしまったプロジェクトだが、さらに状況は悪化する。まず、ベリーは「Wild Calendar」の全体のコンセプトで脚本のローレンツと意見を違えてしまう。「もっとリアルな話にしたかったが、連中がリアリティのないラブ・ストーリーにしたがった」とベリーは後年のインタビューで述べている。しかし、ローレンツはそのリアリズムに懐疑的だった。ベリーのいうリアリズムとは、元の作品を独りよがりに捻じ曲げた解釈をしているにすぎないというのが彼の意見だ。例えば、レオノーラを「カネ目当ての女」で「安っぽい性悪」として「リアリズムで」描きたいベリーと、「未熟で少し頭の悪い」女性だが「アメリカン・ドリームの嘘っぱちを身を持って知る」という話にしたいローレンツでは、根本的に物語の見え方が違う。

ジョン・ベリー自身は当時アクターズ・ラボのしごとを始めたばかりで、そちらのほうが気に入っていたようだ。「All You Need Is One Good Break」という作品の演出・主演を任されていたのだから当然であろう。ベリーは「昼はスタジオで撮影、夜は舞台の演出・主演をしていた」と後のインタビューで語っている。

焦ってクランクインしたために、多くの配役は未定のままだった。それを回避しながら、例えば冒頭のデパートのシーンなどを撮影していたのだが、冴えない製作現場だった。さらにジョン・ベリーは監督として最も避けなければいけないことをやってしまっていた。彼は「何をしたいか、何を撮りたいか、よくわかっていない」ということをスタッフやキャストに悟られてしまったのである。助監督のアルバート・ヴァン・シャムスは「ベリーは準備不足でのろかった」と手厳しい。ベリーに好意的な編集のロバート・パリッシュでさえ、ベリーの不手際は認めざるを得なかった。「長いマスターショットだけ撮って、挿入用のショット(Coverage)を撮らない」ので、あとになって「また遅れる」といったことが繰り返されていた。主役のジェームズ・メイソンに至っては「こんな名前を聞いたこともないような監督となんかより、マックス・オフュルスと仕事をしたい」とはっきり言っていた。

後の『キッスで殺せ!(Kiss Me Deadly, 1956)』などの監督作品で知られるロバート・アルドリッチは、当時エンタープライズで撮影現場のマネージャーをしていた。「Wild Calendar」の製作担当マネージャーのジョセフ・ギルピンが心臓発作で倒れたために、アルドリッチが代理を務めていた。毎日ロウのオフィスからアルドリッチに電話がかかり、「どれくらい遅れている?」「スピードを上げろ!」と急かされていたという。そこに回復したギルピンが戻ってきた。デイリー・ラッシュを見たギルピンは、すぐにベリーをクビにしろと言い始めたのである。その場にいた編集のパリッシュはベリーと話し合ってスケジュールに追いつくようにすると提案したが、その夜にはベリーはプロジェクトから外され、オフュルスが撮影現場に呼び戻される。この交代劇はラインハルトとオフュルスが陰で画策したものだと邪推したアルドリッチは、その後ずっとオフュルスを毛嫌いしていたという。

聞いた話では、エージェントとスタジオの間で詐欺まがいのことをやっていたらしいね。映画を完成させようと努力していることを保険会社に見せないといけなかったらしい。ジョン・ベリー

オフュルスが立ち向かう三つの問題

バッカーがその著書「ハリウッドスタジオでのマックス・オフュルス」でまさに述べているように、撮影現場に戻ってきたオフュルスは、3つのことを同時に成功させなければならなかった。すなわち、(1) 映画製作をスケジュール通りに戻すこと、(2) 監督交代をよく思っていないスタッフやキャストの一部でもいいから協力を得られるようにすること、(3) この映画を成功させて自分のキャリアの軌道修正をすること、である。

監督交代を不満に思っているかどうかにかかわらず、この座礁したプロジェクトに関わっている人間は少なからずともフラストレーションをためていたはずである。撮影監督のリー・ガームズは、ベリーの元でのロケーション撮影で、露出不足で失敗するという事故を起こしていた。これは、プロの撮影監督としてはかなりの痛手である。編集のロバート・パリッシュのアドバイスで、その部分は青い染色でプリントしていた。また、そのパリッシュ自身はベリーを最後まで支持しており、オフュルスについては反感を抱いていた。

それまでの撮影フッテージの試写が行われ、ガームズやパリッシュとともにオフュルスは初めて今まで撮影されたものを見ることになる。オフュルスは試写を黙って見ていた。

彼は私(パリッシュ)を見て「実に良い編集だ」と言った(試写のフィルムは現像所からきたものそのままで、私はハサミを入れていないんだが!)。それから彼は立ち上がり、ガームズの額にキスをして「見事だ。実に見事だ。」と言った。肩の間に頭をすくめて、試写室を歩き回りながら、「素晴らしい撮影、素晴らしい演出、素晴らしい演技、素晴らしい編集・・・そしてあの青色!素晴らしい!」と言い続けた。ガームズが「あの青色はパリッシュのアイディアなんだ」と言うと、オフュルスは私の額をキスしながら「素晴らしい!」と言った。 ロバート・パリッシュ

