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ランダム・ノワール

これはトップ50ではない。

このサイトでは、1940~50年代のハリウッドで製作された映画作品のうち、「フィルム・ノワール」に分類される作品を紹介する。

ひょっとすると、フィルム・ノワールについていまさら何を語るんだ、と思う向きもあるかもしれない。この期に及んで「三つ数えろ」を分析するのかい、と。

この20年ほどで映像体験は実に広く、深くなった。ひとつにはDVDやオンライン動画の普及で、様々な作品にアクセスしやすくなったこと、もう一つはそれに伴って研究の量が圧倒的に増加したこと。歴史的な資料にアクセスしやすくなったことも重要なファクターだ。

すると、その昔当然のように言われていたことが再検証され、「そんな単純な話じゃない」ということがだんだんと明らかになってきた。分かりやすい例で言えば、『市民ケーン』のDVDに収録されたロジャー・イバートのオーディオ・コメンタリーを聞けば、「オーソン・ウェルズ/グレッグ・トーランドのディープ・フォーカス」を軸に議論することがどれだけ的はずれなことかが分かる。フィルム・ノワールの言葉の次には、簡単に「ドイツ表現主義の影響」とつながっていくのだが、これは果たしてどうなのだろう?ドイツからハリウッドに避難してきた映画監督たちだから「ドイツ表現主義」を引きずっている、と考えるのはいささか単純すぎないだろうか?いやいや、いったいどの部分が「ドイツ表現主義」なのか。TVの登場で映画界は危機を感じ、ワイドスクリーンや3D映画を手掛けた、という咀嚼しやすい話の一方で、行き詰ったスタジオや製作会社が映画ライブラリをTVシンジケートに売却したという経緯もある。その結果、TVでの映画放映が、マーチン・スコセッシ、スティーブン・スピルバーグら、新しい映画作家たちを生み出した。

咀嚼しやすい、大雑把な話を消化してしまったら、後は印象くらいしかなくなってしまう。

大雑把で雑な議論が浮遊していくのをつなぎとめる手段として、作家主義的な批評は、ある時期まで機能していたと思う。しかし、この20年ほどにわたって数多くの論者による、色彩豊かな議論が、様々な批評の軸を提供してきている。それは多くの場合、英語圏で流通し、いまだ日本語圏には翻訳されず、輸入されないまま、さらに豪速で増殖している。

十把一からげに「フィルム・ノワール」と呼び、「ドイツ表現主義の影響」と書いてしまうことから逃れて、いま一度、一つ一つの作品を手にとって見ることは、いままで見逃していた様々な映像文化の流れをもう一度すくい取ることにつながりはしないか。だから、50本、一つ一つの作品を手にとってみることにした。

だが、この50本はトップ50でもないし、「私の好きなノワール50本」「フィルム・ノワール:基本の50本」でもない。そういったランキングとかガイド的なものを読むのも作るのも、どうにも苦手なのだ。実際、書いているときには、「これこそ最高の作品だ」と思ってしまう。甲乙などつけられるものではない。そこで、思いつくまま、1940年から1958年の間に製作された「フィルム・ノワール」と呼ばれているらしい作品を100本書き出し、それをエクセルに入力したリストを作った。そのエクセルのシートで乱数を生成してソート、上から50本を紹介することにした。だから、最初の100本は私が記憶にたよって書き出したものだが、どの50本をどの順番で紹介するかは、エクセルのRand関数が選んでいる。

まあ、そういう無責任なリストがあってもよいだろう。


Header Photo:
“Baltimore, Maryland. Trolley carrying workers to the night shift at the Bethlehem Fairfield shipyard (Part)”
Photographer: Collins, Marjory, Date Published: 1943
from: Farm Security Administration/Office of War Information Black-and-White Negatives Collection
Public Domain


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