これで、撮影監督と編集はオフュルスに全幅の信頼を置くようになる。

オフュルスが撮影に入った初日(7月30日)には5つのカメラ・セットアップを撮っている。そのうち特に3つのシーンはドリーを使った複雑なカメラの移動が入っている。ジョン・オーリグが深夜に自分の部下を引き連れて帰宅し、建設作業の映画を上映するシーン、早朝にジョンとレオノーラが別居を決めるシーン、そして、その後ジョンが発作を起こすシーンである。この作品を通して、試作品の「クラブ・ドリー(crab dolly)」がカメラの移動に使われているのだが、このドリーはリー・ガームズ、モーリス・ローゼン、スティーブン・クリラノヴィッチがヒッチコック監督の『パラダイン夫人の恋(The Paradine Case, 1947)』のために設計したもので、同じくヒッチコック監督の『ロープ(Rope, 1948)』で驚異的な長回しを実現するために活躍したと言われているものだ。オフュルスは撮影すべきイメージがしっかりと頭の中に描かれており、初日から既に印象的なショットを迅速に仕上げている。建設作業の映画を上映するシーンでは、巨大な客間の空間を使って、ジョンとレオノーラの緊張したやり取りをとらえているが、ここでは切り返しが想定線(イマジナリーライン)を超えて行われる。通常のカメラの切り返しでは、会話をする二人を想定線を超えることなく撮影する。こうすると、会話をする二人はお互い向かい合っているようにつながる。しかし、ここではジョンとレオノーラはお互いの顔を見ることなく、視線をそらしたまま会話をしており、カメラは想定線を超えるために、切り返したショットではジョンとレオノーラを相似形の構図でおさめている。

これは、それ以前にもそれ以後にもやられたことのない、切り返しショットだ。まるでテニスの試合のように、ここではオフュルスは謎めいた、劇的なラインを切り替えしている。ブライアン・ヘンダーソン

その早朝にジョンとレオノーラが刺々しい会話の末、レオノーラが別居を決めるシーンは、さらに謎めいた、型破りな構図だ。ビリヤードの台の上で球を繰り返し同じ方向に投げながら、レオノーラに対する侮蔑を露骨に口にするジョンを長回しで撮っている。ジョンが発作を起こすシーンでは、薬を飲み下す水を求めてもつれながら歩くジョンを、カメラは不規則に移動しながら追いかけていく。「ロバート・ライアンはこの演技のあいだ、息を止めていたんだ」とマイケル・ルチアーノ(編集助手、モンタージュ)は語っている。

型にはまらない演出にもかかわらず、スタッフはむしろ協力的であり、撮影は順調に進み続ける。会話のシーンでも長回しを多用してインサートショットの数を極力減らしているため、セットアップをたくさん組む必要がない。クラブ・ドリーを動かす床、特にジョン・オーリグの家のセットの床は実に平坦で、ドリーのためのレールを敷く必要がなかったことも、待ち時間の短縮につながっている。普段は監督に口出しをされるのを極度に嫌がるリー・ガームズが、オフュルスのカメラ設置についてのアイディアをよく聞いていた。二人の関係はまるでヨーロッパの監督と撮影監督のようだったという。

カメラが消えてしまうんだ リー・ガームズ、オフュルスの演出について

撮影はその後もスケジュールと費用を最優先にしながらも精巧な演出と巧みなカメラワークを駆使しながら進んでいく。ラリー・キナダ医師とレオノーラがナイト・クラブでダンスをするシーンは、オフュルスのコスト意識の高さと優れた演出力を非常によく体現している。このナイト・クラブは、大きなセットを組むと費用がかかってしまうし、それを埋めるエキストラの数も増えてさらに出費が増えてしまう。そこでセットは「壁1枚、黒い幕1枚」だけのミニマルなセットとし、エキストラを一日50セントで雇って場所を埋めた。さらにカメラの移動には、経費のかかるクレーンを使用せず、ドリーを持ち上げることのできる一番高い高さまで上げてそこで移動させている。

オフュルスは三つの課題のうち二つを着々と見事に解決して順調にクランクアップに近づいているように見えた。しかし、スタジオの凋落は思ったよりも猛スピードで進んでいた。

玄関のない豪邸

ジョン・オーリグの豪邸のセットは内部こそ豪奢に作られていたが、玄関付近、特に外観は作られていなかった。また、脚本に書かれていた病院のシーンも、予算の都合でカットされてしまう。これがこの作品のクライマックスを不自然なものにしてしまった一因だと言われている。ラストでは、ジョン・オーリグが心臓発作で倒れて、生死の境をさまようなか、ショックを受けたレオノーラが流産する。レオノーラの異変に気づいたキナダ医師が救急車を呼んで付き添うところで終わる。オフュルスとローレンツの元の案では、病院の一室と豪邸の入り口を舞台として展開する予定だったのだが、セットが不完全なままで実現できなかった。急激に財政状況が悪化しているエンタープライズ・スタジオがセットを作る資金を渋ったからである。

クライマックスが不自然なものになってしまった―――オフュルスによれば「脱線してしまった」―――もう一つの理由は、プロダクション・コードによる規制である。PCAは、ジョン・オーリグとレオノーラの間の離婚を示唆するような描写に対して厳しく制限を設けようとした。理由は、作品を通して共感を呼ぶキャラクターとして造形されているレオノーラのほうから離婚を切り出してはいけないという、珍奇なものだったが、PCAはこれを一歩も譲る気配がなかった。この制限が入ったおかげでオフュルスとローレンツは、レオノーラをジョンから開放してキナダ医師と結ぶという展開を諦め、歯切れの悪い示唆でくくらざるを得なかった。

実は、「Wild Calendar」―――撮影の後半で『Caught』と改題されていた―――の初期の原稿では、物語全体は病室にいるレオノーラのフラッシュバックで語られる設定になっていた。ジョンが心臓発作を起こし、自らは流産してしまったレオノーラが病室で「私は彼を殺してしまった」と告白し、それまでの半生をキナダ医師に語るのである。このフラッシュバック構造がうまく機能すれば、観客は「彼を殺した」という意味を問いながら物語に引き込まれていくはずだったのである。ところが、予算不足とPCA対策で病室の場面は製作が進むにしたがって最小限に削られていってしまう。

1948年の8月31日に、精神科医でのジョン・オーリグのシーンを撮影してクランクアップする。だが、まだ終わったわけでなかった。

アルドリッチの復讐

当初、製作マネージャーを兼任していたロバート・アルドリッチは、オフュルスが監督に就いたあと、しばらくして別のプロジェクトに異動になっていた。前述したように、アルドリッチは、オフュルスがラインハルトと画策してジョン・ベリーを追い出したのだと思って毛嫌いしていたし、プライドの高いリー・ガームズのことは蛇蝎のごとく嫌っていた。9月の中盤に『魅せられて』はリテイクが必要になったと判断されたとき、アルドリッチが現場の進行を任された。それからの数週間、オフュルスとガームズはアルドリッチの残酷な復讐の餌食となる。

もう既に予算など何も残っていなかった。そこで撮り直しをするシーンといえば、ベリーが監督した部分が大半である。この物語、特にレオノーラのキャラクター設定についてのベリーの解釈が、オフュルスとローレンツがここまで進めてきたものと大きく異なるために、彼の監督した部分が浮いてしまうのである。主に映画の導入部、レオノーラのルームメイトとの会話や、デパートでのシーン、そしてジョン・オーリグとの出会いのシーンが撮り直しの対象になっていた。ベリーはそれらのシーンをロサンジェルスでロケーション撮影していたのだが、もうこの段階ではそんな予算は残っていない。かといって、スタジオでの撮影でも、オフュルスが得意とする長回しのカメラがゆっくり移動する演出などする余裕などない。オフュルスとガームズが撮り直しの案を議論すると、アルドリッチは「金なんかない、電話して聞いてみろ」と不遜な態度で嫌がらせをした。結局、最低限のセットと無難なセットアップでの撮影ばかりでごまかす以外に手はなかった。アルドリッチは不愉快極まる態度をとったかもしれないが、資金が全く無かったのは事実だった。

それでも、オフュルスとスタッフは最大限の効果を引き出そうとした。特に注目すべきは、オープニングのレオノーラとルームメイトとの会話のシーン、そしてジョンとレオノーラが出会う埠頭のシーンである。埠頭のシーンでは黒い幕でステージを覆って最小限のセットを作り、あたかも水面があるかのように見せかけている。ジョンが乗ってくるボートは大道具の担当がスポットライトを動かしただけである。ガームズの撮影も最小限の光源で、なおかつ深度のある構図を採用して、最悪の撮影条件をそれでもなんとか隠蔽している。オープニングのアパートでのシーンはほとんどが固定されたカメラだが、俳優を動かして奥行きのある演出をしている。脚本もそれに合わせてローレンツが書き直した。

オフュルスのことは好きだったからね。他の監督だったらそこまでしなかったね。アーサー・ローレンツ

わずかながら残されていた病室のシーンも完全に削られることになった。代わりに病院に向かう救急車のなかで、キナダ医師がレオノーラに「もう自由に生きていいんだよ」というセリフを言って締めくくるラストが撮影された。このラストシーンは見ていても明らかにちぐはぐで、慌てて貼り付けたエンディングであることが一目瞭然だ。このシーンは1948年10月5日に撮影された。これが最後の撮影だった。

最終的な製作費は1,574,422ドルだった。

 

Reception

『魅せられて』は公開当初から手厳しい評が多かった。

演技はトップクラスで安定感がある。演出も製作の見た目も優れている。だが、この作品が失敗しているのは、ただのロマンス三文小説ではないぞと見せようとして、プロットをひねったにもかかわらず、結局は大した話でもないからだ。 Variety

この作品のセールス・ポイントはこれがハリウッドのデビューとなるジェームズ・メイソンだ。彼の演技に対する評価はおしなべて高い。

(ジェームズ・メイソンの)演技は素晴らしい。だが、(ロバート・)ライアンと比べて、また『第七のヴェール(The Seventh Veil, 1945)』や『邪魔者は殺せ(Odd Men Out, 1947)』の彼自身のダイナミックで巧みな演技と比べて、やや不利な役柄だと言えよう。 Showmen’s Trade Review

ニューヨーク・タイムズのボズリー・クローサーはこういった陰気なテーマの作品に好意的な評価をすることはまずないが、ここではさらに一歩踏み込んで、エンタープライズを閉鎖に追いやったのはマックス・オフュルスの派手好きが原因だと匂わせてさえいる。

オフュルスは、あたかもこれが未来永劫に語られるべき恋物語であるかのごとく仕立て上げようとした。上流社会の人間たちの振る舞いの脆弱さに焦点を当ててこのストーリーを練り、立派で豪奢なセットを背景にして映画にした。エンタープライズの金を使って。ボズリー・クローサー

一部の批評家のあいだでは、オフュルスのスタイルは注目すべきものとして取り上げられ始めていた。

オフュルスの作品では、オーソン・ウェルズのイディオムが使われている。すなわち、重なり合う会話、劇的な照明、息もできないような狭苦しさ、そういったものだ。だが、マックス・オフュルスはそのイディオムをさらに発展させた。ポール・デーン

本人の焦燥感をよそに、ハリウッドではマックス・オフュルスの名は「知る人ぞ知る」といった位置づけになっていく。ニコラス・レイは個人的にオフュルスを訪問している。ジョセフ・ロージーは『魅せられて』について「稀に見る作品だ・・・自分が撮りたかった」とプロデューサーへの手紙で語っている。

オフュルスは1950年代にフランスで再起したのち、作家主義批評の潮流のなかでオーソン・ウェルズやジャン・ルノワールらに匹敵する華やかなカメラワークの作家として評価されるようになる。1971年の「フィルム・コメント」誌は、F・W・ムルナウ、オーソン・ウェルズ、マックス・オフュルスを「ミゼンセーヌの三大巨匠」として特集を組んだほどだった。ゲーリー・ケイリーは『魅せられて』のドリーを使ったカメラ移動へのこだわりを高く評価し、ブライアン・ヘンダーソンはカメラがいかに会話や脚本を動かすかという良い教材になる、と言っている。

不思議なことに、1940年代当時のオフュルスの存在感を的確にとらえているのは、ロバート・アルドリッチかもしれない。後年、オフュルスとコスタ-グラバスを比較してこう語っている。

若いやる気に満ちた映画監督の卵たちは、あの頃オフュルスのことを、今日のコスタ-グラバスを見るように見ていたんだ。そりゃ、コロンビアでは映画を作るのは大変だろうが、若くてやる気のある監督は、みんな彼のことを神だと思っているよ。ロバート・アルドリッチ

Analysis

映像作家 マックス・オフュルス

オフュルスのことを嫌いな人は、溝口か、ルノワールか、フォードか、ヒッチコックか、キートンか、チャップリンか、ホークスか、スタンバーグか、ドライヤーか、ロッセリーニか、ルビッチか、ラングか、ブニュエルか、ブレッソンか、ウェルズか、ヴィゴか、グリフィスか、ムルナウか、エイゼンシュタインか、ドヴジェンコか、プドフキンか、パブーストか、ベルイマンか、フェリーニか、アントニオーニか、ヴィスコンティか、ゴダールか、シャブロルか、トリュフォーか、レネか、黒澤か、小津か、ベッケルか、コクトーか、ヴィダーか、レイか、サタジットか、レイか、ニコラスか、サークか、ストロハイムか、の方がいい、というかもしれない。だが、オフュルスが誰かよりすごい人物の小型版だとだけは言わせない。 アンドリュー・サリス

ハリウッド時代には評価が毀誉褒貶相半ばしたマックス・オフュルスであったが、1950年代からフランソワ・トリュフォーやジャン=リュック・ゴダールといったカイエ・デュ・シネマの批評家たちの強い支持を受けて、ここにアンドリュー・サリスが並べた映画監督たちと比肩する「作家」として認知されるようになった。トリュフォーが指摘するように、オフュルスの作品を通してみれば、彼こそ一つのスタイルを貫いた「作家」であったことが明らかになる。オフュルスは、時代が変わろうが、国が変わろうが、スタッフが変わろうが、予算が変わろうが、常に同じ題材をもとに、同じスタイルを貫いている。二人の男性と一人の女性をめぐる恋の話を、移動カメラを用いた長回しで撮る。長回しの長さは、時代とともにどんどん長くなる傾向にあるが、彼の名をヨーロッパ中に知らしめた『恋愛三昧(Liebelei, 1933)』でも、クローズアップや切り返しのかわりに長回しを多用している。その傾向は『魅せられて』や『無謀な瞬間(The Reckless Moment, 1949)』などのハリウッド作品でも変わらない。クライマックスで男性同士が果たし合いをする、という設定も隙があればねじ込もうとする。『忘れじの面影』でさえ、ステファン・ツヴァイクの原作では兆しもなかった男同士の決闘をプロットにねじ込んでいる。そういった題材やスタイルに魅力を感じない者は、オフュルスの作品を評価するのは難しいだろう。

『魅せられて』も、二人の男性と一人の女性をめぐる恋の話を移動カメラを多用したスタイルで物語っている。時代設定はオフュルスが得意とした19世紀や20世初頭のウィーンではなく、1940年代のアメリカだが、基本的な物語の骨格はオフュルスの数多くの作品と共通している。ジョン・オーリグとの不幸な結婚に退屈しているレオノーラが、キナダ医師に恋をする。クライマックスでは銃こそ使わないものの、果たし合いのすえ、曖昧な結末を迎える。『魅せられて』に関していえば、この曖昧な結末は前述したように製作資金の枯渇やPCAの介入が果たした役割が大きい。しかし、他のオフュルス作品においても、クライマックスは悲劇の輪郭をまといつつ、曖昧な、含意のある諦観に支配されている。それは生死そのものよりも、三角関係に関わったすべての人間が「恋」に敗北する瞬間が永続する悲劇である。

例えば、オフュルスの代表作『たそがれの女心(Madame de …, 1953)』を見てみると、この恋の敗北がいかにドラマとして機能しているかがより明らかになる。『たそがれの女心』のクライマックスの果たし合いは、スクリーン上では最後まで描かれない。銃声が一発だけ聞こえ、その後が静寂に包まれている。半狂乱で森の中を走るルイーズとともに、アンドレの銃弾がドナーティの胸を射抜いたのだと私達は推測する。だが、この果たし合いで誰か幸せになっただろうか。ルイーズとドナーティはもちろんのこと、アンドレも決して失ったものを取り戻せると思って果たし合いを申し込んだわけではない。ただ当時の社会、彼が属する階級が求めた問題解決の方法と矜持の維持の仕方が、それを不可避なものとしたにすぎない。ルイーズの幼い恋心が敗北し、アンドレも、ドナーティも、その敗北の瞬間に凍結されたままだ。教会の祭壇に捧げられたイヤリングのクローズアップ、作品を通して華やかに響き続けたワルツの旋律に短調の和音が重ねられて、甘い余韻を残さずにエンドクレジットになる。オフュルスの描く女性の恋はあまりに幼く、あまりに不器用だ。それが、オフュルスという男性が求める、女性の恋のあり方のドラマ、そして男性の世界との関わり方だとすれば、「古臭い」「セクシスト」「パターナリズム的」と毛嫌いされても仕方がないであろう。

『魅せられて』は、その「恋の敗北のドラマ」がアメリカン・ドリームの物語のなかに組み込まれて、アメリカ的、資本主義的価値観への痛烈な批判となって機能している。この点こそ、オフュルスというともすれば自閉的な作家のフィルモグラフィーのなかでも極めてシニカルで棘のある作品に仕上がっている理由だろう。この物語では、レオノーラは浮上と沈降を繰り返す―――結婚に失敗し、自立の道を選択し、そしてそれにも失敗する。レオノーラが求めた、経済的に安定した生活と幸福な結婚生活を同時に成立させたいという理想は広く共有されている。そしてその理想は幻想に過ぎず、たやすく破壊されることも無数の物語で繰り返し語られてきた。『魅せられて』が、他の物語と大きく異なるのは、敗北が「家族」や「友情」、「正義」や「素朴」といった他の価値や徳に回収されない点だ。ジョンとレオノーラの子供は産まれず、誰一人「正義」の人として振る舞わず、キナダ医師も「大人」過ぎて、物語を動かすべき梃はトルクを失って終わってしまう。レオノーラが何かを学んで精神的に成長する、といったことさえも保証されていない。その燃焼不足感に満ちた、宙吊りのまま放置された物語が静かに問いただすのは、ハリウッドで数多く製作されてきた、そして製作され続けているメロドラマとは違うかたちでのドラマのあり方である。

ハリウッドの脚本家で「ブロックバスター」という映画脚本作成用ソフトの製作も手がけているジョン・トラビーはメロドラマとドラマの違いについて、マーク・ロブソン監督のRKO配給作品『愚かなり我が心(My Foolish Heart, 1949)』と、その原作であるJ・D・サリンジャーの「コネチカットのひょこひょこおじさん」を例に挙げて、プロットの転換点、キャラクターの感情表現などの点に注目して論じている。『愚かなり我が心』はそれを見たサリンジャーが映画化というプロセスに幻滅し、自身の作品の映画化を二度と認めなくなったきっかけになった作品である。サリンジャーの感じた幻滅の正体を、トラビーはハリウッド映画が好むメロドラマ化の仕組みを下敷きに読み解いていく。特にプロットの展開(ツイスト)が、作者が仕掛ける仕掛けであるメロドラマに対して、ドラマはあくまで登場人物たちの動機によってもたらされるものである、という点は重要だ。『魅せられて』では、ジョンとレオノーラの状況をもたらすのは当の本人たちである。彼らは成長することもなく、事件とともに生まれ変わるわけでもない。むしろ、レオノーラは最後まで自分で自分の気持を決められないままであり、ジョンは発作から快復しても以前と同じように自省なく振る舞うであろう。一見、ひどくメロドラマ風に見える作品ではあるが、男性的なアメリカン・ドリームを枠組みとする価値観の世界で、ジョンの男性としての執着、レオノーラの女性としての依存、二人のいずれもが一人の人間として生きることの視界の悪さがサブテクストとして埋め込まれている。アメリカの価値観が内面化された現代人の「身動きのとれなさ」が描かれている作品だ。

形而上学から離れて

オフュルスの作品の特徴といえば、手のこんだトラッキング/クレーンを使った移動カメラや、豊かな内装、ガラスや鏡の輝き、人物とカメラのあいだの前景におかれたオブジェ、そういったものだ。彼のスタイルはそれ自体が意味、すなわち運動、時間あるいは運命に幽閉されることの形而上学を仄めかしていると解釈できる。ロビン・ウッド

オフュルスのスタイル、特にカメラの動きを語る批評家たちは、なぜか「形而上学(metaphysics)」と言う言葉を使いたがる。アンドリュー・サリスもオフュルスのカメラの動きをとらえて、登場人物たちの激しい感情が「視野を横切る空間の形而上学的な無関心さによって邪魔される」と表現している。確かにオフュルスの作品ではドリーやトラック、クレーンを使った移動カメラが映画全体のリズムを支配している。「カメラの動き」には「流れるよう」「流麗」といった形容詞が冠される。だが、移動カメラと長回しを組み合わせて観る者を魅了する映画監督は他にも数多くいる。古典的な名映画監督、すなわち溝口健二、ウィリアム・ワイラー、オーソン・ウェルズ、といった名前がならぶなか、そういった監督とオフュルスのあいだにある決定的な隔たりを、この「形而上学」ということばで一足飛びに説明して片付けてしまう、そういった傾向が長い間あった。

この「形而上学」から離れて、オフュルスのカメラの動きを検討したのが、前述のルッツ・バッカーだ。バッカーは、オフュルスの作品を徹底的に解剖して、彼の作品に見られるカメラの動きを7つの特徴に分類した。

  1. 役者の動きがカメラの動きと連動して、背景と前景にあるセットや小道具が動きによって視覚的なリズムを作り出す。
  2. 役者の縦横の動きが、それに対向する動きによってバランスされる。
  3. 大きなセットでは、上の2つの動きを共に使って、空間内のいくつもの平面で平行運動を生じさせる。
  4. 役者の動きとカメラの動きが相関し、カメラ自体はある方向に動いているが、カメラは逆方向にパンをして役者をとらえる。あるいはカメラ自体は垂直方向に移動しながら、その逆向きにチルトする。
  5. 役者、あるいはカメラの動く方向が突然変わる時、他の動きを発生させて、突然変化が気付かれないようにして、流れるような動きが保持される。
  6. 同様にカメラの動きがある一つの動きから別の動きに移行する時、できるだけスムーズに処理し、「グライド」しているような感覚を作り出す。
  7. 役者の配置は、縦方向よりは、横方向、斜め方向、あるいは円形が好ましい。

『魅せられて』も、カメラの動きを分析するとこういった特徴が随所に現れてくる。そしてなぜそのような法則に則って動きが制御されているのかを考えるきっかけにもなる。

たとえば、オフュルスが製作を引き継いだ初日に撮影したもののなかで、ジョンが自宅に部下たちを呼んで映画を映写するシーンがある。このシーンは、ジョンとレオノーラが口論したのち、レオノーラが部屋を出ていくところで終わる。レオノーラが部屋から出ていくときの動きをとらえるカメラが移動しつつも逆方向にパンをしている。このとき、このカメラの回転の中心はジョンにあり、移動とパンによって、ジョンの周りの世界が回転していく―――入れ替わっていく―――様子が描かれている。もともと仕事中毒のジョンにとっては、部下たちを前にした、心地よい権力誇示の瞬間だったはずだ。それが、レオノーラの退出によって破壊される。いままで歯向かったことのないレオノーラが、音を立てて部屋から出ていき、ジョンの面目が丸つぶれになる。ジョンを中心軸にすえて、レオノーラの動作が世界を回転する。

さらにその直後のジョンとレオノーラがビリヤード台のそばで会話をするシーンでも、カメラの動きはジョンの世界の転回を示唆している。レオノーラが家を出ることを決めて部屋を退出したのち、カメラはジョンを中心軸にして、今度は縦向きにチルトする。運動視差のせいでジョンを中心とした背景の回転がより拡大して感じられ、彼の周囲で世界が変化し始める。その急激な変化に耐えきれなくなったために、ジョンは直後に発作を起こすのだ。

『魅せられて』では、こういった、人物を中心に円弧を描くカメラの動きが頻繁に登場する。この軌道とパンが組み合わされて、オーリグ邸の内部の垂直の線による3次元空間の造形が強調される。

また、会話のシーンでは、頻繁に想定線を超えて切り返しが行われている。前述の映画の映写のシーンに加えて、オーリグ邸のガレージのシーンは非常に複雑だ。ジョン、レオノーラ、キナダ医師が対峙し、レオノーラの決断が迫られる重要なシーンだが、方向感覚を失い、酔ってしましそうな切り返しが繰り返し行われる。ここでは、錯綜する会話と感情のやり取りを、想定線を完全に無視して畳み込むように切り返していく。一見デタラメのように見えるが、カメラの位置はレオノーラを軸にピボットし、彼女の揺れを中心に展開していく。キナダ医師がレオノーラの未熟を悟って画面奥に去って行くショットと、レオノーラがジョンを残して家に戻るショットが相似形になるように仕組まれている。さらにカメラがありえない位置に配置されるショットもある。レオノーラは、キナダ医師と会話をしながらガレージに停車してある車のステップに腰掛け、ドアを背にして座っているのだが、次にカメラが切り返すと、レオノーラの肩越しにキナダ医師が映し出される。これではカメラは車のエンジンルームの内部に位置することになってしまう。奇しくもリー・ガームズが言ったように、「カメラが見えなくなっている」見事な例だろう。

魅せられて(1949)ロバート・ライアン(手前左)とバーバラ・デル・ゲデス(奥右)
魅せられて(1949)バーバラ・デル・ゲデス(手前左)とロバート・ライアン(奥右)、想定線を超えた切り返し

このような演出手法はどこにその源流があるのだろうか。オフュルスは映画界に入るまで、主にウィーンで舞台の演出をしていた。かのブルグ劇場の監督に若干23歳で抜擢され、ドイツ、オーストリアなどヨーロッパ各地で200以上の作品を手がけたとも言われている。その環境のなか、当時のドイツ語圏の演劇界で絶大な影響力を持っていたマックス・ラインハルトの演劇製作の影響を受ける。そのラインハルト演劇の思想の支柱となっていた理論家の一人が、19世初頭から20世紀初めにおいて演劇、特にセットデザインに改革をもたらしたアドルフ・アッピアである。アッピアはワーグナーの歌劇の演出に3次元的な空間を採用したことで知られるが、その思想の根源には舞台の三要素(セット、舞台、役者)は相乗効果的に機能するべきだ、という考え方があった。19世紀末まで、セットは平面に描かれた背景であることが普通で、アッピアは三次元の役者と二次元の背景画が調和を取れずにいることに違和感を抱いていた。その違和感を解消すべく、背景画のかわりに三次元的なセットを使い、そのなかを役者がやはり三次元的で動くことができるセットデザインをアッピアは提唱した。役者の動きが空間と「調和」すること―――これがアッピアの思想だ。このアッピアの思想を映画に持ち込んで実践したのが、F・W・ムルナウである。アッピアの調和の思考はムルナウの「建築的映画(architectural film)」というアイディアにそのまま移植されていると言っても過言ではない。

私が言っているのは、動きのある空間の内部を運動する血の通った身体の流動的な建築のことだ;直線が上がったり下がったり消えたりすることの相互運動、表面の会合、刺激とその逆の静謐、建造と崩壊… F・W・ムルナウ

ムルナウは、『サンライズ(Sunrise, 1927)』でこのアイディアを実践する。冒頭の沼地での男女の密会、湖上から森を抜けて街に向かう電車の風景、ここでは役者が三次元の世界で運動するだけでなく、カメラが三次元の空間で運動する。この運動の相乗的な効果がスクリーンに投影される。

オフュルスはムルナウの演出に影響を受けたことを認めている。ムルナウはサイレント映画しか残さず、一方のオフュルスはトーキーになるまで映画とは距離をおいていたが、映像の演出方法においてこの二人は一つの潮流として連なっていると考えてよいだろう。

オフュルスと同じように「流れるような」「グライドする」カメラワークが特徴的な映画監督としてオットー・プレミンジャーが挙げられるかもしれない。彼の作品でもトラッキングとパンを組み合わせたカメラの動きが要所要所に現れる。プレミンジャーの場合、それは三次元の空間を作り出す効果のほかに、役者のクローズアップを劇的に見せる効果も狙っている。例えば、『ローラ殺人事件(Laura, 1944)』のラスト、ローラが自宅の寝室にいるシーンでは、ローラの動きをパンでとらえながらカメラは上にスライドし、ローラの顔のクローズアップを一瞬とらえる。他でも移動やパンとともにカメラが人物に寄っていくショットが随所に見られる。これは類似したスタイルかもしれないが、導き出される効果がやはり違う。プレミンジャーのスタイルは、ハリウッドのスターシステムを意識的に組み込んだものだ。オフュルスは、構図やカメラの動きにおいて、クローズアップを前提とせず、常に役者とカメラとセットが三次元の空間としてどのように構成されるかを意識している。オフュルスもプレミンジャーもウィーンで1920年代マックス・ラインハルトのもとで活躍していたことを考えると、この類似と差異は興味深い。

アドルフ・アッピアの舞台芸術の思想は大西洋を渡ってアメリカでも開花する。その潮流の急先鋒がノーマン・ベル・ゲッデスだった。ベル・ゲッデスは1920年代に『神曲』などの舞台製作で階段を使用した高低差のあるセットを設計し、注目を浴びた。その後、工業デザインスタジオを開設、流線型デザインやアール・デコのデザインで、「ミッド・センチュリー・デザイン」の代表格として有名だ。そして、彼の娘は、この『魅せられて』で主人公のレオノーラを演じたバーバラ・ベル・ゲッデスである。

描かれた言葉の暴力

『魅せられて』は身体的な暴力が全く描かれない、極めて稀な「フィルム・ノワール」である。ここで描かれているのは、今の言葉で言えば、言葉の暴力によるドメスティック・バイオレンスである。

ジョン・オーリグは他人を支配することで快楽を得るタイプの人間だ。その支配の背景には「富」と「言葉の暴力」がある。ジョンは誰も殴らないし、殺さない。しかし、レオノーラを精神的に言葉を使って追い詰めていく。彼女の精神を幽閉し、自由を奪う。一方でこのような関係に見られがちな「優しい」瞬間もある。レオノーラが家を飛び出していったときには、彼女のアパートを訪れ、柔らかな口調で説得して彼女を引き戻す。典型的なドメスティック・バイオレンスの展開だ。その過程をここまで緻密に描くのは、当時としては画期的であったに違いない。

このDV夫を演じるのは、ロバート・ライアンだ。彼は『十字砲火(Crossfire, 1947)』でユダヤ人を憎悪するレイシストを演じ、『危険な場所で(On Dangerous Ground, 1952)』ではすぐに暴力を際限なく振るってしまう警官を演じている。彼は1940年代のハリウッド映画にしばしば登場するようになった、サイコパス、ソシオパスを演じることに非常に長けていた。例えばリチャード・ウィドマークのような外見からして「イカれた」サイコパスではなく、一見常識人のように見える外見にもかかわらず、内部でいろんな歯車の歯が欠けたような、目一杯巻かれたゼンマイが弾けるように不気味な音を立てながら開放されるような、危険な内面を爆発させるサイコパスとして、幾度となく登場している。『魅せられて』で演じているジョンも、彼のことを表面的にしか知らない他人からすればワーカホリックだが真面目なビジネスマンにしか見えないが、彼と日常的に接する人には、会話をするたびに濃硫酸をぶっかけられるような恐ろしい暴力性がむき出しになるキャラクターだ。

不倫をしている女性が、お金のために虐待や流産を耐え忍ぶというストーリーはあまりに不穏で受け入れられなかった フランクリン・ジャーレット

ジョン・オーリグのキャラクターは、そのミソジニスト的な態度、金銭に対する執着、人を自分の言いなりにさせるために暴言や脅しを使うといった特徴が際立っている。このキャラクタリゼーションには、ハワード・ヒューズがモデルになっているという説は、ポーリーン・ケールほか多くの批評家が指摘してきた。前述したようにハワード・ヒューズとオフュルスはお互いのハリウッド進出のタイミングで出会い、その出会いは不幸な結末に終わっている。ヒューズはオフュルスを乱暴なやり方で解雇したばかりでなく、その後も幾度となく公に侮辱していた。そのことを根に持ったオフュルスが復讐したのがこの作品だという説もある。

復讐なのかどうかはわからない。実は、映画の準備の段階で、製作側はシナリオをハワード・ヒューズのオフィスに送り、映画化の了解を得ているという。ハリウッドでヒューズのRKO買収が話題になっている最中での撮影であった。フロント・オフィスが、これでは誰が見てもヒューズだ、事によっては問題になるかもしれない、と恐れてしまったのかもしれない。しかし、個人的な諍いの果たし合いというよりは、オフュルスの亡命者としての実体験が組み込まれた物語と理解したほうが良くはないだろうか。「成功」や「勝利」といったものへの無批判な憧憬が価値観や倫理観を構成しているアメリカ社会に対する、来訪者としての冷徹な視線。オフュルス自身はアメリカ移住を望んではいなかったし、アメリカも彼を呼んだわけではなかった。その彼の目に映った、そして自身が経験した人間観のあり方―――成功した者は、その目的に適えばいかなるコミュニティや個人を破壊しても構わない―――を彼は問題にした。彼は次のアメリカ滞在期の最後の作品『無謀な瞬間』でもこの姿勢を崩していていない。白人中流階級のモラルに対する容赦ない批判、社会の格差、価値観の分裂をもはや言い訳ができないほど打ちのめしている。

PCAがレオノーラ自ら離婚を切り出す筋書きに反対した、という点は当時のアメリカ社会の基幹となるべき倫理のあり方を象徴している。たとえ相手が暴力的な夫でも女性は自分から離婚してはいけない、という考え方を貫き通したのである。非常に歪んだ考え方だが、この映画から70年を経た今、それを完全に葬り去ったと言えるだろうか。

Links

Film Referenceのページには、マックス・オフュルスに関する膨大な文献リストとロビン・ウッドによる分析が掲載されている。

プロデューサー、映画研究家のBea Moyesは、マックス・オフュルスの映画と演劇の関係について詳細に論じている。

Data

ロウズ・インク配給 2/17/1949公開
B&W 1.37:1
88 min.

製作デヴィッド・L・ロウ
David L. Loew
出演ロバート・ライアン
Robert Ryan
製作ウォルフガング・ラインハルト
Wolfgang Reinhardt
バーバラ・デル・ゲデス
Barbara Del Geddes
監督マックス・オフュルス
Max Ophüls (as Max Opuls)
ジェームズ・メイソン
James Mason
脚本アーサー・ローレンツ
Arthur Laurents
フランク・ファーガソン
Frank Ferguson
撮影リー・ガームズ
Lee Garmes
クルト・ボワ
Curt Bois
音楽フレデリック・ホランダー
Frederick Hollander
ルース・ブレディ
Ruth Brady
美術F・ポール・サイロス
F. Paul Sylos
編集ロバート・パリッシュ
Robert Parrish

References

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